養育係
王宮に向かう馬車の中で迎えに来た侍従さんから事情を聞いた。
数日前、セドリック王子の乳母の息子、すなわち王子の乳兄弟が流行り病にかかり母子共々南の離宮を離れた。折しも王子にはそろそろ養育係を付けてはどうかという話が持ち上がっていた時期だったので、これを機に乳母は解任となるらしい。夕べまでは変わりなく過ごしていた王子だったが今日は朝から元気がなく、夜になるとしくしく泣きはじめ今はピピルに会いたいと泣きじゃくっているのだそうだ。可哀相に。お母様に会えず寂しかった上に乳母までいなくなるなんて。きっと心細くて堪らないのだろう。
ベッドの上で毛布を握りしめてしゃくり上げていた王子は、涙でベタベタになり鼻も唇も真っ赤になった泣き腫らした顔をこちらに向け、私が来たのに気付くと声を上げて泣き出してしまった。ベッドの端に腰掛け王子を膝に抱くといつかのように両手を首に回してギュッと抱きついてくる。その背中を優しくトントンと叩きながら『お歌を歌いましょうか?』と聞くとコクリと頷いたので、前生の息子達が小さい頃よく歌ってやった子守唄を口ずさんだ。
少しずつ落ち着いていく王子の呼吸を聞きながら、私は心底息子達が成長していた事に感謝していた。小さな息子達を遺していたらきっと前生に執着して気が狂いそうになったに違いない。50年を過ごしてから転生したことをありがたいなと、こんなにもしみじみ考えたのは初めてだった。
王子がずっしりと重くなり首に巻かれた腕から力が抜けていく。漸く眠ったようだ。私は慎重に覆いかぶさるようにして王子を寝かせ、しばらく胸元をトントンと叩いてからそうっと身体を離した。それからふんわりと毛布を被せ、もう一度胸元をトントンする。王子の寝息は安定していてぐっすりと眠っているようだった。
それでもまた目を覚ましたらきっと泣き出すに違いないので、私は部屋に居た侍女に頼んで椅子を用意してもらいベッドの側に座った。王子は私の予想通り眠りが浅くなる度に泣きながら起き上がったが、抱きしめて背中をトントンすると直ぐに安心したように眠る。そうやってどうにか眠らせながら朝を迎えた。
寝起きの王子は機嫌も良く、体調にも問題がなさそうだった。屋敷からは着替えが届けられていたので王子を侍女さんに託し、部屋を借りて身支度を整えると朝食を用意したからと食堂に案内された。けれどその入口に差し掛かった時、頭をもたげた特大の嫌な予感に私は思わず脚を止めた。
何だここは?どう見ても豪華だ。私が案内されるには豪華過ぎる。白い壁に施された金の縁取りもピカピカの大きな鏡も高い天井も、それから食堂に繋がるアーチ型の入口も。
「やぁ、おはよう!妖精姫」
やっぱり居たよ……居ると思ったんだよ……。大きなテーブルの真ん中に超ご機嫌で笑いかけている国王陛下が。
ホントに気に入ったんだね、その呼び方。お願いだから止めてほしいんだけれど。
陛下の向かい側にセッティングされた席があるということは、私はあそこで最高権力者と朝食を共にするという訳でございますね。私はどーんと落ち込みながらご挨拶をした。
私が席に着くと料理が運ばれて来た。サラダとポタージュスープとベーコンが添えられたスクランブルエッグ、それからバスケットに入った焼きたてのパンとオレンジジュース。オーソドックスだけれど、流石は王宮の料理、とっても美味しい。でも目の前に居るのが最高権力者じゃなければもっと美味しいはずなんだ。
「君と朝食を取るのがファビアンよりも先になるなんて、アイツに首でも締められかねないね」
「わたくしが同衾したのは陛下ではなく王子様ですから、どうか誤解のないようにお伝え下さいませ」
肘をついで組んだ両手の指に顎を乗せながらニヤニヤしている陛下に引き攣った笑いを返しながら答えると、陛下は愉快そうにゲラゲラ笑った。
「となると我々は君を未来の王妃として迎えなくてはならないね」
「残念ながら、セシル坊やからのプロポーズが先ですの。わたくしが侯爵家に来て直ぐに跪いて申し込んでくれましたわ。その時はまだ三つでしたけれど」
陛下……お食事中に爆笑してはいけません。お行儀が悪いですよ。
陛下の笑いはなかなか止まらなかったが漸くおさめると急に真顔になって私をじっと見た。
「妖精姫に頼みたい。正式な養育係が決まるまでしばらくセドリックの養育係をやってくれないか?」
「わたくしにお断りする事は可能なのでしょうか?」
「不可能だな。断わられてもわたしが命令してしまえば君にはどうにもできないからね」
私はうんざりした気持ちを隠しもせず、ありありと表情に浮かべながら口を開いた。そうだよね、この国は一応絶対君主制ですものね。そう来ると思っていましたとも。この最高権力者め!でもピピルちゃんだって負けないんだからね!
「妖精姫とお呼びになるのを止めて頂けるなら素直に首を縦に振ります」
「無理だ。ピピル・アシュレイド侯爵令嬢、本日付けでセドリックの養育係を任命する、これは王命だ」
陛下はますますご機嫌だった。そしてやっぱり権力に無力な私は王子の養育係になった上に、これからも妖精姫と呼ばれ続ける事が確定し、ますますうんざりしていたのだった。
ほんの短時間荷物を取りに屋敷に戻る事を許されただけで、直ぐに私は南の離宮の住人となった。やっと怒りが収まりつつあったお義父様なのにまたまたカンカンに逆戻りで、あれきっと、ケネスお義兄様に文句言いまくるよね……。板挟みになって可哀相に。
王子は結構忙しい。鍛練、乗馬、ダンス、書写等などの実技もあればみっちりお勉強もする。この王室では乳兄弟と一緒に教育を受ける事が多い。こうやって切磋琢磨し共に学びながら将来側近となる人材を育てて行くのだ。王子もその慣習に習っていたのだけれど、この子が今ひとつ微妙な出来だったので今ではセシル坊やがその役目になっているそうだ。そして陛下がお小さい頃はケネスお義兄様がお相手で、殿下は言わずと知れたハイドナー氏。
私は見学する時もあればしない時もあり指示された通りに動いていたが、どうも自由時間を確保するためにそんな風にして頂いたらしかった。私にも仕事があるからね。
授業が入っていない時間は私が担当する。セシル坊やも一緒だから両手に超美形の金髪碧眼幼児という夢のような一時だ。工作をしたり絵本を読んだり庭園を散歩して魚や小鳥に餌をやったり、石鹸水に砂糖と洗濯のりを混ぜて大きなシャボン玉を作ったり。件の白猫と遊んだり、時には足を延ばして西の離宮詣でに同行させたり。前生の私は結婚するまで保育士だったからネタは沢山持っていたし、何しろ家事をしながらではなくお相手に専念できる。手が足りなければ侍女さんが助けてくれる。金髪碧眼幼児達と過ごすのはとても楽しかった。
そんな風に過ごしていたら、長女のシャーロット王女と次女のジュリエット王女のおしゃまさん達が顔を出すようになった。王子と一緒の時もあれば居ない時にこっそり訪ねてきたりもする。女子会になると刺繍やレース編みを教えて欲しいと頼まれるんだけど、拙い手つきで一生懸命取り組むのがこれまた可愛い。そうこうするうちに三女のアリエラ王女も覗きに来るようになって、多い時には5人を引き連れて庭園散歩をするようになった。せがまれて皆で歌を歌いながらのお散歩は、かの有名な歌う女性家庭教師が主人公のミュージカル映画の一場面みたいでとっても賑やか。どうもかなり人目を引くらしく、用もないのにわざわざ王宮に来て庭園に面した外宮の廊下から見物する者が続出しているらしい。子ども達、見事に美形揃いだものね。
やがてエルーシア様はすっかり回復されお元気になられ、セドリック王子の正式な養育係も決まった。賑やかな毎日も後数日で終わりになる。
これが最後の幼児連れ離宮詣でになりそうだなと思いながら、セドリック王子とセシル坊やの手を引いて執務室に向かった。残念ながら正式な養育係とは頻繁にここには来られないだろう。子猫や子ども達の存在はひんやりと冷たい離宮の空気を暖かい物に変えてくれていた。何より殿下が笑っていた。本当によく笑っていた。この人の心は決して死んでなどいないのだと確信できる優しい笑顔だった。
最後だからと少し長居になったせいか殿下に絵本を読んでくれとせっついたくせに、王子とセシル坊やは二人揃って寄り添うようにソファで眠ってしまった。ハイドナー氏が王子を抱いてくれるというので、私はセシル坊やを抱き上げて南の離宮に向かう事にし執務室を後にした。
子猫と子ども達のおかげで気まずい思いもせずに殿下やハイドナー氏と顔を合わせることができて私は正直ほっとしていた。殿下はあんなだったしハイドナー氏はそんなだったので、何時にも増して会いたく無かったから助かったの一言だ。今回ばかりは陛下の無茶振りに感謝だわ。
後宮に継る小道を歩いているとハイドナー氏が小さな声で話しかけてきた。
「ピピル様がこんなに子ども好きとは知りませんでした」
「あら?従姉妹が年子で子どもを産んで手一杯だったので随分お守りをしたんですよ。根掘り葉掘り身辺を調べていらしたみたいなのに漏れていたんですね」
「そんな大切な情報を見落とすとは、調査官には処分を検討しなければなりませんね。本当ならこのまま正式に養育係として採用したいのにと両陛下が残念がっていらしたので」
確かに私にとっても楽しい毎日だったけれど、これ以上陛下と係わるとまた何かに巻き込まれそうなのでお断りだ。王妃様が今後も子ども達に顔を見せに来てねと仰って下さったので、それくらいが丁度良いのだと思う。
「貴女も……きっと我が子を腕に抱きたいのでしょうね」
ぽつりと言われた言葉に驚いてハイドナー氏を見上げると、あの日と同じ辛そうな目をしていた。結局この人は同じ場所で足踏みをしているのだろう。殿下が私を飼い殺しにすると決めた以上私の未来に結婚も子どもを授かる事も無い。いくら結婚願望が無かったと、割りきれるから平気だと言っても、私に対する罪悪感は簡単に消せるものではないようだ。
私はチラッと振り返りついて来ている王子の護衛騎士達に目配せすると、彼等は心得たとばかりにスッと距離を取ってくれた。
「荒唐無稽な話をします。よろしいですか?」
ハイドナー氏は予想外の返事に驚いたのか目を見開いて私を見ていたが、きっとこれからもっとびっくりするはずだ。何だかワクワクして私はニカッと笑った。
では披露させて頂きましょう。わたくしの荒唐無稽なお話を!
「わたくしには息子が二人おります。長男は24歳、次男は21歳。わたくしが結婚したのは23の時でした」




