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平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
にどめの春
52/84

再会 

 

 「ピピル、どうして雨は降るの?」


 私を見つけ飛び付いて来たセドリック王子は涙を堪えていた。

 どうして雨は降るかですって?


 「…………降らなかったら困りませんか?」

 「困る……」


 王子は俯いて男の子っぽく袖でゴシゴシと目を擦った。とうとう涙が溢れてしまったのね。


 「雨が降らなければお水が無くなります。草木は枯れて生き物は水が飲めなくなります。人は色々な事に水を使いますね。水が無ければどうしましょう?飲み水だけではありません。料理も洗濯も掃除も湯浴みも、その他にも沢山の事が出来なくなりますよ」


 王子はこっくりと頷いた。やっぱりね。王子が聞きたかったのは自分にとってどんな必要性があって雨が降るのかなのだ。だって、雨が降ったら庭園を歩くことが出来ない。最近始めたという乗馬も出来ない。出掛ける予定が延期になることもある。楽しいことを台なしにしてしまうのに何故雨が降るのか確認をし、納得をしたかっただけなのだろう。この年頃の子どもがする質問は、言葉が拙い分何を聞きたがっているのかを見極めないといけないから中々難しいのよね。


 それなのに水蒸気の話やお空の神様の涙の話をされたら、理解されないやりきれなさに悲しくなってしまうのだ。


 王子は嬉しそうに笑ってからぽすんと私の首にしがみつき、小さな声で「ピピル、大好き!」という光栄な内緒話をしてくれたのだった。

  



 その数日後、私はエルーシア様に呼ばれて南の離宮に向かった。エルーシア様に呼ばれた時には大抵サンルームで子どもたちも一緒にお茶を飲むのだけれど、今日はまだ誰も来ていない。私はソファーに座りぼんやりと庭園を眺めていた。


 「やぁ、久し振り!」


 突然掛けられた言葉に驚いて振り返った私は目を疑った。そこにいたのは陛下ただ一人だ。しかし掛けられたあの声は……


 「ニクス……?」


 陛下はニヤリと笑った。悪戯が成功した子どもみたいな笑顔。そうだよね、まんまと私を騙せたのだからご機嫌なんだわ。


 「陛下は……声色を変えられたのですね」

 「あぁ、王太子時代にはそういう訓練も受けたんだ。一体どんな使い道があるのかと思っていたけれど、確かに役に立った。君に眉毛の色を指摘された時は焦ったけれどね」


 だからだ。だからこその『手首足首』だったのだ。私を動揺させて正体に気付く余裕をなくす為の。今にして思えばあの引き攣った笑い方はあまりにも不自然だった。そんな事にすら気が付かないなんて。


 「本気で気味が悪いと思ったんです。どうしてこんな悪戯をなさったんですか?」

 「まさか!可愛い妖精姫に悪戯なんてすると思うかい?」


 陛下は向かい側のソファーに座ると脚を組んで片腕を背もたれに乗せた。そうそう、ニクスの時もこうやって座っていたわ。背格好は同じなのに全く気がつかずにいた自分が情けなくなる。


 「ニクスの話が悪戯でなくて何なのです?」


 私に正妃になれだなんて、訳のわからないニクスに言われても迷惑だったのに、よりによってその正体が陛下だったなんてこんなにたちの悪いからかい方があるだろうか?

 しかしその時私は陛下の瞳の楽しげな光が陰り、優しそうな色合いに変わった事に言いようのない不安を感じた。何だろう?まるで私が戸惑うのを、そして苦しむのをわかっていて、包み込んでくれようとしているようではないか?


 ……どうして?どうしてそんな目で私を見ているの?


 「今日の貴族議会でファビアンと君の事が話合われた。君は側室侯補だが、そもそも何故側室でなければならないのかとね。議会はファビアンと君の婚姻を了承したよ」

 「……え?」


 『からかうのはお止め下さい』と言って笑おうとした。


 でも私の乾いてひりついた喉からはどんなに振り絞ろうとしても掠れ声すら出て来ない。必死に目を見開き陛下の瞳に問い掛ける。


 ……嘘、嘘でしょう?


 しかし陛下が浮かべたのは優しげな微笑みだった。

 違う!違うの……陛下はこんな風に微笑んだりしない。これじゃまるで、まるで私が……


 「理由は君も知っての通りだ。妖精姫、君は正妃になるんだよ」 

 「……陛下……」


 言わなければならない言葉は沢山あるのに、鎖で首を縛られたかのように苦しいだけでそれ以上何も話すことができない。激しく刻む鼓動で胸が痛み顔をしかめて喘ぐ私を見て、陛下は慌てて私の隣に座り胸に抱きしめ髪を撫でた。何時しか息苦しさは嗚咽に変わっていき、溢れた涙が次々と頬を流れ落ちて行く。


 「君はきっと苦しむだろうとわかっていた。わかっていながらそれでもわたしは国王として君を諦めることが出来ない。そして何もしてやれなかった弟に、温かな家庭を持たせてやりたいと願う愚かな兄としても」


 私の頭に頬を寄せた陛下は髪を撫でながら宥めるように言うと口を閉ざした。ただ陛下に優しく髪を撫でられ続け何の言葉も交わさない静かな時だけが流ていく。私は涙を拭いそっと陛下の胸から離れた。


 「君が言う通り、強引に押し切れば貴族の反発を受ける事は目に見えていた。だからわたしは最後に手を離し傍観していたんだ。君が自分で道を切り開くのを待ちながらね。君は自らセドリックという未来の国王の後ろ盾とファビアンの寵愛を手に入れた。それが正妃の座を得る為なんかじゃないのはわかっている。でもね、ピピル。だからこそこれは君が無意識に手繰り寄せた運命なんだ。君達の婚姻は議会から提案され賛成多数で可決されたんだよ」

  

 平民の娘である事を理由に反対するよりも後押しする方がゆくゆく我が身の利益になる、多くの貴族がそう判断したのだろう。そしてその判断をさせてしまったのは他でもない私自身……。


 「わたくしは殿下のお心に安らぎを差し上げたかっただけなのです。常に張り詰めていた殿下のお気持ちがやっと和らいでいらした。きっとあの方はこれから幸せになれるのに、いつか誰かと想いを通じる日もきっと来るのに。わたくしが必要だと仰るのならば永遠に飼い殺しになされば良い。喜んでこの身を捧げます。ですからどうか……」

 「それは出来ない。議会が君を正妃にと望んだ以上、断れば王家は君を手放さざるを得なくなる。君を悲しませるのはわたしも辛い。それはファビアンも同じだ。わかるね、これはファビアンにとっても苦渋の決断だ。あれは決して君を苦しめることを望んではいない。何故ならファビアンは……君を愛しているんだから」


 ……私は怖かった。

 殿下を救い出そうとしながら一方で新しい苦痛を与えているのではないかと恐れていた。だから心の中で必死に打ち消していたのだ。殿下が私に向ける視線に私に呼び掛ける声に、何かが隠されているのを感じていながらも。

 

 「君のせいではないんだよ。あの日、錯乱して決して誰も近寄らせなかったファビアンが君だけを受け入れた。君を愛していたからだ。君は……もうずっと前からファビアンに愛されていたんだよ」


 陛下は震えの止まらない握り締められた私の手を大きなその手で包み込んだ。


 「陛下……わたくしは持っていないのです。わたくしが差し上げられる愛情では殿下にお応えできないのです」

 「ファビアンはわかっている。そして君の事を何時までも待つと言っている。跡取りは望まない。君はファビアンの側に居てくれるだけでいい」


 側に居たい、それは私が望んだ事だった。でも殿下が私を愛する以上、私の存在は殿下の心を痛めつけるだろう。見返りの無い想いを抱き続ける日々は新しい傷を増やしていく。私には傷口から流れ続ける血を止める術は無いというのに。


 「ねぇピピル。わたしとエルーシアとて政略結婚のようなものだ。エルーシアには今でも忘れられない人がいる。幼い頃から将来を誓い合っていた男だ。でもわたしはエルーシアとの婚姻を望んだ」

 

 陛下の手に僅かに力が込められたのが伝わって来た。


 ケネスお義兄様にお聞きした事がある。陛下がサルーシュの王女だったエルーシア様に出会ったのはあの国で開催された国際会議だ。エルーシア様は場を和ませる事に徹した私とは真逆で、男性に引けを取らない見事な外交手腕を見せていたそうだ。そして、それに感銘を受けた陛下が婚姻を申し込まれたと。


 「エルーシアはこれ以上ない素晴らしい王妃になれる、そう直感した。そして想い合った相手がいるのを承知で婚姻を申し込んだ。いや、わたしの妻ではない、セティルストリアの王妃になって欲しいと言ったんだ。当然ながらエルーシアは首を縦には振ってくれなかった。でもこのまま彼の妻になり家庭を守る事だけを求められる人生は、彼女にとって虚しい物だとわかっていたんだろう。天に与えられた彼女の才能を埋もれさせてしまうこともね。王子を二人、それさえ果たせばエルーシアがセティルストリアの国政に加わる事を認める、わたしは愛を囁く代わりに彼女の前に跪いてそう誓った。実際は上二人が女の子だったから随分待たせることになってしまったがね」


 陛下は私の頬に指を滑らせた。一度は止まった筈なのにまた溢れ出してきた涙をそっと拭う為に。そして優しく微笑むと『わたしは残酷だね』と呟きながら再び私の頭を胸に抱き頬を寄せた。


 「エルーシアの恋を諦めさせた。だからわたしも側妃は取らないと約束した。わたしが誰かを愛してもその想いを叶える事は無い。それはわたしの精一杯の誠意だ」

 「陛下は……それで良いのですか?」

 「あぁ、そうだ。わたしが一番初めに犠牲にするのはなんだと思う?自分の心だ。わたしは……わたしはセティルストリアの王なのだからね」

 「陛下も……本当はお寂しいのですね」


 呟いた私の言葉に陛下の身体がピクリと強張った。

 先国王とファビアン殿下だけではない。陛下もまた寂しさと共に生きてきたのだ。


 「あぁ、そうだよ。国王とは孤独な存在だ。だからこそセドリックの為にもセティルストリア王家には君が必要なんだ。あの子もいずれ王になる。戸惑いながら残酷な決断を下す事もある。自分の判断が正しかったのか思い悩み悶え苦しむ夜も来るだろう。その時に苦しみを受け止めてそっと背中を押してくれる存在、それが君なんだ」

 「わたくしには政治の事など何もわかりません。そのわたくしがどうやって王子様の苦しみを受け止めると仰るのですか?」


 陛下は私を胸元から離し両手を頬に添えた。碧い瞳が私に救いを求めるように揺らめいている。


 「良いんだ、それで。君は君だ。王妃であるエルーシアとは違う。どうして春にならないか、どうして雨が降るのか、君はセドリックの気持ちに寄り添って答えてくれる。いつかそんな君がセドリックを救う事になるだろう。何も恐れるな。ただそのままの君であれば良い」


 諦める事には慣れてきた筈だった。自分を殺す事も厭わない筈だった。


 それでも私は引き裂かれるような胸の痛みが苦しくてならなかった。


 「式は二ヶ月後だ。王族の婚姻はヴァレリアビエタ大聖堂で行うのが慣例なんだが、ファビアンはフローラス聖堂での挙式を決めた。君は大掛かりな式を嫌がるだろうし、あの聖堂はエクラの木に囲まれている。せめて君が好きな花の中で式を挙げたいと無理を言われてね」

 

 殿下の優しさは殿下もまた王族として苦悩した上での決断だった事を語っている。この婚姻は殿下に幸せを齎したりしない。そればかりか新たな痛みを抱えた日々になるというのに。


 「さぁ、妖精姫。君の美しい最上級の礼を見せておくれ」


 陛下に促されふらふらと立ち上がった私はこみ上げる嗚咽を堪えながら跪いて礼を取った。そして陛下は私の前に立ちそっと頭に掌を載せ厳かに告げた。


 「ピピル・アシュレイド侯爵令嬢。セティルストリア国王ファーデイナンドの名において、汝を我がセティルストリア王家に迎えることを認めよう」

 


 


 



 


 


 

 

 


 



 


 


 



 



 


 

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