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異世界転生、最後の修行  作者: 地淵育生(ベリー)
女性として生きる
10/29

生まれ変わりの恋

 マーロ・シャンロゼは、リヒータナの町のはずれにある土地の地下深くで、氷室の管理をしている。彼は氷系の魔法が少し使えるので、地下の貯水池に水を貯めておいて、少しずつ冷波動を当てていくことで、真水を凍らせて予備に当てる。


 「いにしえの地を席巻する氷河の息吹、空のむせび泣く雨粒を氷雪に変え、我が大地を凍えさせることを願わん」

 呪文を詠唱して両手に念を送ると、空気中の水蒸気が熱を奪われて寒気に変わり、水面を冷やす。数分後、水面に透明の膜が張り、白い軌跡が縦横無尽に液体を縛り、中央に寄せられた氷が盛り上がって凍結した。空気中の熱を吸収したマーロの体は熱い。

 

 氷割り器を持ち、凍てついた表面に杭を打ち込むと、稲妻状のひびが入り、個々の塊へと分断されていく。

マーロは一仕事終えると、氷の塊を荷車に積み、スロープを上って地上に出る。各戸へ氷の配達に出かける。

性格は大人しい男だが、日々の仕事で鍛えられており、服の上からでも、無駄のない肉体は観察できた。それでいて、奢った所や猛々しさがないのがマーロの取柄でもあった。


 最後の配達場所、ドミニクの店に着くと、彼女から、散歩に同行するように頼まれる。普段は、無表情でどこか達観したような女性だが、マーロの前では初々しい花売り娘の様な表情を向けてはにかむのだった。


「ちょっとの間でいいから、散歩に付き合ってくれぬか」

「いいですよ。ドミニクさん、行きましょう」


 ドミニクは、女性の体を手に入れてから戸惑っていた。前世の記憶は消え失せたとはいえ、我欲に関しては何のこだわりも持たないように成長しているはずだった。なのに、マーロの前では、俗人だったころの感情が、春に芽吹く草花のように、聖人の心の蓋を押し開けて、気持ちを占領し、気恥ずかしさと淡い恋心が、悟っているはずの水鏡の様な平面に波風をたてるのだった。


 彼女は、それとなく魂に尋ねているが、魂は無言のまま彼女に対して方向を示唆した。曰く「恋せよ乙女」


 この世が修行の場であるならば、全ての欲を捨て去らねばならないが、マーロへの気持ちは日増しに拡大して、心を占領して行く。彼が引く荷車の音が聞こえただけで、全身が脈打って駆け出しそうになる衝動にかられた。


 リヒータナの町を、歓談しながら歩く。適当な所で休憩を取り、公園で色水を飲む。普通の会話をしているだけなのに、心が打ち震えるのはなぜだろう。ドミニクは、疑問を抱えながらマーロの顔に目をやる。グレーの頭髪が、風に揺れて、黄色い瞳が日食のように隠れては顔を出す。やがて、ドミニクの視線に気づいたマーロが目で返礼すると、ドミニクの首筋から緑の豊かな毛髪の先まで真っ赤に染まったような気がした。


「誰か思い人はおるのか」


 うっかり本質的な質問をしてしまい、恋にしか関心のない、はしたない女だと思われていないか、ドミニクは、時間を引き戻したくなった。だが、残念ながらそんな能力は持ち合わせてはいない。


「いませんよ。今は仕事が恋人みたいなものですから」

 ドミニクの心配をよそに、マーロは、気にもかけていないそぶりで、軽く笑った。安堵の心が木を緩ませたのかドミニクもつられて笑う。首元の襟が前後に揺れて風を送る。


「楽しかった。礼を言おう。ありがとう」

 彼に気持ちを悟られないように、急いで身づくろいをしながら、小さく頭を下げて彼と別れた。ネズミの心臓のように鼓動は早く、頭は日当たりのよい庭に放置された瓜のように、ほうけていた。


 修行時には得られなかった感覚が彼女の身を満たす。かって修行僧だった時、女性に対する欲を投げ捨てたはずなのに、純度を増したシロップのような甘い気持ちに変化して、舞い戻って来た。


 女性として生まれ変わった喜びと、最後の修行としての意思が、心の中ではじけて対立し格闘する。マーロへの思いを断ち切ろうと、浴室へ行き、髪をすすいで、全身を洗う。サボンの泡が、宙に浮かび、その中にマーロの面影を思い浮かべて、一人赤面する。お湯を背中からかけてた後、冷水を浴びて身体を清めた。

しかし、熱い想いは、中々脳裏から去ろうとはしなかった。


 店を休みにして、夜道を歩き、心を静める。深い青が月の輪郭を浮きだたせて、深海を漂うクラゲのようにあてどもなく歩く。何度も彼の顔を、声を、香りを、引き締まった腕を思い浮かべては消していく。あと二年もすれば、兵役に取られる。その時、私は平静でいられるだろうか。ドミニクは、やがて来る別れの時に、かすかな不安を抱くのであった。


 不穏な噂の隣国は、寝息を押し殺して、疲れ切った身体を横たえているだけにも見える。だが、死角では、邪な心を露わにして、鋭い牙とおろし金の様な舌の手入れをしているのかもしれない。ドミニクは、ドブリジューカの魔王が、戦意をかき立てないことを祈った。




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