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異世界転生、最後の修行  作者: 地淵育生(ベリー)
女性として生きる
16/29

和議と戦略と



「デシクの使者だと」

ハートバルクを束ねる首長、建民党の党首であるフィッソラ・ガーネットは、新聞を手に持ったまま振り向いて、怒気を含んだ声を通す。持っていた新聞紙の一枚がかすかにふるえた。


「今回の一市民の犠牲の件を詫びたいと。それから、領土拡大の意志がない事を伝えたいと申しております」

 受付係の、男はフィッソラに対して接見のお伺いを立てた。フィッソラは、議会の意向を伝え、使者を追い返そうとしたが、ふと思うことがあり、腹心のトーマス・ラッセルを呼んだ。


「ドブリジューカの使者なら無下に追い返すわけにもいかないでしょう」

 もみあげを蓄えて貫禄十分な紳士、トーマスは相手の移行を聞いたうえで主戦論は動かないとの意思を示した方がいいと伝えた。


「もし、使者が譲歩した場合は、突っぱねればいいのか受け入れればいいのか」

 フィッソラは万が一の可能性について助言を仰いだ。ドブリジューカ原産の宝石が譲渡される可能性があったからだ。夜が潜む森の奥地には、肉を切り裂く剣が峰とよばれる山地があり、そこの鉱脈には様々な宝石が眠っているという。ドブリジューカと国交のない国では闇で取引される。これを正当な手段で手に入れられれば莫大な利益になるからだ。


 「いずれ、戦乱になればやがては我が物になる鉱脈です。ここは強気にまいりましょう」

 あくまで主戦派としての立場はゆずらないトーマスだった。


 やがて、応接室に一人の紳士が現れた、髪を寝起きのまま手ぐしで逆立てたような髪型をし、シャツのボタンは一つ外れてかけあわせてあった。一般人にはよれよれでだらしなく見える服装が、ドブリジューカでの正装なのである。


「私は、使者のエーザイブ・ヒッシャルと申すものです。この度は我が国の一部の逆臣のせいで、あなたの国の一市民に大変なことをしでかしてしまい。誠に申し訳ございませんでした」

 使者は深々と頭を下げた。頭髪から香油の匂いが広がった。


「詫びだけじゃすまないぞ。一人の命が奪われたのだからな」フィッソラは強く主張するため語気を荒げている。気圧されたのか、エーザイブは後ずさりした後、体勢を立て直して、従者に「例の物を」と告げた。やがて、従者は両手で抱えるぐらいの大きさの箱を持ってきた。開けると中には、色とりどりの宝石の原石が転がっていた。


「こんな物ぐらいで誤魔化されるか」箱を蹴飛ばすフィッソラ。従者が慌てて箱からこぼれた原石を拾った。フィッソラは、応接室の皮の椅子に深々と座ると、おごそかに、かつ威圧的な声でゆっくりと語りかけた。


「議会では、ドブリジューカとの開戦を論議している」

エーザイブと従者は青ざめて、床にはいつくばって許しを請うた。しかし残念ながら宝石の交易に関する提案は出てこなかった。


「覚悟しておくがよい。宣戦布告と共に精鋭部隊が、ドブリジューカに攻め込む手はずになっておる。それまでに天を仰いで未来を占うがいいさ」

フィッソラは、トーマスに交渉が決裂したことを告げると、次の議会でドブリジューカへの開戦の決議をとるように要請した。エーザイブと従者は、全身の力が抜けたようになり膝を笑わせたまま自国へと帰って行った。





 ドミニクの心の中では、二つの心が陰陽の図式のように争っていた。お互いの口がお互いの尻尾を飲み込むように、争いと諦観、全く真逆な心象が制海権を求めて、激しい戦いを繰り広げていた。


「私が我欲を捨てずに若者に恋をしたのが間違いだったのか」と一人のドミニクが自問自答すると、もう一人のドミニクが「人の命を奪う奴が悪い。復讐せよ」とけしかけるのであった。


 ドミニクは地下水をくみ上げて、浴室で頭から浴びた。心身を冷やして、冷静に考えようと努めた。だがもう一つの欲望が熱暴走を始めて収まりそうにもない。火衣に包まれた虎のような獣は心を焼き尽くして、組み伏せようとしに来る。ドミニクは魂を開き、内部に身を潜ませる。この空間ならば復讐心に燃える獣は寄って来ない。


「魂よ。私はどうしたらよいのか。荒れ狂う心を鎮めるにはどうすればよいのか」

その問いは、魂の間に置かれた一面の水鏡を通じて吸い込まれ反射して、わが心へと戻って行った。

「魂よ。私はどうしたらよいのか。荒れ狂う心を鎮めるにはどうすればよいのか」

先ほどと同じ問いかけが、全く同じ心境をまといながらも解いた心へと戻って来た。


「やれやれ、策はないと申すか」

 ドミニクは解決策を得ることを諦めて、胎児のように丸まって魂の魚籠の中へ身体を深く押し込んだ。ふと、マーロに出会った時の心の火照り、微熱に覆われた身体、弾む心が蘇ってきた。


「思えば、この感覚にまどわされていたのかもしれぬ」

マーロとの恋愛を一時の気の迷いとして、押しとどめようとした時にふとビリーの姿が出てきた。彼との語らい、宗教的な対話は、まったく同じような感覚を呼び覚ました。


「二人を相手にするのは、倫理的によい行いではないが、私もよくもまあ、俗な世界に入り浸ったものよのう」

と語ったとたん。自分を包んでいた魂が弾けて消えた。浴槽の中で気が付くと、中空に『愛』という文字が浮かんで消えた。


 僧侶として前世を生き、あらゆる煩悩を捨て去ったと自覚していたドミニクの眼前に現れた『愛』という単語は、果たして彼女に何をもたらすのか。ドミニク自身もまだ気づいてはいなかった。それは、生まれたての『愛』だったから。

 


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