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異世界転生、最後の修行  作者: 地淵育生(ベリー)
女性として生きる
11/29

捨てられない恋心

 転生したら過去生の記憶は消え、新しい人格が人生を支配することになる。その時々で、生活の彩りは万華鏡のように変化し、無垢の民は翻弄される。ドミニクも例外ではなかった。かって高僧として名をはせた彼女は、一人の乙女として、今生を過ごしていた。生きるための営み、勤労者としてのわずかな負担。そのことを苦とは感じないのだけれど、現世では潤いを求めていたのかもしれない。彼女は恋に落ちている。


 過大な力を得た故に、ドミニクの存在を訝しげに感じている者共がいる。彼らは、彼女の力を削ぐために画策を始めていた。魔国の王、デシクも、ドミニクもそのことを知らない。病変が健康な細胞を少しずつ犯していくように、バザ・ギャリは計画を練って、彼女の力を封じるための策略を講じ始めている。


 リヒータナには旅人が多く行きかう。その中にひときわ目立つ若者がいた。朱色のつばの大きい帽子に透き通った薄青い羽根飾りをつけ、玉虫のボディのように光沢のある上着をまとった男性。名前はまだ知られていない。ひときわ目立つ存在に、街の娘たちの目は、壁に刺さる魔術師のトランプのように、男性に集中した。


 男の名前はビリー・ウィルヘム。柑橘系の香水を身にまとい、デッサン人形のポーズを思わせるきっちりとした身のこなしで目立つ。言葉巧みに、町娘を口説き決して安くはない宝石を売りさばいた。


 目の覚めるような青い鱗粉をまとったシジミチョウのような、派手な男の噂話は、人を巡ってドミニクの耳にも入った。だが、彼女には想い人がいる。マーロの存在を片時も忘れることはなかった。しかし、偶然か必然か、二人は磁石が引き寄せ合うように遭遇した。


 真夏の買い出し、市場から離れて、日差しで火照った身体を公園の噴水の近くで涼めている時、大きな日影が現れてドミニクを包んだ。一瞬のことに驚くと逆光の中に微笑む目が彼女をとらえた。


「お荷物、お持ちしましょうか」

溶けかかった煉瓦のような低音の声が、男くささを伴って耳介を心地よく震わせる。普段は、マーロ以外の男性には警戒し遠ざけるはずのドミニクが、男の提案を受け入れてしまった。一瞬の気の迷いに彼女の心はざわめいた。


「すまぬ。世話になる」

 気を落ち着かせたドミニクは、頭を少し下げて、荷物のうちの一振りをビリーに手渡した。ビリーは軽く肩に担ぐと、ドミニクの前を歩いた。長身から染み出た影が、日差しを遮り心地よい空間を創った。


「そこの角を右へ」

 ドミニクの指示を受けて、ビリーは、道を従えて目的地めがけて軽い足取りでたゆまなく歩く。道中の会話は弾み、純粋なマーロとは違った魅力を、ドミニクは感じていた。


「あなたのように何にも執着をしない生き方はすばらしい」

「よさぬか。照れるではないか。それに執着も少しはある」

 自動的にマーロの姿が脳裏に浮かびあがり、心を見透かされまいとドミニクは視線を彷徨わせた。


「恋は執着ではありません。愛に変わる心の種子です」

 少しきざったらしいセリフだなと感じてはいたが、不思議とドミニクは悪い気はしなかった。


「それにあなたは欲がない。欲望を捨てて愛に殉じるのは素晴らしくないですか」

 ビリーの言葉を聞き、ドミニクは考え直した。愛は欲望でも煩悩でもないのではとの疑問は、風船のように膨らみ始め、彼女の心を占領した。


 やがて緑色の屋根が見え、彼女の住まいに着いた時、彼は帽子を片手に、ドミニクの身体を仰いでくれた。さわやかな果実の香りが鼻孔をすり抜ける。


「ありがとう。礼を言おう。何なら料理をおごってやってもいいが」

「それには及びません。ミス・ドミニク。あなたのお役に立てただけで嬉しいのです」

 ビリーは、恭しくお辞儀をすると、元来た道を去って行った。

ただ、それだけの邂逅なのに、ビリーのたたずまいはドミニクの心深くに、憧憬の種を残したのだった。



 ドノバンは、魔王の国ドブリジューカから、一人の密使がやってきて工作を行うという噂を嗅ぎつけていた。その場合、ドミニクが狙われるであろうことは織り込み済みだったので、それとなく忠告をしようと店に寄った。


 いつものように、出来合いの定食メニューを頼むと、今回はアルコールを頼まずに切り出した。

「ドミニクさん。怪しい男性に出会っていませんか」


 ドミニクは一瞬自分の心が見透かされたと思い、数秒間絶句した。その後すぐに否定する意を告げたが、ドノバンはわずかな間も見逃さなかった。

「気を付けてくださいよ。魔王の手下かもしれません」

「魔王は領土的野心を持たぬはず」

「私が思うに、デシク・ジークァは、部下を掌握しきれていません。もしデシクの方針に反抗的な者がいたら、どうなるのでしょうか」

 ドノバンは、別の可能性を示唆した。つまり戦争である。


「派閥だけでは戦争はできぬ」

 ドミニクは、即座にその可能性を否定した。ドノバンが父親に働きかけて宣戦布告をするように議会を誘導するとも限らなかったし、マーロの身も案じられた。と、その彼に寄り添うようにビリーの姿が浮かび、心が静かに叫んだ。


「部下の大半が主戦論に与したら、デシクと言えども従わざるを得なくなるでしょう」

 なるべく冷静に説き伏せようと狙い、ドノバンはなれない水で喉を冷やした。のどぼとけがゆっくりと動いて水を胃に落とし込む。


「こちらから仕掛けねば、戦にはならぬ。ドノバン、変な気は起こすなよ」

 ドミニクは、脳裏に浮かんだビリーの影を振り払うかのように、首を振って記憶をかき消した後、ドノバンに強く言い放った。


「あなたも浮気などなさらぬように、お願いいたします」

 ドノバンは最後の水を飲み干すと、緩めていたネクタイを締め直し、勘定を払って、立ち去って行った。

残されたドミニクは、心に巣くおうとしつつあるビリーの陰影を必死に振り払おうと、観念の中で格闘していた。


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