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「大変有難いお話ではありますが、ウェンディーヌ様をお迎えするには当家では力量不足では無いかと存じます。ですって」
届いた手紙をぐしゃぐしゃにしてしまいたい衝動を抑えるのは、中々難しい物ですね。
白地に金の縁取りの便箋の端が歪んでしまったのは、気がつかなかった事にして欲しいものです。
「お父様にこれは」
「旦那様では無くお嬢様宛で届いておりましたもので、中身を確認するわけには……本当に申し訳ございません」
日頃感情を表に出さない執事のトワが、泣きそうな顔をしていることに気がついて、失言だったと後悔しました。
婚約の返事をまさか当人に送ってくるなんて、誰も思わないでしょう。貴族の婚約は家と家との契約です。当主に返すのが筋でしょう。それに使用人が手紙の中を見ることなど、出来る筈もありません。
「気にしなくていいわ。私もあの方は嫌だったもの。お父様には申し訳ないけれど断って頂けて良かったわ」
侯爵家から伯爵家への婚約の申込みだと云うのに、格下の伯爵家からの拒絶なんて常識では考えられない事、でも今の私になら当然とも言える話でした。
「市井に評判なんでしょう? あなたは観てきたのよね」
噂の真偽を確かめる為トワが芝居を見に行った事は、メイド達の噂話で知っていたけれど、私がそれを家の者達に告げることはありませんでした。
物見遊山で芝居見物というのではなく、私の事を心配しての行動だと知っていたからです。
噂をしていたメイド達も同じ、皆が私を心配しこの出来事に心を痛めていたのです。
「お嬢様、ご存じだったのですか。も、申し訳ございません」
「どうして謝るの、あなたが謝ることはないわ。それよりもお父様を気遣って差し上げてね。私は何も感じていないし、こんな手紙を私に送ってくる様な方と縁を結ばずに済んだ事を喜んでいるのですから」
でも、私が幾ら言葉を尽くしても、お父様もお母様も悲しむでしょう。
それは何よりも辛いですね。
「仕方ないのよ。作り物だとしても、私は悪役令嬢として名が広まってしまったのですもの」
「そんなことはありません。この家の者は誰一人として、お嬢様が悪などと考えておりません。お嬢様は被害者ではありませんか」
「でもね、市井の人は貴族が悪い方が嬉しいのよ。私の婚約破棄は格好の材料だったという事なの。名前を使われたわけではないし、諦める他ないわ」
芝居の中の悪役令嬢はヴェミリウムという名前だと聞きました。
ヴェミリウムは花の名前、この国で毒の花という意味を持っています。美しいけれど、ヴェミリウムには毒があります。ひとつの花を煎じて飲むだけで大人一人殺す事が出来る猛毒ですから、誰もそんな花の名前を子供に付ける親はいないでしょう。
名前を聞いて、それだけが救いだと思いました。
名前が同じだというだけで、誰かが悲しい気持ちにならずにすむのですから。
「お嬢様、諦めるなど仰らないで下さい」
「喉が渇いたわ、アンネットに伝えてくれるかしら。それからお父様に夕食は是非一緒にとね。明日は学園に戻らないといけないから」
「……畏まりました」
深く頭を下げ銀盆に乗せた手紙を左手に、トワは部屋を出ていきました。
「こんな風になるなんて誰も思わなかったのだから、仕方ないのよ」
心が千々に乱れます。
みっともなく物にでも人にでも八つ当たり出来たら、少しは楽になれるのでしょうか。
でも、そんな事出来る筈もありません。
涙が一滴落ちました。でもそれだけです。
子供の様に泣きわめく事すら、私は出来ない意気地無しなのです。