001話 プロローグ
《古代哲学者プラトン「洞窟の比喩」》
“囚人たちは拘束され洞窟の中へ閉じ込められる。
洞窟の入り口に背を向け縛られているため、後ろを振り向く事は出来ない。
背後の入り口から光が入り、彼等は壁に映る「影」を見る。
子供の頃から影を見て育った囚人たちは影の世界を現実の世界だと思う。
我々もこのような認識でこの世界を見ているのかもしれない”
*
空を羽ばたく鴎が……慌ただしく……!
今日は変だ。
砂浜を全力疾走する一人の男。
ここは無人島。男の名はケンジ。記憶喪失のケンジは、なぜこの無人島に一人で生活しているのかを知らない。
これと言ってアウトドアが好きだという訳でもないのだが、試行錯誤の毎日から培われた生活の知恵はその道のプロにも勝る。と本人は言う。
嗜好を凝らせて造った小屋においてもしかり、食材調達に関しても一流である。と自負する。
だが今回、その思い込みにツケが回って来たようだ。事の発端は、今から一時間ほど前に浜で見つけたラグビーボール状の物体を、大きな貝だと思った事にさかのぼる。
フジツボをはじめとするその物体の表面を覆っていた「海の仲間たち」をはがしたとき、古い瓶が姿を現したのだ。
それから数分間、ケンジは瓶を手にしたまま潮風に吹かれていた。
ケンジは瓶の栓を抜きたくて仕方なかった。潮風に頬をくすぐられ、瓶に好奇心をくすぐられるうちにとうとうその栓を抜いてしまったのだ。中から出てきたものは一枚の紙と何かだった。
彼は今、その「何か」に追われている最中なのである。
――その昔、蜂に頭を刺された事を思い出す。最後に頭をブスッっとやられたトラウマも共鳴再生されていた。機転を利かせたケンジは守りから攻めへと戦略転換し、その辺に落ちていた木の枝を拾い香港映画のように機敏に振り回す。
しかし何をどうしても当たらない……人には見せられない形相をし、奇声を発しながら「何か」を追いかけるうちに浜を数往復する。小屋の中も数回経由した。
そのうち諦め、ふてくされたケンジは砂浜に寝転んだ。さっき捨てた紙が目線の先に落ちていることに気付く。自分を追うものとの因果関係を直感したケンジは、紙を手に取った。すると、その「何か」が目の前で静止した……ケンジの様子を窺っているかのようである。
物体は、一円玉くらいの大きさで全体が白い球体だった。正体を目の当たりにしたケンジには、それが玉子に思えたようだ。その性格からワクワクした。
紙には米粒大の漢字がビッシリだった。これから何が起こるのか分からないケンジは、それを音読してしまう。
その瞬間、球体が二つに割れたかと思ったら、中から小さなお婆さんが飛びだした! ケンジの目の前にふわふわと浮いている。
「久し振りの太陽……良い天気じゃ。おまえは勇気あるのお!」
〈叩こうとした事か?〉
と、思い当たる行動を振り返り、ケンジは勝手に納得している。
「まあね、こんなもんですよ。あなたは誰ですか?」
「無礼もの! 人に名前を聞く時は自分から先に名乗るもんじゃぞ」
「現状把握が先だろ!」
そう言いかけそうになるも、ケンジにそんな勇気は無かった。
そこでケンジは、「お婆さんの怒りと、自分の個人情報に触れない範囲で何か言おう」と考えたのだが、そのような宝物は持ち合わせていない事を思い出し、却って虚しくなる。
――当たり障りの無いトークを選択した。
「良い天気ですね」
「それはさっきおらが言ったじゃろ」
「じゃあ何を話せばいいんだよ!」
と言いかけたが、これも思考の中での発言に留まった。
――人は時に「これだけは言ったら駄目だ」と、事前に空気を読むものだ。しかし極端に「言わない」と意識すると次のような結果になる。
「……とても小柄ですね」
褒めたつもりが貶す言葉になってしまい、ケンジはあたふたする。事態が悪化する前に次の言葉を探すが、もはやその挙動は危険信号を発していた。
「かっこいい玉子ですね!」
一応彼は主人公だ。だがここまでのおバカさんが、この先のストーリーをリードしていってくれるのだろうか……しかしお婆さんは、以外に機嫌を良くしたようだ。
「よくおらにそんな事が言えるのお。伊達に伝説の器じゃないのお、はっはっはっは」
「今がチャンスだ」と思い、深入りする前に逃げようと試みるケンジ。
「お婆さんの事はこれでよく解りました、そろそろ瓶に帰りましょうか?」
「馬鹿者! おまえには運命があるのじゃ! 逃げるでないぞ!」
「チンプンカンプンだ……勘弁してよ」
腕を組んで話す小さなお婆さんは、ケンジの逃げ道をさらに狭めた。ケンジが記憶喪失である事も言い当てたのだ。「うっとおしいな」と思いながらも、自分の事を言い当てられる内に、ケンジはお婆さんを只者ではないと認めてしまうのだった。
「付いて来い」
そう言うと、急にふわふわと動き出したお婆さん。ケンジの小屋へ向かっているようだ。「せめてかわいい女の子だったら騙されても良いけどな」と、頭の中で勝手な論争を交わしながら、渋々付いて行く。
二人が小屋に付いた時、ケンジはお婆さんの指示通り紙を瓶の中に入れた……。
「冒険の始まりじゃ!」
「うわあ!」
小屋の戸を閉めた矢先の事だった。お婆さんは、組んでいた腕を勢いよく広げたかと思ったら、その腕で弧を描き始めたのだ。「ついに始まったか」と思いながらも、実は何が始まったか分からないケンジは、目を点にして眺めていた。
ものの数秒後には、怪しげなお婆さんの動きに支配されたかのようにケンジの身体が「ガクン」と軽くなり、宙に浮いてしまった。あんなに小さかったお婆さんの姿も大きくなった。いやケンジが小さくなっていたのだ。
みるみるうちに上昇したかと思うと、島の景色が眼下に広がっていた。自分が小さくなった事で、等身大になったお婆さんの顔がいかに真剣だったかを知ったケンジだが、真剣な顔のまま、ふわふわと風に揺れるお婆さんの姿が面白くて吹き出しそうになる。
「自分の姿はどうなんだろう」と想像すると、「プププ」と漏れてしまうのだった。
そんなのんきなケンジだったが、見慣れた島全体が一望できる事には驚いたようだ。
「色んな動物がいる……!」
「光になるのじゃ!」
「ちょとやめてよ……」
同じ島に住む動物たちの存在を知って親近感を抱いていたケンジに、お婆さんが抱きつき叫んだのだ。
お婆さんはものすごいスピードで飛び始めたようだ。目を閉じているケンジの頭の中では加速音が鳴りはじめている。その音は次第に高音になり、一つの線のように繋がった。
やがて何かが爆発したような閃光を感じたケンジは恐る恐る目を開いた。しかしぼやけて何も見えない。
「何だこりゃ?」
「時速十億八千万キロ! 光の速度じゃ!」
「何だって! 危ないよ止まって!」
光速で飛んでいた事を知ったケンジは、余裕を失った。お婆さんはその姿を見て心配したのか、速度を落としはじめた。
――その情景が真相を明らかにする……回転速度を落としたコマが止まりかける時に、その絵柄がはっきりしてくるのと同じような光景に、ケンジは驚いた。
「うわーすごい」
ケンジが見たコマの絵柄は地球では目にできないものだった。そこは果てしなく広がる宇宙だったのである。「息をしなくて良いの?」と今頃心配しながら、キラキラ輝く星に感動しているケンジ。だが、驚くのはまだ早かった。
ケンジが後ろを振り向いた時のことである。特別な存在感に溢れており、寡黙ながらも説得力があるものを見た。
そしてどこか懐かしく思える星、地球だったのだ。お婆さんはケンジを宇宙へ連れだし、地球の周りを回っていたのである。
――近くで見ても無造作に塗られただけの絵の具。名画は離れて鑑賞した時、その意味を明らかにする。
「地球」という名画に選ばれた絵の具の一つには、人類と言う色がある。その色は名画の意味を描写しているのか……寡黙ゆえ、喜怒哀楽を語りかけない抽象画だけに説得力のある地球。
他の色と調和しない色はいつか消し落とされてしまうのか。それとも他の色までもが。即ち、価値を失った名画そのものが捨てられてまうのか……。
遠くから地球を眺めるケンジも、本人なりの感性でその意味を感じ取っていた。夏の国と冬の国。夜の世界と昼の世界。光と闇を同時に捉えるその視点は神のそれと同じとも言える。
「こんな小さな地球に住んでいたのか……」
目を閉じれば、数分前まで見ていた島の風景が鮮明に浮かび始める……しばらくして目を開くと、鳥肌が立つ。
小さくなったケンジが眺める地球もまた小さい……ここにはある。大きく変わり始める小さい何かが。
「おまえにこの地球の運命を任せた」
「はい分かりました。たった今、その運命を受け入れました」
「あまり調子に乗るでないぞ!」
ケンジはさっきまでの態度をころりと変え、異様に熱くなっているようだ……いつものような思い込みに浸っているに違いない。
「もっと遠くへ連れて行って下さい!」
「駄目じゃ、まだその時ではない」
「じゃあ一人で行く!」
思い込みにより、興奮状態のケンジは暴走を開始する。「光速体験から重力抵抗を制御する方法を体得した」との有力(?)な本人情報から、無謀行為が展開されて行くのである。
「人の言う事を聞かんか!」
返事をしないケンジ。いや聞こえていなかったのだろう。あるものが視界に入っていたからだ。それは地球上で見て来たものよりも、遥かに大きく綺麗な月だった。
「ひゃっほー」
思った通りに体がスイスイ動いて行くので「これは面白い」と夢中になるケンジは、お婆さんの事を振り向きもせず、宇宙の開放感に酔いしれながらグングン加速する。ただ加速出来る事がスゴイと思っているのだ。
遠くに見える月が次第に大きくなって行き、後ろにある地球は次第に小さくなって行く。お婆さんの姿はもう見えない。
「すごい……こんなに大きかったんだ!」
月を間近にケンジはその大きさに興奮した。虜になったケンジはそのまま月の裏側にも行ったが、そこを悲しい場所と捉えた。
癒えていない古傷のようなクレーターが無数にあったからだ。
月の観光に飽きたちっぽけなケンジの頭には、次の目標候補が過ぎっていた――好奇心の赴くままに暗黒の中に消えた……。
ケンジには、あの加速音が聞こえはじめていた。
「光速に達したな、火星を目指すぞ!」
星の光に見惚れながら全力で飛ぶその姿は「無謀」の代名詞そのものだった。
「おかしいな……火星は何処だ?」
火星を見つける事が出来なかったケンジは不安に駆られはじめる。
「火星には行けずとも火遊びが過ぎたな……上手い!」
そんな事を言うケンジからは虚無感しか漂っていない。そのうち後悔し、お婆さんの事を思い出した。
「戻って謝ろう……あれ?」
推進方向を変えようと振り向いた時、ケンジは恐怖に震えあがった。どこを見ても同じ風景なのだ。月も地球も見えず、見た事もない星だけが無数にある。上も下も無い宇宙だから、寝てるのかも立ってるのかも分からなくなったケンジは、この時初めて重力の大切さを実感した。
「記憶を取り戻せないまま死んで、宇宙空間を永遠に彷徨うのか……いやだ!」
ケンジは死の恐怖を紛らわすために加速する。それは何日間にもおよぶものだった。哀れにも、そこがすでに太陽系を越えたいうことを知るすべも無く……。
「オラァァァァァ!」
恐怖を紛らわそうと叫ぶが、「誰も僕を見つける事は出来ない」という絶望感が頭を過るたびに、それは涙声に変わったのだった。
「アアアーーーー」
――そんなある日。ケンジは幸運にも変わった場所を見つけた。星が躍るかのように見えるその場所は、お婆さんのような雰囲気を示していた。嬉しさの余り、目に熱いものを感じながらその場所へ向かう。
「絶対おばーさんだ……あれ? うわーー!」
止まろうとしてやっと異変に気付いたケンジ。強烈な力が働いており、止まるどころか引っ張れているのだ! そこはブラックホールだった……。踊っているように見えた星や宇宙の浮遊物が、その中に吸い込まれ消えて行く。
「助けて!」
叫び声までもが闇の先の「無」へと吸い込まれるかのようだ……踊る星と同じ運命になるのを待つしかないケンジ……。
そこまでの距離が縮まるほど、その引力も増幅するのである。その時、あの声がケンジの耳に聞こえた。
「コラッ!」
「お、お婆さん?」
なんとそこには、ブラックホールの引力に平然とするお婆さんがいた。
「早く助けてよ!」
「はいはい」
ブラックホールの引力に身を許し、お婆さんは一瞬にしてその中に消えた……すぐに引力が治まった。
「スイッチを切って来たぞ」
ひょっこり出て来たお婆さん。放心状態であるケンジをよそに何ともない。
「おらの考えを読めない内は、おらの庭をひとり歩きせんこっちゃ」
「自分の事ばかりを考えていた」と思い知ったケンジ。自己嫌悪から全てを忘れようと決める……。
「この運命は僕には相応しくない、島へ帰る」
「気の毒じゃな」
愚かなケンジは、この後その意味を思い知らされるのだ。
「じゃあ連れてってやる」
お婆さんはゆっくりと動き始めた。ケンジはそんな剣幕なお婆さんに気を遣う。本当に島へ帰れるのか心配するが、自分がどこに居るのか分からないケンジは付いて行くしかない。
「何故ゆっくり飛んでるの? 速く行きましょう!」
「速く行くのではなく、早く行くのじゃ」
深海に揺らぐ二匹のクラゲは、これから何ヶ月間もゆっくりと暗黒の中を漂流することになった。宇宙の事が大嫌いになったケンジは慣性に身を任せて飛ぶコツを覚え、やがて居眠りをするようになる。
ケンジが留守にしている間に何者かが小屋へ侵入していた。ケンジが作った家具や器、調理器具、そして備蓄してある干物、漬物などを盗んでいる。島での孤独生活の中、試行錯誤で培った知恵で築き上げた財産を、血も涙も無い人達が奪って行く。
全てを物色した後、ケンジが愛する小屋を躊躇う事無く破壊し、それを快楽にしている盗賊達がそこには居た。
ケンジが小屋へ帰って来ると、彼らが自分の小屋に手を掛けていたので、ケンジの怒りは爆発した。
ケンジは勇敢にも彼らのリーダー格であろう、ひときわ体の大きい男に飛びかかる。
盗賊の懐に飛び込んだ時、古い血、新しい血、酒の臭い、そして盗賊独特の体臭が混ざった異臭がケンジの鼻をついた。その盗賊は力が強く、簡単にケンジの頭を片手で鷲掴みにした。
宙吊りになったケンジがもがいていると、盗賊はもう片方の手で腰の辺りから何かを持ちだした。
「そんなに降りたいか、望み通り体を地面に落としてくれるわ! ガハハハ……」
盗賊が振りかざした腕の先にあったのは、まだ血の付いた斧だった。その斧は死神の鎌のようにギラギラ光りながら、ケンジの首元へ迫ってきた……ケンジは必死に暴れる!
「大人しく死ね コラ!」
その瞬間から、ケンジの意識が遠くなりはじめた。
「コラ……」
盗賊の声はだんだん小さくなって行った……。死んだはずなのに、海賊の声がまだ聞こえる事を不思議に思いながら、まどろみの中を右往左往する。
「コラ……もう着くぞ!」
「はっ?」
悪夢から解放された事に気付いたケンジ……心臓がバクバクしている。
辺りを見回すと、お婆さんの優しい顔と、遠くにあの地球が見える。
「ありがとう……」
お婆さんに言ったのか。地球に言ったのか。感無量のケンジ。
「さあどうするのじゃ! 運命に背くならここでさらばじゃ!」
もう一度今までの事を振り返ったケンジ。しばらくして、お婆さんとその向こうにある地球を見ながら答えた。
「帰ります!」
「じゃあ、そうするが良い」
……お婆さんは消えた。
――ケンジが地球へ近付き始めると、地球と島に対する郷愁が込み上げてきた。人工衛星を横切り、間もなくすると大気圏を通過した。激しい空気の動きを「生きている」と感じる。
まるで、大きなプレゼントを包むかのように広がる雲の層を突き抜けると、群青色の海が見えた。ワクワクしながら目を凝らすと、数え切れないほどの細かい白波が止まって見える。
「近くで見たらきっと大きな波なんだろうな……」と、懐かしい地球の匂いと音を感じながら、大海原にポツンとある島を見つけた……ふわふわと降りて行く。
「ここが自分の場所だ……」
数か月間にもおよぶ宇宙旅行から帰って来たケンジは、やっと地に足を付ける事ができた。背丈よりも高い貝殻や、砂利や石ころで出来た丘が、佇むケンジの周りに広がる。
その瞬間、ケンジの体が「ガクン」となった。さっきの貝殻が、つま先の前に転がっている。石ころの丘は砂浜になった。体が本来の大きさに戻ったのだった。
ケンジが心配していたのとは裏腹に普通に立てた。深呼吸をすると、酸素が肺胞へ吸収された。二回目の深呼吸は青い空を見上げ、宇宙での出来事を思い出しながらだった。
「地面に立って普通の生活をする方が幸せだ」
そう思っていたケンジを異変が襲う。小屋の前まで来たとき、ケンジはその変貌ぶりに驚愕した。小屋が別の小屋になっているのだ。いや確かにケンジの小屋だ。
しかし屋根のヤシの葉は灰色に色褪せ、外壁も所々めくれている。古くなっているのだ!
「嫌な予感がする」と思いながら、恐る恐る戸を開けたケンジ。すると出た時と同じ状態で、家具などが整然としていた……いや違う! 机には埃が溜まり、壁や天井にはクモの巣が張っているのだ。
もう一つの異変に気付いたケンジは自分の目を疑った。あの瓶が無くなっているのだ。お婆さんの瓶を預かる約束をしていたケンジは、出発前にお婆さんが言った事を思い出していた……。
“おらと離れても瓶を無くすなよ! いつかおらが役に立たなくなったら、また瓶に入れて海に捨てるためじゃ――”
途方に暮れ立ち尽くすケンジ。しばらくすると、外でざわめく音が聞こえた。「何だろう?」と思いながら外に出る。次の瞬間、死の恐怖がケンジを襲った。
小屋の周りを何者かが囲んでいるのだ……しかも木の後ろや岩の陰にも数人隠れている。彼らは、裸に近い恰好にボディーペインティングが施してある、いわゆるインディオだった。
白く塗られた顔に、爬虫類の様な鋭い眼でケンジを狙っている……。
〈殺される!〉
インディオたちは、標的を定めるようにその視線でケンジを刺しているものの、ピクリとも動かない。獲物を狙う肉食獣のように、じっとケンジを睨んでいるのだ。
長時間立ち続ける事ができないケンジの足はとうとう崩れた。その瞬間、今まで動かなかったインディオたちが、一斉にケンジの方に駆け寄ってきた! その数は十人位。
ケンジは「戦っても勝ち目はない」と悟り、恐怖の余り後ずさりをした……不幸中の幸いか、そのまま小屋に入る事が出来たのだが、この小屋には錠が無いのだ……。
ケンジは小屋の隅に蹲り、死の恐怖に怯える。時間が過ぎて、やはり不思議に思う。何時間経っても彼らは小屋の中に入ってこないのだ。
〈もう居なくなったのか?〉
安心しはじめたケンジが壁の隙間から外の様子を窺った時、死に対する恐怖は極点に達した! インディオの数が増えているのだ。
〈煮られるのか、焼かれるのか……〉
インディオの異様な姿から、ケンジは彼らの素行を想像した……殺される事を不安に思う。
〈死にたくない!〉
「運命に背いた天罰だ」と悟ったケンジ……やがて陽が落ちて夜になった。小屋の外には、その顔だけが不気味に白いハイエナたちがケンジを狙っている。
そして、夜が明けても彼らはケンジを監視していたのだ。その後もインディオの数は増え続けるばかり……。
二日目の夜を迎え、恐怖と空腹の限界でケンジの意識が朦朧としはじめた。
脱水症状に陥ったケンジの身体は、生命の危機に晒されていたのである。何を狂ったか、ケンジは小屋の外に出てしまった。
「もう、好きにしろ……」
ケンジは小屋を出るとすぐにその場に倒れてしまった……。インディオたちはその時を見計らっていたかのように、奇声を上げながらケンジのところへ駆け寄ってきた! その数はゆうに百人を超えている。
ケンジに駆け寄る彼らのその姿は、死肉に群がるハイエナそのものだった……




