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平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
にどめの春
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初めての我が儘


 殿下は無表情だった。

 瞬きも忘れ身じろぎもせず息をすることすら止めていたのかもしれないが、数回ひくつくように喉を動かした。言葉を出そうにも声が出ないらしい。


 「そんなに動揺する必要があるのかしら?」

 「あ、あるに決まっているだろう!!」


 殿下の怒鳴り声に廊下がざわめく。それはそうだ、いつも冷静で声を荒げる事なんて皆無なんだから。私はちらりと振り向きドアの隙間から覗く団長に大丈夫だとにっこりと笑いかてから殿下に向き直り口を尖らせた。


 「煩いです。ハイドナー様みたい」

 「ジェフリーはどうでもいい!!君は何を言い出すんだ。僕が君にしたことが解らないのか?」


 殿下は引き続き怒鳴り散らしている。でも…………目を剥いて恐い顔をしてみせているその必死な様子が何だか可笑しくて堪らないのだ。シャーシャー言って威嚇する生意気な子猫みたい。怖くも何ともないのに一生懸命喚かれても、わたくしは至って冷静で動揺なんていたしませんのよ。


 「いいえ、しっかりと理解しております。とんでもない八つ当たりですね。でももう良いです。殿下がお側に置いて下されば全部赦して差し上げますわ。ご自分が悪かったと思っていらっしゃるのなら言われた通りになさいませ」

 「だからどうしてそうなる?言っている意味がわかっているのか?君は僕を愛してなんかいないだろう?」

 「殿下が仰る意味の愛なら一切ありません」


 ピシャリと言い放った私の言葉に、殿下は呆気に取られて言い返す事ができないようだった。側に置けと言ながらあなたのことは何とも思っていないと言われたのだから当然といえば当然、だとは思う。


 「でもね、愛情には色々な種類があるんです。わたくしが注げるのは恋愛としての愛情ではないけれど、満たされなかった殿下のお心を埋めることはできますわ。だってそれこそが殿下に足りなかったのですから」

 「今度は何を企んだんだ」

 「今度は、ではありません。これが初めてです」


 カチンときた私は冷たい視線を殿下に送った。殿下も動揺しているせいでつい口を滑らせたのだろう。狼狽えた様子で視線を彷徨わせていた。


 「ご心配なさらずともそれが何を意味するかはわかっております。でもわたくしにできるのは殿下を男性としてではなく殿下として愛することだけです。それで良いのです。殿下にはそれが必要なんですもの。殿下が愛を知り人を信じ、幸せを恐れないようになって下さるように、その為にどうしてもお側に居たいのです」

 「馬鹿な事を。君のメリットなど何もないじゃないか」

 「えぇ、何もね。殿下を暗闇から救い出したい、その気持ちだけです。でもそれができたらわたくしは、きっと今まで感じた事がないくらいの達成感が得られるとお思いになりません?挑んでみたいと思う気持ちは押さえ込むとろくなことにならないものです。思う存分やらせてみようという大人の余裕をお示しになったらいかが?」


 私は立てた両膝に肘を乗せ、頬杖をついて殿下を上目遣いで見る。やろうと思えばいくらでもできるのだ。今まで用途が無かっただけで。


 「わたくしは今までとっても従順だったはずですわ。これは初めての我が儘です。聞き入れて下さっても良いのではなくて?」


 殿下は苦々しそうに顔を歪めため息をついた。


 「君が売る媚が上物なのは良くわかった。もう結構だ。君の言いなりにされる」

 「当たり前です。だって、その為にやっているのですから」


 ケラケラ笑い出した私を殿下は呆れ顔で見た。


 「ね、殿下。わたくしはすごくお人好しらしいのです。差し伸べられる手は伸ばさずにいられない性分のようですわ。ですから諦めて言いなりになられれば良いのです。どうせ殿下は抗えないのですもの」

 「いつか君が本性を現す時が来るとは思ったが……こんなに恐ろしいものだったとはね」

 「殿下が簡単に好きにしろと言うなんて思っておりません。でもね、実はわたくし、とっても強情なんです。残念ながら絶対に引き下がりませんからお早く諦められる事ですね」


 『君は……』と呟いた殿下の声に力はなく消え入りそうだった。わかっている、ちゃんとわかっている。私の望みに殿下が戸惑い躊躇する訳は。それでも私は殿下を、そしてハイドナー氏を救いたいのだ。


 「わたくし、ずっとお側におりますわ。満たされなかった殿下の心から愛情が溢れ出るまで。ですからどうか仲良くして下さいませ」

 「僕の負けなのだな」


 がっくりと肩を落としながら殿下の声には僅かな明るさが含まれていた。私はクスリと笑い、それから宥めるように話しかけた。


 「皆さまが心配されていますわ。先ずは身体を洗い流して下さいませ。そのままではわたくしの涙を拭う事もできないのでしょう?」

 

 殿下は頷いた。そして幾つかやり取りをした後、私は一人で執務室を出た。


 **********

 

 「ピピル様……」

 「カーティスさん、心配していたんです。ご無事で良かった」

 「この通り無事に戻りました」


 必ず居るはずのカーティスさんが居ないのは事情を聞くために拘束されたからだったのだろう。カーティスさんがハイドナー氏に毒を盛るなんて考えられないけれど、もしかしたら容疑を掛けられたのではないかと気がきではなかったのだ。思わずカーティスさんに抱き着くと、背中をポンポンと叩いて安心させてくれた。


 「ピピル様に抱擁されるとは、拘束された甲斐がありましたな」


 ニコニコと笑うカーティスさんにつられて私も周りにいた騎士達や侍従達からも笑いが溢れた。殿下の湯浴みの支度を頼むと侍従達がさっと動き出す。


 「殿下はお食事はいらないと仰っているので、わたくしが執務室のキッチンで作ろうと思います。今のうちに厨房で食材を見繕って来ますね」


 目の前で毒を盛られたハイドナー氏が苦しんだのだ。食欲が無いというよりは食べるのが怖いのだろう。目の届くところで調理すれば安心して口にできるかも知れない。

 

 「それから、侯爵家に知らせを出して頂きたいの」

 「畏まりました。どのような内容で?」


 私はこれから起こるであろうひと騒動に備えてぐっとお腹に力を込めておく。効き目は定かではないけれど一応にっこりと笑顔を浮かべ、なるべくあっさり告げた。


 「殿下のお側に置いて頂くので屋敷には戻りませんと」


 その瞬間、ざわついていた廊下が水を打ったように静まり返った。そこにいた全員がぴたりと動きを止め口を開けて私を眺めている。

 中でもカーティスさんは見事に、それはもう絵に描いたようにポカンと口を開け数秒間放心状態になり、言われた言葉の意味を繰り返し繰り返し頭の中で考えているようだった。それでもやはり私が言わんとしている事は一つだけだという結論に達したらしい。

 今度は絵に描いたように目を三角に吊り上げると


 「……ピピル様っ!!」


と特大の雷を落とした。


 「煩い……」


 思わず耳を塞ぐ。いつも温厚で優しいカーティスさんが顔を真っ赤にして怒っている。カーティスさんがおこだ、激おこだ。

 もう、何なのかしらこの人達?揃いも揃ってか弱い乙女をガミガミ怒鳴るなんてねぇ。


 「殿下が声を荒げるなどおかしいと思ったらこの事ですな!なりません。絶対になりません!」

 「だってわたくしは側室候補ですよ。どうしてダメなのかしら?誰あろうカーティスさんがわたくしと殿下の仲が深まることを期待していたではありませんか。今更人の恋路を邪魔してはいけないわ。妾だろうとなんだろうと言いたい人には勝手に言わせておけば良いのよ。わたくしは構いませんもの」

 「しかしそれでは……」


 カーティスさんは口籠った。カーティスさんだけではない。その場に居た全員が唖然としていた。あの反応からわかる通り私が殿下の寵愛を受けた側室候補では無いことは離宮では既知の事柄なのだから。


 「ピピル様、そうなれば貴女様はそういう事実があろうと無かろうと所謂お手付きとみなされます。いずれ破談にでもなったらどうなさるおつもりですか?」

 「まぁ、それではカーティスさんは破談になって当然だと思われているように聞こえますわね。酷いわ。わたくしは側室に相応しくないとお考えなのかしら?」

 「そうではありません。ですがピピル様は殿下をそのようには……」

 「わたくしがお強請りしましたの。お側に置いて下さいって。どう?すっごく女の子らしくて可愛らしいとお思いになりません?」


 自慢げに笑顔で答える私を、それでもカーティスさんは気遣わしそうに見ていた。


 「殿下に愛情を注ぎたいのです。残念ながらカーティスさんが期待された愛情は持ち合わせておりませんが、殿下はそれでも受け入れて下さいました。わたくしは殿下に笑って頂きたいの、人を信じて頂きたいの、甘えることを覚えて頂きたいの」


 そしていつか愛する人を見つけその人からも愛され、手を取り合って生きていくことになったら、その時こそ私は役目を終えて自由になるのだ。


 「それでよろしいのですか?いずれピピル様が深く傷つくやも知れないのですぞ?」

 「そうなってしまったらまたカーティスさんに抱き付きます。どうか慰めて下さいね」

 

 カーティスさんは気抜けしたように眉尻を下げた。


 「全く、ピピル様は救いようのないお人好しですな」

 「えぇ、それに強情で殿下も呆気に取られていらしたわ。さぁ、早く殿下をバスルームへ。毒物に耐性が有るとは言っても心配です。お身体に障りが無いか良く調べて差し上げて下さいませ」


 頷いて殿下の元に向かうカーティスさんを見送って、私は厨房へ向かった。


 


 

 

 


 

 


 

 


 



 

 


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