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相馬はこのクラスの中で、目立って成績が悪かったという訳ではない。本人の目標が高く、満足のいく結果を残せなかったという訳でもない。現在の相馬の気持ちを推し量るには、彼の成績だけでなく、彼の得手不得手やこの学校のカリキュラムも踏まえなければならないだろう。
この学校における成績評価は、辛うじて単位が認定されるC判定から始まり、良好とされるB判定、優秀とされるA判定がある。また、科目別にしろ総合にしろ、取得出来る生徒はそうそういないが、極めて優秀とされるS判定も存在する。
その中で、彼の1年後期の総合成績はB判定だった。前期のA-からは落ちるものの、留年を心配する程低い成績ではない。平均がC+からB-だという事実を踏まえれば、むしろ平均よりもやや優秀、中の上といった位置付けになる。成績上位を狙っていた訳ではないのであれば、特別落ち込むような成績でもない。
しかし相馬には、自分が留年するビジョンがありありと見えていた。
座学の成績はおおむね平均的だ。それどころか、一部の科目ではAを取得している。これらの科目は特に問題ない。仮に真っ当な社会に戻ったとしても、特別落ちこぼれにはならないだろう。この学校で平均的な学力という事は、一般の社会では平均よりやや上の学力を有しているという事になる。ちなみに、ラシタンコークの偏差値は55だ。
とはいえ、この学力偏差値はあくまでも学校内の平均であって、分散の具合は一般の教育機関の比ではない。魔術を教える公的機関がラシタンコーク以外に存在しない為、魔術師の適性を持ったあらゆる知能レベルの少年少女が集う事になるのだ。体力や魔力は勿論、学力においても生徒間での個人差は大きい。
有体に言えば、地元の校舎に通うのが原則とされる公立の中学校から、そのままのクラスで全員同じ高校に進学するようなものと考えていいだろう。
故に、春になって新入生を迎える度、一般の教育機関に従事する者達と比較して、ラシタンコークの人事課は大変な苦労を強いられる事になる。クラス内で学力や知能レベルに極端な開きが出ないように、概ね学力毎にクラスを編成し、更に体力や魔力のレベル、各々の国籍までをも考慮しなければならないのだ。
当然、それら全ての要因を完璧に満たすクラス編成など出来るはずもなく、それぞれのクラスには何かしらの不和が生じる事になる。
クラスでの結束というものが通常の高等学校のクラスと比べてあまり見られないのは、あるいはそこに原因の一端があるのかもしれない。
学力に関しては、大して問題はない。体力面もまた然りだ。体術の成績もB+で、比較的優秀と言える。では、魔術に関する成績はどうか。
魔力の基本操作や初歩的な魔術の発動に関しては、A判定を取得している。魔術における最も基本的な操作に関して言えば、相馬はクラスでも優秀な方だ。これに関しては、むしろ誇っていいところである。
問題となるのは、魔術に関する講義が、より実践的・実戦的な内容になった場合だ。
集団連携演習、C判定。やや協調性に欠ける相馬は、このようなチームプレーが苦手だ。スポーツにしろ白兵戦にしろ、チーム戦が講義内容になければ、体術の成績もより優れたものになっていただろう。
実践模擬戦闘の成績に至ってはC-判定だ。この講義に至っては、単位を認定されたのが不思議なくらいだ。基礎講義においては優秀な成績を修める相馬の今後に期待し、教師が情けをかけたのだろう。
シラバスにも、出席や日々の講義での成績、テストその他を踏まえ、総合的に判断するとあった。この『総合的に判断』という一文が加えられている事によって、成績評価の際の、教師の裁量が大きくなっている。これによって、相馬は単位を落とさずに済んだに違いない。相馬自身も、日々の講義やテストでの醜態を思い起こし、実質的には単位不認定であると思っている。
これらの事を踏まえれば――実際に戦闘になった場合、相馬は敵を倒したり仲間を守ったりするどころか、1人で逃げて生き残るという事さえ出来ないだろう事は想像に難くない。
そして何より、今年から2年生になる相馬には、1年次の頃以上に実践的な内容の講義が待ち構えている。基礎的な内容は1年次までであり、学年が上がるにつれてより高度で実践的な内容になっていくからだ。それが何より不得手である相馬にとって、今までのやや優秀な成績を意地する事がどれだけ困難な事かは明白である。
このままでは留年してもおかしくないとまで考えるのは、悲観的過ぎるだろうか。
それに関しては、前年度の講義を思い返してみたところ、自ずと答えが出た。
新学期早々、そんな相馬にとっては悪夢のような時間がやって来た。
多くの生徒が楽しみにしている講義、血湧き肉躍る実践模擬戦闘である。
「何で、年度明けから早速本格的なんだよ……」
相馬は無念極まりないといった面持ちで呟いた。
これには、休み明けで体が鈍っているであろう生徒に感覚を取り戻してもらうのと、低下したであろう生徒のモチベーションを向上させるレクリエーションとしての意図が含まれているのだが、相馬に限って言えば逆効果だったようだ。
「だからいいんじゃん? ほら、転入生に格好いいトコ見せるチャンスだよ?」
それが実行不可能だと分かった上で、由紀は底意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「せめてチーム戦にしてくれよ……。ああ、サボりたい」
「協調性なくて、スポーツでもチーム戦ダメな癖に、何訳の分からない事言ってるの?」
相馬の言わんとする事を分かった上で、由紀は尚も相馬をからかった。
「……留年確定って話は聞いてたけど……流石にこれは酷いね。なんか、こっちにまでネガティブ思考が移りそう。撃墜されればいいのに」
彩香は婉曲した表現も使わず、初めて相馬と会話した感想を率直に述べた。まるで良心の欠片もない物言いだったが、会って初めて耳にする言葉がこれでは無理もないかもしれない。
「流石に酷いって、それはこっちの台詞だ。なんで、初対面の人間にここまで言われなきゃいけないんだよ? えっと、し、しお……」
昨日初めて見たばかりの転入生の名前を思い出せず、相馬は言葉を詰まらせた。
その様子を見て、、彩香はまだ相馬に自分の名前を覚えてもらっていない事に気付く。
「――汐町彩香」
「名前くらい覚えておこうよ。聞き慣れない響きでもないし」
由紀と彩香の2人かがりで攻められ、相馬は拗ねたような目を投げかけた。
「んで、汐町? 断っておくけど、俺は別に留年が確定した訳じゃあないからな?」
「え!?」
露骨に驚いたような反応をしたのは、彩香ではなく由紀だった。
「『え!?』じゃねぇよ。確かに安全マージンは取れてないけど、留年が確定した訳じゃないからな?」
「ふぅーん? で、今年は無事に進級出来るっていう見込みは、どれくらいあるの?」
彩香がさりげなく小馬鹿にしてきたが、その僅かなレトリックの差を聞き逃さない相馬ではない。
「まだ留年した事ねぇよ! 今年も無事単位取れる………と思う」
「それは君の努力次第」
あっさりと由紀に切って捨てられ、相馬は返答に詰まった。
今回の実践模擬戦闘は個人戦だ。既にグラウンドでは、ランダムに組まれた対戦カードに従って、2組の生徒がそれぞれ戦っている。
紳範がそれらを同時に監督し、万が一の場合に備えているが、別段危険な様子はない。4人共、それぞれ適度に力を抜いて楽しく遊んでいるようだ。
由紀はその4人の中の1人に目をやった。黄緑色のポニーテールをなびかせている小柄な少女は、他の3人以上に涼しい顔をしている。どうせ新学期早々だからと手を抜いているのは4人に共通している事だが、彼女に関しては、ほとんど何もしていないようなものだった。
ほとんど何もしていないというのは、モンスターを使役している彼女自身はほとんど動いていない、というだけの意味ではない。
彼女の操る狐型のモンスターに籠められた魔力は少なく、このモンスターは本来持つ性能を発揮し切れてはいない。新学期におけるウォーミングアップとして、適当な魔力を手慰みにして遊んでいるのだ。尤も、それは現在試合をしている4人全員に当てはまる事であるが。
「瑠依ちゃん、相変わらず凄いねぇ。あれ、目を瞑りながらでもいけるんじゃない?」
由紀の呟きを耳にした彩香も、彼女にならってその小柄な少女を見た。
「うんうん、いかにも余裕って感じだねぇ。あれなら、涜神科の方に行ってもよかったんじゃないの?」
彩香の率直な感想に、尤もだと言うように相馬が答える。
「全くだ。そもそもアイツ、なんで神学科に来たんだ? 信仰心が厚いのか?」
解せない様子の2人に、由紀が答える。
「瑠依ちゃんも無宗教らしいけど、それとは無関係に、涜神科はあまり好きじゃないって言ってたよ」
「抽象的だな」
「魔術の開発とか行使とかに関して、目的と手段を履き違えている、とかなんとか」
「いい加減だな」
ようやく反撃のチャンスを手に入れたとばかりに、相馬は口汚く吐き捨てた。
「なんとなく分かるよ、それは。言葉にして纏めるのは難しいけど」
由紀の――と言うよりも、瑠依の言いたい事は、涜神科に1年通っていた彩香には、感覚として理解出来るところがあった。
「なんとなくでいいよー。考えるよりも感じる方が大事だよ!」
「そんなんだから、お前は座学の成績が悪いんだよ」
直後、相馬の顔に、模擬戦で放ったにしては威力の弱過ぎる流れ弾が命中した。
無論、それは流れ弾ではなかったが。
制限時間が切れ、模擬戦の試合は終了となった。続いて、紳範に促された次の2組が、それぞれグラウンドに用意されたリングに向かう。
「お疲れ様、瑠依ちゃん――って言っても、全然疲れてなさそうだけど」
試合が終わってギャラリーに混ざった瑠依に、由紀が労いの言葉を掛けた。
友人の労いに、瑠依は微笑みを返した。普段はあまり笑顔を見せず、ともすれば鋭利な刃物のような雰囲気すら漂わせる彼女だったが、自然に微笑む分には何処にでもいる普通の少女だ。
由紀は常々、小柄な瑠依は小動物を愛でたくなるような愛嬌があるというのに、他人に対して閉じたところのある性格がそれを台無しにしていると思っている。
「お疲れ様。……どうしたの、相馬? 流れ弾でも当たった?」
極めて初歩的ない回復魔術で自らの顔面を治療している相馬を見て、瑠依は不審に思って訊ねた。
「……そういう事にしておく」
口ではそう言いつつも、相馬は横目で由紀を軽く睨み付けていた。睨まれた由紀も、それに勘付いて不自然にそ知らぬ顔で目を逸らした。
これで、何が起きたかは明白だ。わざわざ本人達に聞くまでもない。
「……そう。――で、汐町彩香さん、よね? 初めまして、咬丹瑠依です」
彩香は一度クラスの前で自己紹介をしたが、面と向かって瑠依と話すのは初めてなので、この挨拶はあながち間違いでもない。
「初めまして。咬丹さん、凄いね。あれだけやって、まだ余裕みたいだね」
社交辞令も含め、褒められる事に慣れている瑠依は、動じた様子もなく答えた。
「そう言う汐町さんだって、涜神科から転入してきたくらいだし、かなりの実力でしょ?」
「ははは。またまたご冗談を。そんな実力が無いから転入して来たんですよ」
元々大した怪我でもなかったので、治療を終えた相馬が口を挟む。
「嫌味を言うな。涜神科では下の方でも、神学科でなら平均以上だろ?」
「そうやって人の事をとやかく言おうとするから、チームプレーが上手くいかないんでしょう? 特にあなたにとっては、それは死活問題でしょうに」
嫌味を言っているのはどっちだとでも言いたげな表情で、瑠依が端的に返した。
瑠依に自分の欠点を指摘され、相馬はぐうの音も出なくなった。我ながら情けないと、相馬は内心思う。しかし、当然ながら口には出さない。
「……留年かぁ」
瑠依の指摘の内容を半分も理解しないまま、彩香はぽつりと呟いた。
「魔術と、コミュ障脱却と……課題が山積みだねぇ」
由紀もそれに続き、神妙な顔で頷いた。
「待て、誰がコミュ障だ」
そう反論する相馬も、山積みになった己の課題から意識を逸らし切れなかった。