木星からの力
エイヂマス・アゥルカフの部隊の前線基地に、馬に乗ったドミニクが参謀と共についたのは、空が明るさを塗料を全て混ぜた色に身を委ねた夕暮れ後だった。森の中の獰猛で邪悪な生き物が活動を始める時間帯と重なっていた。人智を兼ね備えた毒虫に狙われないように、露出した肌をサポーターで覆い、衛生兵が抽出した虫よけの薬剤を首筋に塗布した。
「ここいらは、変な生き物が多い様だのう」薬剤の臭いに閉口したドミニクがたまらず口を開く。
「森のあちこちには、獰猛な半透明のゲル状の生命体もいて油断が出来ません」衛生兵が森の東部の生命体の種類について語った。その生物は水たまりのように地べたに潜んで、通りがかった人の皮膚に透過する麻痺性の体液をすりこんで倒れたところで呼吸器をふさいで窒息させる恐ろしい存在だった。
森には、ハートバルクの住民には想像もつかない害獣がたくさんうごめいている。もし命の危険を顧みない生物学者がいたら、彼は死ぬまでこの地に逗留することになるだろう。それだけ、生物と思わせない形状の生命体がいる。ただの切り株や岩だと思ったら、触手を出して威嚇してきたという兵士の体験談が残っているぐらいだ。未知の生命は、ドブリジューカの城を守るために存在しており、兵士たちにとってはそれだけで脅威となる。
「でも、ドミニク様の力をもってすれば、敵兵だろうが怪物だろうが、殲滅できますよ」
口元にひげを蓄えたエイヂマスがいつの間にか傍らに立っていた。彼の顔は今までの戦闘の疲れを額の周囲に貼りつかせながらも、客人を不安にさせない様なとびっきりの笑みで迎えてくれた。
「小鬼には効いてた攻撃も、水のような生物に効くかはわからぬ」ドミニクは目を閉じて、かぶりを振った。その表情は、あまり買いかぶらないでくれと語っているようにエイヂマスには思えた。
「出撃は、夜の方がいいですかな。星は夜にならないと出ませんから」エイヂマスは、気を回してドミニクの返答をうかがう。のどが渇いているのか、水筒から水をついではちびりちびりと飲み干している。
「空に星がある限り、昼でも夜でもかまわぬ。星は我を見続けておる」ドミニクは閉じた目を静かに開くと、エイヂマスの方に顔を向けて自分の意思を伝えた。星が味方をするという自信に裏打ちされたドミニクの落ち着いた心象は、エイヂマスに残されていた「女性でしかも戦闘経験なしで大丈夫か」という気分を打ち消していた。エイヂマスは、自分の気持ちが見透かされたことを恥ずかしく思って、照れ笑いを浮かべると詰め所に戻って行った。
ドミニクが前線基地のテントで眠りにつく頃。魂はドミニクの心から這い出して、ある男とパイプをつなぐ工作を始めた。ドミニクの魂はニューロンを思わせる腕のような半透明のラインを、ドブリジューカの城へと伸ばしていく、眼に見えないアンテナのような突起は、敵兵も毒虫も半透明の液体生物にも気づかれることもなくやすやすと、森を通り抜けていった。この世にあるが、あの世にも通じる何かは、多層化した世界の中で存在を許され、デシクとの交信を試みている。ドミニク本人は、そのことを知らない。
*
エイヂマスは、選りすぐった夜襲の兵たちを森に侵入させる。夜の森は危険がいっぱいだが、相手側の心理を読み、昼に続けての連戦を選んだ。果たして敵軍は夜襲に気が付くのだろうか。気づいたところで敵の術であるワイドアングルは夜には効果がないと踏んでいる。
だが、予想に反して自軍の兵は目を撫でられ、冷静さを失っていた。自分の後頭部まで視野が広がる経験は、兵士の脳に大きなダメージを与えるらしい。やはり、視覚から状況を判断できないのは大いなる混乱をもたらすようだった。エイヂマスがドミニクを見ると、彼女は手を合わせて目をつぶり、心を鎮めている最中だった。やがて天空に今まで見たことのないような大きさの木星が映し出されていた。初めて見る木星の縞模様、敵の術者も驚きのあまり星を見つめていた。
ダララッと音がして、何かが畳まれるような音がして、ふと見まわすと敵の術者の体に縞模様が映り込みそこを谷にして体が蛇腹のように織り込まれていった。一体ずつ敵の術者の体は折りたたまれて小さくなり、塊と化して動かなくなった。
エイヂマスは、改めてドミニクの与えられた力に驚愕していた。頭の冷静な部分では、今後の部隊の進捗状況をつぶさに試算していた。この夜を期に、両国の力関係は逆転した。歓喜沸き立つ自軍の勝利に、ドミニクも喜んでいたようだったが、ビリーへの恨みから来る復讐的な心に対しては少し後ろめたい気持ちも残っていた。もともとマーロでは物足りなくて、ビリーの知的な部分に惹かれたのではないかと思い始めている。揺れた心は水面に波紋を残し、大きなうねりとなって仲を引き裂いていた。
どうしても一人の異性では埋められない心の飢え。捨て去るだけでは消えない異性への欲、それを目の当たりにすることが現世での課題だったのかもしれない。ドミニクが過去に得たという悟りへの道は、ただ欲望を捨てただけの行為だったのか。恋愛を拒絶することは簡単だが、一度燃え盛った心を無にするのには時間がかかる。これが、今取り組まなければならない課題ではなかったのか。
過去生で高僧として、悟りまであと一押しという所で、上の物が与えた試練は、乙女から始める恋心の処理だったのだろう。恋の炎に身を焦がして、元聖職者でありながら敵を追い詰めるところまで来てしまった
自分の立ち位置にドミニクはかすかな混乱を感じ始めていた。




