共振するフラクタルトラッカー
札幌からの帰りの便の機内では赤ん坊が泣きわめいていたが、誰もが耳をそばだてながらも辛抱強く耐えていた。
状況の改善は難しく、かといって罪のない母子を非難する気にもなれず、皆が一様に気の毒そうな表情を浮かべているのが妙に滑稽に思えた。
僕は、持参した旧式のソニーのウォークマンを聞きながら、離陸の瞬間を待つ事にした。
飛行機に乗るのは、人生で三度目だった。
正確には行きと帰りを合わせて六回は離陸と着陸を経験しており、毎回なんのトラブルにも遭遇しなかった。
今回は、休暇を利用した完全にプライベートな旅行の帰りで、心地良い疲労感と充足感を抱きながら飛行機に乗り込んだ。
しばらく、赤ん坊の泣き声を聞いていたが、激しくなる一方で収まるようすはない。
イヤホンからは、小田和正のバラードが聞こえるが、それよりも赤ん坊の声が耳についた。
添乗員が、慣れた身振りで赤ん坊をあやしにかかるが、手足をバタバタと動かしながら言葉なき抗議の意志を表している。
機内アナウンスが、出発を告げる。
小田和正が椎名林檎に変わり、音楽の海にどっぷりと浸る。
機体がガタガタと揺れながら、身体に重圧をかけていく。
赤ん坊は何故だか泣き止んでおり、歓喜の歌声が響いている。
僕は、ワナワナと震えだし、全神経が空気を捉えて共振する。
ワーグナーが、マーレイが、マイケルが、ぐるぐると竜巻のように回転し始める。
ふわりと宙に浮きそうになる身体を安全ベルトが防ぐ。
音楽が揺れながら、跳ねる。
赤ん坊が歌いながら、踊る。
僕は、いったいどうしてしまったのだろう。
それは一瞬の事だったけれど、確かにこの身に降りかかった出来事で、忘れる事ができない体験になった。
セントレア空港に着いた時には、実際僕は、放心していて、気がつくとソニーのウォークマンは空っぽだった。
カセットテープは、持ち込みの荷物ではなく預けた荷物の中から見つかった。
夢でもみたんじゃないかと友人達は言うが、これは本当にあった話なのだ。