妖精ピピルの物語
結局子猫は飼い主が見つかるまで私が面倒をみることになった。殿下の人嫌いのせいで離宮はぎりぎりの人数しか使用人がいないのだ。これ以上負担を増やしては申し訳ない。仕方がないので昼間は正妃様用の私室で世話をして夕方屋敷に連れて帰る。つまり週一の離宮詣でが子猫のおかげで日参になったと言う事だ。サボっていた罰があたったのかしら?
殿下は相変わらず白ちゃんに懐かれていた。『君はどうして猫ににゃんにゃんと話しかけるんだ?』と聞かれたので『そうしないと猫に通じませんよ』って言ってみたら本気にしたので笑わせてもらった。すぐに気がつかれて激怒されたけど。
そうして一週間ほどが過ぎた。
じゃれついてきた子猫達を紐を振り回して遊ばせていたら、ノックもせずにドアが開いて小さな男の子が入ってきた。白っぽい金髪に碧い目のお人形のような可愛らしさ。私を見て立ち止まり不思議そうに首を傾けた。
「あなたはだあれ?」
「ピピル・アシュレイドでございます」
私は丁寧にカーテシーをして答えた。だってこの男の子が誰なのか予想がついたから。
「ピピル!あなたは妖精なの?」
目を輝かせる男の子の言葉に驚いた。母が言っていた何処かの国の妖精の事だろうか?あの母の言う事だからと半信半疑だったけれど、アレって本当だったの!
「いいえ、残念ながら人間です。でもピピルという名はお伽話の妖精から名付けたそうですわ。その妖精をご存知ですか?」
「ピピルは寒い北の国の春の妖精だよ。目を覚ましたピピルが歌うと春が来るんだ」
「そうでしたか。教えて下さってありがとうございます」
男の子は嬉しそうにニコニコと笑った。凄く可愛い。子猫も可愛いけれどこの子もやたらと可愛い。
「セドリック、走ってはいけないと言われているだろう。護衛騎士達が困っていたぞ」
顔を覗かせた殿下が声を掛けると男の子は駆け寄って殿下に飛び付いた。やっぱりね、この子はセドリック王子、陛下の第三子で未来の王太子だ。
「おじうえ、ごめんなさい。早く子猫が見たかったんだ」
「僕ではなく護衛騎士に謝るべきだな。わかったか?」
王子はうんうんと頷いている。やだ、ホントに可愛い。それから……殿下、猫だけじゃなくて子どもも好きなのね。見たことがないくらい笑顔だよ。
私はクッションに王子を座らせて膝に布を掛け、その上から一番人懐こい茶白を膝に乗せた。撫で方を教えると小さな手で優しく撫でている。しばらくそうしていたら茶白がぴょんと飛び降りてしまったので今度は王子に紐を持たせ遊び方を教えた。王子は夢中になって紐を振り、子猫達は走ったり飛び跳ねたりと大忙しだった。
「義姉上の産後の肥立ちが悪くて会えないらしい。寂しいのか元気がなくてね」
二週間ほど前に第二王子を出産されたエルーシア様だが、高熱が続きかなり衰弱されてしまったとか。ここ数日平熱に落ち着き食事も取れるようになってきたそうだが、まだお子様達には会えていないようだ。セドリック王子は5歳、乳母はいるけれどやっぱりお母様に会えないのは不安で堪らないのだろう。寂しがるのも当然だ。
王子がひとしきり子猫と戯れ満足した頃、侍従が迎えに来た。
「明日も来てもいい?」
躊躇いがちにもじもじと尋ねる王子に、膝をついて目線を合わせ笑顔で頷いた。
「えぇ、お待ちしていますね」
王子は私の首にパスッと抱き付いた。頬を何かが掠めるのを感じたが、絡めた腕を解いた王子は真っ赤な顔でにこりと笑うと、くるっときびすを返して侍従と部屋を出て行った。
「気に入られたらしいね」
振り向くと何故か苦々しい顔で殿下が見下ろしていた。何?可愛い甥っ子に気に入られた私に嫉妬していらっしゃるのでしょうか?ちっちゃいなぁ……。
「素敵な王子様からキスされるなんて光栄です。でもセシル坊やに知れたら大変だわ」
「ケネスの子に?どうしてだ?」
「だって、顔を合わせる度に必ずプロポーズしてくれるんですもの」
殿下は呆れたように一瞥すると黙って出て行ってしまった。すみませんね、幼児限定でモテる女で!
翌日もセドリック王子はやって来た。両腕で大事そうに絵本を抱え静々とお行儀良く歩いて来たようだ。得意げに顔をツンと上げているのがとっても可愛らしい。王子は子猫を撫で紐で遊び、満足したのか私の膝にちょこんと座って絵本を広げた。それは春の妖精ピピルの物語で、私に読み聞かせてくれるのだという。
なかなかの文章量だったけれど流石は未来の王太子、淀みなくすらすらと読み進める。春の妖精ピピルは冬の魔王に捕らえられ魔塔に閉じ込められてしまい、北の国は永遠の冬に覆われた。そこで王子が魔塔に向かい魔王を倒しピピルを助け出す。ピピルは眠りの魔法で眠っていたが、一目で恋に落ちた王子がキスをするとぱちりと目を覚ました。ピピルはエクラの木の高い枝に飛んでいくと春の歌を歌い北の国には再び春が訪れた。そして王子は城にピピルを連れ帰り結婚した、というありがちで尚且つ突っ込み所の多いお話だった。
絵本のピピルも栗色の髪と瞳をしていたので、王子は私に妖精なのかと聞いたのだろう。前生なら妖精は水色とかピンクとか緑とかカラフルにされがちだけれど、この世界は割と常識的みたいね。
「ピピルもお歌が歌える?」
王子が膝に座ったまま振り返って聞いてきたので私が頷くと、彼は嬉しそうに最後のページを開いた。そこにはピピルの春の歌、というタイトルの楽譜が載っている。作曲者の名はなく伝承曲と書いてあった。
「このお歌、誰も歌ってくれないの。どんなお歌か聞いてみたいんだ」
「えぇ、歌ってみましょうね」
さっと目を通したら伝承曲のせいか大胆に音程が飛んでいて音が取り辛そうな箇所が二三あったけれど、どうにかできそうだ。息を吸って歌い出すと王子は一生懸命歌詞を追いながら耳を傾け、曲が終わると可愛い両手で拍手をしてくれた。
「驚いたな、初見でそれが歌えるのか」
いきなり後ろから声が聞こえてギョッとして振り向くといつの間にか殿下が立っていた。勿論殿下以外ならもっと驚くけれど。それよりもこれを初見で歌うのが難しいって気付くのが流石だわ。この人、本当に耳が良いんだな。
王子は弾かれたように膝から立ち上がり殿下に駆け寄ると殿下の脚にしがみついた。
「ピピルが春の歌を歌ってくれたね、もう春が来るかな?」
「いや、これから冬になるから春はまだだな」
クルッと振り向いて私を見つめた王子はかなり不服そうだった。そうなんだよね。難しいの。そういう事を聞いているんじゃないんだわ。このお年頃の男の子はファンタジーと現実の両面を見て生きているのですよ。
「王子様、わたくしの歌では春は来ないんです。だってエクラの木の高い枝に飛んで行けませんから」
「どうして?」
「わたくしは人間なので羽を持っていないからですわ。目を覚ました妖精のピピルがエクラの木の上に飛んで行ったということは、それが必要だったからです。そうでなければピピルはその場で歌えば良かったんですもの」
王子は満足そうに私に頷いて殿下を見上げると『それに、冬はひつようだからね』と小声で囁きかける。殿下は驚いたように目を見開いたが、直ぐに笑顔で王子の頭を優しく撫でた。
王子は次の日もその次の日も子猫に会いに来た。子猫を撫で紐で遊びブラシをかけ、時には私の私室で茹でた鶏肉をほぐすのを手伝ったりもして、私達はすっかり仲良くなっていた。
子猫は次々に貰い手が決まり、結局殿下に懐いた白ちゃんは陛下のお住まいである南の離宮で……つまり陛下に引き取られた。エルーシア様はかなり回復されたもののすっかり体力が落ちてしまわれたそうでまだ療養が必要だという。陛下は子猫によって王子達の寂しさが癒されればとお考えになったようだ。
そして、離宮詣でも週一に戻る事になりホッとした私だったが、その矢先に南の離宮に住み込みになるとは誰が予想できただろう。
夜中に叩き起こされた私は慌てて身支度をし、追い立てられるように迎えの馬車に乗せられたのだった。
お読み頂きましてどうもありがとうございます。
ピピルの春の歌は、ドイツ民謡の麗し春よ、をイメージしました。




