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憐呪〆RENJU  作者: 仲葉ケイ
6/6

禍斎 マガイサミ【壱】

 6月下旬の箒森(ほうきもり)。その大気は不快な(ぬく)みを含んで山肌を漂っていた。微塵も整備が行き届いていない山道を、5年物のジムニーはだるそうに駆けあがっていく。俺は助手席の窓を開けて顔を出すと、見えもしない森の奥をじっと見つめた。


「匂いますか。莱児さん」

 ドライバーの夷幡(いばた)加奈子が尋ねた。

 彼女は俺のサポーター兼マネージャーだ。仕事の補佐としてペアを組んでからもう8年になる。俺自身が加奈子の力を見出し、神衣家の門をくぐらせた。感度(ソナー)には劣るが、除霊力(オミット)霊的安定性(スタビリティ)は常人のそれをはるかに上回る。


「予想通りだ、いばちゃん。かなり集まってる。封印状態だったとはいえ、アレはこの土地の重要なセーフティだった。それがなくなった今、霊域のエネルギーに引き寄せられた雑魚どもがお祭り騒ぎってわけだ。結構しんどい場所だぞ。……いばちゃん帰る?」


 冗談を言ってみる。


「降ろしますよ」、切れ長の目がキッとにらんでため息をつく。「降ろしませんけど……冗談は()してください。給料はちゃんともらいますから。あなたを置いてここから一人で帰る方がご免です」


 ほーう、と俺は思わず加奈子を見つめた。明るめの茶髪を包む迷彩柄のヘアバンドを、きまり悪くぐいと引き下げた。ボディラインがくっきりと見える白の半袖シャツからは、女性にしては筋肉質な手が伸びて、せわしないハンドルの操作に合わせて(すじ)が躍動した。


「……いばちゃん、大丈夫だから。最悪の場合は車の中で待機しとけ。ほら、半径20メートルくらいは結界効くから」

「だから! 一緒に行きますって。マジで降ろしますよ」

 俺はこいつをからかうのが大好きだ。


「ああー、分かってる。よろしく頼むわ。あとで對馬に小言(こごと)言われたらかなわないからな。細心の注意で事を進める。手筈はいいな」

「わかってるならいいです。私はもう十分()()()()()()

 よし、いい感じだ。

 

 目的地まであと20分ばかり。もうじき戯言も吐けないレベルの霊域に突入する。

 鬱蒼と茂る木々の間から僅かに光をこぼしていた太陽は、ついにその姿を隠す。大気がゆっくりと死に行くのを感じた。



 對馬から出された最初の指示。それは神が消失した“禍斎(まがいさみ)”の調査とそれによる霊的影響の対処だ。あいつは俺に、『簡単なものから順に遂行させる』と言った。しかし実際に状況を見てみれば、それがいかに出鱈目(でたらめ)な発言かが分かった。箒森の厄介ごとを片付けるだけで、二日以上は体力消耗が続くだろう。よって、このあとの段階的なタスク進行は数週間かかる可能性があるとみていい。


 さらに気になるのは神が消失した萱女(かやめ)神社の神域だ。時間の経過ともに妖気の影響は対数的な増加を示すはずだ。もっとも對馬のことだから何らかの策は練っているはずだが。あいつは馬鹿ではない。時間を置く理由が他にあるということも十分考えられる。俺が先走ってよからぬ刺激を与えるのは得策ではない。


 この短期間で何が起こったのだろう。誰が動き、誰が死んだのか。どんな思惑があったのか。どんな願いがあったのか。俺が対峙しようとしているものはなんだ。何を止める。何を救う。何を殺す……。何を、思いながら……。


 そこまで考えてふと思った。俺は何を真剣に考えているのだろう。俺の仕事に下手な勘繰りは必要ない。ただ数学的、物理的な法則に合わせて魂を狩るだけだ。心とは無関係に。心とは最も遠いところにある仕事。


 魂を狩ること。それだけにただ向き合ってきた。狩った後に残される虚無感ばかりをコレクションして、そうやって築き上げたのが自分であるかのように、自分の輪郭を(ぼか)さないためにも魂を狩り続けた。

 そのはずが……。こんなにも揺らいでしまっているのは、あれを聞いたせいか。

『君は自分の運命を決定づけた歴史、それを知りたいと思わないかい』


「……さん、莱児さん」

 ハッとして俺は顔を上げた。ジムニーは山の斜面に沿って僅かに広がったスペースに停まっている。車はこれ以上先へ進めない。最悪のタイミングだった。あまりにも気が抜けすぎていた。


「莱児さん……?大丈夫、ですか」

 加奈子が心配そうに俺の顔を覗き込む。

「……ああ、考え事をしていた。少し()()()。すまないな」

 先ほどこちらが余裕の態度をとっていたばかりに、あまりにも恰好がつかなくて俺は目を伏せた。


「莱児さん……。大丈夫、ですよ」加奈子はやわらかな笑みを浮かべて言う。「私がついてます」


 そうだったな。昔から加奈子は俺の機微を捉えるのがうまかった。だからこそ魂の波長も合わせられるし、ケアも任せられる。現場に限らず二人でなら最高のパフォーマンスを生み出せる。すべてはこいつが俺のことをよく観察し、気を遣えるからだ。


「ありがとう、加奈子」俺はヘアバンドの上からポンと頭を触ってやった。「もう大丈夫だ。安心しろ」


 加奈子は一瞬目を丸くしたが、ホッとしたようだった。そして嬉しそうに、「ハイ」と頷いた。見た目は一丁前になってもまだ子供だな。


「よし、いくか」

 俺は先に車を降りると、周囲の気配を一通り探る。確認を終えて合図を送ると、加奈子も車を降りる。

「かなりの圧ですね」

「そう。これが守護を失った箒森の全霊力だ」


 車を中心として半径20メートル以内は結界が働き、あらゆる霊的存在の侵入を許さない。その外側。結界の境界面には、すでに肉の壁が出来上がっていた。一般人には見えない。俺たち二人の魂に引き寄せられた、大量の魔物の群れだ。


「私このレベル見たことないです、莱児さん」

 そう話す加奈子の口調には緊張の色が見える。しかし、怯えてはいない。このプレッシャーの中でこのコンディション。上出来だ。

「俺もそうそう見ることはないな。相手にすることはない。個体制御の結界張るからその中で動け。馬力のあるやつが来たら、適宜()()()

「了解」

 加奈子は頷くと、両手にグローブをキュっとはめた。

 

 加奈子の魂のノイズが限りなくゼロに収束し、研ぎ澄まされていくのがわかる。俺はこの凛とした波長が好きだ。自分の魂の波長を委ねて、乗りかかるような、眠りかかるようなイメージを持つ。重なり合った波長が生み出す、動と静の中間の平衡状態。合流したせせらぎが描くのは、龍の鱗のように美しく整った波紋。その隆起した一つ一つが、一定のリズムで光を放つ。俺はその水面を下から眺めている。ゆっくりと、沈んでいく。底へ、底へと。もっと深いところへ……。音は消えゆき、光は優しく。静寂と微光。肌を包む心地よい温もり。水の中にすべての感覚が溶け出していく。自分という存在の、境界をなくすように。

 

 すべてを手放す。

 すべてが溶けあう。

 

 すべてを閉ざす。

 ――すべてが視える。

 

 “完成だ”


()くぞ」

 バンッ!と周囲の大気を押しのけるように急速に結界を展開する。車を中心として展開されているものを通り抜け、境界面同士の摩擦でビリリと振動が生じた。


 境界面に触れていた肉の壁は、展開時の最大瞬間威力によりバラバラに吹き飛ばされた。雑魚ならばこの一撃で消滅もありうる。


 道ができたとことを確認し、俺と加奈子は走り出した。同時に、最大威力で膨張させた結界を適切なサイズまで収束させ、安定化(スタビライズ)する。継続的に防御するためには、結界半径を小さく維持した方が耐久性が高い。


 わずかに残っている獣道を、俺たちは一列になって走った。背中は加奈子に預けている。


 結界の展開で腰が引けた魔物たちは木の陰やら上空へと逃げ込んでこちらを伺っていた。それでも完全に距離を取らないのは、俺たち二人の魂が()()()だからだ。


「ホヒホホヒおほヒホウ。オホヒそウ。お、オひヒホウ」

「めんこいネえ。めごいネえ。はし、はシ。あべはい、あべはいネえゑ」

「べしべしべしべしべしべしベベしべシべしべしべしべしンべしべしべしべシ」


 こいつらに知性はほとんどない。人間だったときの記憶も残っていない。ある単一の目的だけによって存在が形作られ、魂を食らいながら生きている。姿はその記憶から抽出された意志の性質を現している。醜くゆがみ、大抵人の形を残さない。しかし、見掛け倒しで大して強くはない。ここにはまだ、雑魚しかいない。


「後ろも空いてます。いけますね、莱児さん!」

 背後から加奈子が叫ぶ。

「今のところな! だが本当に厄介な奴らはここにはいない。今日の本命、柳城守(やなしろもり)が最悪の“パワースポット”だ」


 箒森洞窟まであと五キロばかり。微かだが刺すような毒気を感じる。おそらく手を抜く余裕はない。迷いなく、“使命を果たす”ことを覚悟しなければなるまい。俺はただ、魂を狩る――それだけだ。


 道なき道を走り続ける。今はまだ縋るしかない、運命の糸を手繰(たぐ)るように。


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