プロローグ
圧搾――まるで空間を圧搾するかのように――であった。
ぎゅいと気味悪い音を立てて、それは一瞬にして消滅した。捻じれたようにも、弾けたようにも見えた。
ふと、莱児は右の手のひらに目をやった。琥珀色のやわらかな光がぽろぽろと崩れながら大気に馴染んでいった。
魂をまた一つ狩った。理由は特になかった。
先ほど壊した“それ”が存在を失う瞬間、記憶が流れ込んだ。
“彼女”には強く愛した人がいた。愛は永遠を置き去りにするほど激しく燃え、しかし程なく引き裂かれた。生を終えても、その縁が存在する限り、炎は闇の中で燃え続けた。姿を醜く変えてもなお、待ち続けた。自分を現世につなぎとめていた者を。
――存在を存在たらしめるものは記憶である――
誰かの言葉を思い出した。覚えている者がいる限り、それは存在し続ける。たとえそれがまやかしの記憶であるとしても、存在をつなぎとめる縁として呪いは働く。自分の生に関するすべての記憶が消えるとき――自分は本当の死を迎えることになるだろう。
莱児はいまだに手のひらを見つめていた。すでに光は消えていた。かつてそこに存在していた魂に、意味もなく心を寄せた。そう、意味はない。この心は縁とはなりえない。
『 消さないで 』
彼女はそう叫んでいた。彼女の居場所が――つなぎとめる糸が存在する限り、待っていようとした。それを自分が終わらせた。恨むだろうか。恨みなどできるはずもない。彼女にはもう存在がない。その身を永久に焼き続ける激情の炎を、まるで蝋燭でも吹き消すかのように、あっけなく消して見せた。彼女はもう待つ必要はない。苦しむ必要はない。ならば感謝されるだろうか。だから、そんなことはない。自らが無へと同化した彼女に、無の安らぎすら分かろうはずもない。
自分だけが知っている。間接的に見る、終わりの安らぎを。自分勝手に仮想する優しい締め括りを。まるで自分が導いたものであるかのように。本当に此処にあるのは、終わらせる虚しさだけだ。魂を狩るたびに空虚は膨らんで、気味悪い重力のように胸中で渦巻いて吐き気を誘った。
終わらせたかった。この運命を。永久に続く破壊と後悔の輪廻を。
きっと終わる刹那の営みならば、少しは愛おしく生きられるだろうか。終わりを知るその最期の瞬間なら、優しく人らしく、生きられるだろうか。自分にそれが分かることはない。無限である故に、無知であることを自覚していた。
あるいは身を焦がすほどの愛ならば、永遠という深い闇すらも優しい色に見せるのだろうか。自分にはそれもなかった。ならばなぜ生きてきたのか。分からなかった。
莱児は当てもなく歩いた。幼子がこしらえた砂城を、あっけなく踏んづけて崩し去ったみたいに、救いようのない虚無感を抱いて歩いた。
空を見上げれば、雲に覆い隠された頼りない月が、僅かな明かりを漏らしていた。
もうじき雨が降る。莱児は敢えて歩みを緩めた。傘は必要なかった。