表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
さんどめの春
57/84

塔に現れた男


 「姫様、お目覚めでございましたか!」


 私が目を覚ます前に着替えの準備をしようと早目に来たというラーナは、窓から外を眺めていた私に驚き慌ててドレスを選びに行った。


 見下ろした湖の逆側の窓からはこの城を囲む城壁と外にある街、そして更に街をぐるりと囲む高い壁が見えた。瀟洒な鉄のフェンスに囲まれただけのセティルストリア王宮とは随分違う造りだ。


 ラーナに呼ばれ着替えたのは昨日の物と同じ形のモスグリーンのドレスだ。並んでいるドレスは全て同じデザインの色違いでシルセウスの伝統的な物だと説明された。

 目を細めて髪を梳かしながら「姫様の御髪は柔こうございますね」と言うラーナに私も声をかけた。


 「王族の婚約者になったとはいえ私は市井の生まれで貴族の血は流れていません。きっとあなたの方が身分の高い方のはずです。アルの指示なのでしょうが二人だけの時はもっと気楽になさって下さいね。それに姫様という呼び方も不要です」

 「でもわたくしにとっては姫様ですよ。アルフレッド王子がそう仰るのですもの。ラーナは姫様の侍女を仰せつかったのですからお生まれがどうあろうと関係ございません」


 ……ラーナ手強いな。

 おまけに姫様こそラーナさんと呼ぶなだの敬語を使ってはいけないだの返り討ちにあってしまった。

 それにしてもラーナは楽しそうだ。支度が済むとまたぐるりと私の周りを廻り、不思議そうに見ていた私に満足そうに微笑んだ。


 「わたくしはルナリー姫の侍女でございましたの」

 「ルナリー姫?」

 「えぇ、11年前にお亡くなりになった王子の姉上様でございます」


 11年前……そう呟いて考え込んだ私を朝食のテーブルにつかせながらラーナは続ける。


 「あの時わたくしは風邪を拗らせて暇を頂いておりました。姫様は逃げるのを怖がった王妃様を放っておけず国王陛下と共に籠城されたのですが、捕らえられる前に自害なさったそうです。わたくしがお逃げ下さいと申し上げれば聞き入れて下さったのかも知れませんが……」


 ラーナの手は休むことなく朝食を並べていく。私は顔を上げられず黙ってラーナの働く手を見つめていた。


 「こうしてまた思いもよらず姫様にお仕えする事ができましたので、ついはしゃいでしまうのです。しかもルナリー姫に負けず劣らずお美しいのですもの。手の掛け甲斐がございますわ」

 「とんでもない。私はこの通り地味で平凡な容姿です。髪も瞳もありふれた色だし。ルナリー姫はアルのお姉様ですもの、それはお美しかったのでしょう?」


 ラーナの手が止まりキョトンとして私を見つめる。首を傾げる私をしげしげと眺め、『おやまぁ』と小さく声を上げた。


 「姫様は地味でも平凡でもございませんよ。むしろ非凡な魅力をお持ちですのに」


 ラーナはそう言って胸元から引きだした鎖を外し、ロケットを開けて私に見せた。中には私と同じ年頃の美しい女性の写真が入れられていた。


 「ルナリー姫です。栗色の髪に茶色い瞳で妖精ピピルの生まれ変わりと言われておりましたわ。細くて滑らかで柔らかな髪も、光を受けて星のように輝く瞳も姫様はルナリー姫に良く似ていらっしゃいます」


 とはいえ負けず劣らずの意味は到底理解が及ばない。いくら同じ茶髪茶眼とはいえあちらはアルのお姉様、当然顔の造作が王族クオリティなのだ。ご近所さん美人レベルのピピルちゃんとは訳が違う。


 「王子が姫様は自己評価が低すぎると仰る意味がわかりましたわ。自覚が足りなくて困ると仰る意味もですが」

 

 ため息混じりに言われても私にはどちらの意味もわからないのだけれど?


 せっかく用意してくれた朝食だったが中々喉を通らずかなり残してしまった。ラーナは嫌な顔もせず謝る私に食べたい物はないか聞いてくれたので、ドライフルーツとチーズを頼むと怪訝そうに見つめてくる。

 「大好きなのよ」と言ったら一応納得した様子だが、気付かれるのも時間の問題かも知れない。ドライフルーツとチーズなら残しても後で食べると言えば済む。


 こう見えて実は私は結構繊細なガラスのハートの持ち主だ。思い悩むと途端に眠れなくなる。それは良くある事だったのだけれど、今回は食欲も無くしてしまった。ラーナの事だからきっと心配をかけてしまいそうで気が重く、溜息を付きながら窓の外に見える白い山に視線を向けていた。


 ドアが開く音に食器を下げに行ったラーナが戻って来たのかと振り向くと、そこには知らない男が立っていた。


 銀髪と言ってもアルのような白っぽさではなく、艶のあるグレーの髪が緩くウェーブし浅黒い肌をしている。男は不躾に私を眺めていた。獲物を狙うような目つきとはこれを言うのではないか。突き刺して動きを封じるような嫌な力に私は激しい不快感を感じた。


 「わたしが誰か判るようだね」


 私はゆっくりと頷いた。同じ髪と肌を持つ男を私はもう一人知っている。身体を蝕まれすっかり窶れていたが、健康であったなら掘りの深い整った美しい顔をしていたのだろう。そう、目の前のこの男のように。

 不意にあの夜会の事が甦り思わず後ずさった私に、この男……グラントリーは目を細めて笑った。背筋に何かがはい上がるような気味の悪い笑いだった。


 「そんなに怯えなくても良いだろう?何事もなくここまで来られたのはわたしの指示があったからだ」

 「足跡の無い雪の上を歩きたがる人間だっています」

 

 グラントリーはフンと鼻で笑い片眉を吊り上げた。


 「ふうん、こうやって大切にされているのは何故か察しがついているのだな。アイツらに気に入られる訳だ。だが生憎わたしは自分の手は汚さぬ主義でね。自ら手を下すつもりは無い。そして雪を踏み荒らすつもりも無い。なにしろそれが一番ファビアンの心を深く刔るだろうからな」

 

 グラントリーは一歩ずつゆっくりと私に向かって歩きながら隠しきれない恐怖に震える私を面白そうに見ていた。


 「さて、どこから教えてやるべきか、お前ほど利用価値が高いと難しいものだな。何しろ色々役に立ってくれる。そうだな、やはり一番面白い話から聞かせてやろう。ファビアンは何かと目障りでね。アイツが外交を取り仕切るとわたしの仕事が中々上手く行かない。ファビアンが勘付いたせいで何度も大きな取引が流れてしまったよ。この上ハイドナーがドレッセンに行ったら益々監視が厳しくなる。だからハイドナーに毒を盛らせた」


 私の目の前まで来て立ち止まったグラントリーは身体を屈めて私の顔を除き込み『わたしの指示だとわかっていたんだろうがな』と言ってニヤリと笑った。


 「ファビアンは心が脆い。ハイドナーが目の前で苦しみながら死ねばばアイツはどうなるか。死なないまでものたうち回るハイドナーを見て取乱さぬ筈がない。狙い通りファビアンは錯乱した。しかしね、その後の報告にわたしはそんな馬鹿なと耳を疑ったよ。お前にあんな事が出来るとはね」


 いきなり手首を掴まれて私は身をすくませた。恐ろしさに目を閉じてしまいたいのを堪え必死で顔を上げる。


 「あの心の歪な男を本気にさせるとは大したものだ。その上まんまとファーディナンドにも取り入って正妃にまでなろうとはな。それならばお前を利用したらどうなるか?しかもいよいよ自分のモノにできるというその歓びの瞬間にお前を奪われて、アイツに耐えられるかな?あぁ、案ずるな。お前は直ぐに死なせない。居場所も生死もわからず時間だけが過ぎる、それが一番の責苦になるからだ。じっくりじっくり心を蝕んでから、致命傷一つだけを負ったお前をファビアンの元に帰してやろう。あと僅か早かったら助けられたかも知れない、その後悔がアイツにとどめを刺す事になる。私は自分の手を汚さずに目的を遂げられると言う訳だ」

 

 無理やり腕を引き抜いてグラントリーを睨みつけた。グラントリーは馬鹿にしたような笑みを浮かべただけだったが、悔しくてたまらずそうせずにはいられなかった。


 「マライア様は何処です?誰かに命じて消したのですか?」

 

 グラントリーが肩を揺らしてくっくと喉を鳴らす。そして私に腕を引き抜かれた右手を伸ばし、私の髪を一房取って巻き付けた。


 「妖精姫は優しいのだな。聡い姫の言う通り今頃崖の下に落ちた馬車と共に見つかっているだろう。マライアはお前の婚約が決まってから自分も正妃にしろと煩くて参っていたんだ。それどころかクレメンタインの暗殺まで考え出した。クレメンタインなどどうでも良いが、実家からの援助は捨てがたい。あの愚かな女はむしろ邪魔なのは自分の方だと気が付かないのだから困る。お前の聡さを妬むなら少しは見習えば死なずに済んだものを」


 そう言うとグラントリーは髪から手を離し上着の胸元から鋏を取り出した。


 「マライアはありきたりの茶髪のくせにと散々罵っていたが、わたしはお前の髪は悪くないと思うね。柔らかくて触り心地が良い。ファビアンも気に入っていただろうなぁ。さぁ、一房切って知らせてやろう。今はまだお前が何処かで監禁されている事をね」


 再び髪に伸ばしたグラントリーの手をぐっと掴み笑いかけるとグラントリーは不愉快そうに眉を寄せた。


 「ご自分の手は汚さぬのでしょう。わたくしが切ります。鋏をお貸し下さい」


 明らかに戸惑っているグラントリーにあえて一歩近付き真っ直ぐ顔を見上げる。藍色の瞳に映る私は笑顔だった。


 大丈夫、私は負けていない。


 たじろいだせいで一瞬注意がそれたのだろう。隙きが生まれたグラントリーの手から鋏を奪い身を翻し、自分の髪を一纏めに掴んで一気に切り落とした。

 呆然として動きを止めているグラントリーの足元に鋏を滑らせると、天井に向って切った髪を全て放り投げ声を上げて笑った。それを見たグラントリーの顔は見る見る怒りで赤く染められていく。


 「どうぞお好きにお使い下さいませ」

 「ふざけた真似を!」


 言うが早いかグラントリーの左手が私の短くなった髪を掴み、右手が振り上げられ衝撃と共に身体が床に叩きつけられた。起き上がりたいが痺れて自由が効かず、どうにか顔だけを動かし軽蔑を浮かべた笑顔をグラントリーに向けてやった。


 グラントリーは弾かれたように私に飛びかかると馬乗りになって首に手を掛ける。目が見開かれ瞳孔が開いているのを見て、あんたの方が死体みたい……とぼんやり思った時、勢いよくドアが開け放たれた。

 


 

 




 


 



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ