2-9
「力があると、出来る事が増える。自由になる。何をするにも、力は必要だよね」
「そうだな」
確かに、物を動かすには物理的な力がいり、人を動かすには権力がいる。そもそも、それがたとえレトリックに過ぎないのだとしても、何かを為すものには全て、“力”という名が与えられている。それは決断力り、適応力然り。そこに関しては、相馬も同じ考えだ。
「でも逆に、力があると、しちゃいけない事も増えるよね。結局、『強い』っていう事は自由なのか、窮屈なのかが分かんなくなる」
「……そうだな」
その考えにもまた、相馬は賛同する事が出来た。力がある者は、それだけ多くの責任を負う事になる。自由を手に入れたはずの力が、今度は逆に己を制約する。
「まぁ、自由の定義も人それぞれだけどね。
でも相馬くんは、やっぱりこの黒いのとか倒してくれるんじゃないか、とか――そんな風にみんなから頼られちゃうよね」
「かもな。はぁ、窮屈だ。……ん?」
由紀の言葉に何か引っ掛かるものを感じ、相馬は怪訝に思った。由紀は何を言っているのだろう。嫌そうな顔をした由紀が指差している方向には、一体何がいるのだろうか。
振り返った相馬は、自分の警戒心の無さを呪いたくなった。僅か5メートル先に、先日と同じ黒い影のモンスターがいたのだ。
ここに無貌の影が現れたという事は、昨日の襲撃犯の再来を意味する。その魔術師が何を求めて此処を襲撃するのかは定かではないが、目の前に危険が迫っている事は紛れもない事実だ。
「コイツら、いつの間に!?」
「へ? ――うわぁ、何これ!? い、一体いつの間に!?」
指を差していた由紀も、その目で確認しておきながら、その危険性を認識出来ていなかったらしい。相馬は自分の事以上に、由紀の無頓着さを内心嘲笑った。
しかし、そう他人を嗤ってもいられない状況である。
「そんなの知るかよ! ――チッ! また、もう一体強そうな奴がいやがる!」
相馬が見たものは、漆黒の翼を広げて雄雄しく空を舞う、体長4メートル程もある蝙蝠型のモンスターだった。
野次馬の如く相馬達を遠巻きに眺めていた生徒達も、それぞれ自分が黒い影に殺されないようにするので精一杯のようだ。
昨日の件を踏まえるに、これで校舎にいる魔術師は動きを制限されてしまっていると考えるべきだろう。全部で何体いるのかは不明だが、一際強力なモンスターのいるところに応援が来なかったという事は、他にも強力なモンスターなり魔術師なりがいたか、あるいはこの黒い影の群れに足止めされていたという事だ。
つまり、現状は敵に主導権を握られていると言っていい。
「あの方角には、瑠依ちゃん達が――って、“ルシファー”!?」
由紀は見たものは、鷲の翼と上半身とライオンの下半身を持ち、空を翔る魔物――伝説上の聖獣グリフォンを模した、瑠依のモンスターだった。
更に、蝙蝠と戦う“ルシファー”を援護するように、矢のように鋭い魔弾が次々と空に放たれている。それらの攻撃は彩香によるものだと、2度ほど彼女の魔術を目にした2人は瞬時に理解した。
彩香の援護射撃を受けつつも、瑠依の“ルシファー”は蝙蝠型モンスターに圧倒されている。昨日の“サタン”と蜘蛛の戦いを鑑みるに、この戦いも絶望的だろう。
蝙蝠が幻獣にも勝る敏捷性を見せて滑空する。突然、“ルシファー”の体が火花を散らすに千切れていった。彩香の放った魔弾も、空中でバラバラに分解される。遠目には何もしていないように見えたが、恐らくは不可視の攻撃を行ったのだろう。戦場で対峙する彩香や瑠依はともかく、遠巻きに眺めるだけの相馬と由紀には、魔術の反応までを窺う事は出来ない。
そして何より、今はそんな事に意識を向けている場合ではない。周りには無数のモンスターがいるのだ。1体1体には大した力は無いとはいえ、如何せん数が多い。油断は死に直結する。
黒い影の大群に阻まれ、2人は彩香と瑠依の下へ行けずにいた。
何を躊躇っているのか、相馬はレオの剣を使おうとしていない。由紀の魔力をコピーし、彼女の魔術のみを使って応戦している。
「――ねえ、相馬くん。ふたつくらい、聞いていいかな?」
黒い影の攻撃を捌きながら、由紀が訊ねる。
「余裕が無いんだ。手短に頼むぜ?」
「うん。じゃあひとつ目の質問。――相馬くんは、自由?」
由紀の言う自由とは、果たしてどういう意味か。彼女は言った――自由の定義は人それぞれであると。その上で、果たして何を言わんとして、彼女は『自由』という言葉を用いたのか。
由紀の炎が黒い影を焼き払い、相馬の放った石が黒い影を打ちのめす。影の一群の中に、一筋の道が切り開かれた。由紀と共に迷う事なくその空白に飛び込みながら、相馬は自身について思いを巡らせた。
自分を抑圧し支配する暴君はいるか。否。そのような者は存在しない。
肥大化し制御し切れなくなった浅ましい欲望が、自分自身を奴隷にしているか。否。そんなものは、恐れるに足らない。
ならば、答えはひとつだ。
「……決まってるだろ。俺は自由だ。誰の奴隷でもない」
由紀の放つ津波が壁となり、迫り来る影の侵攻を阻む。相馬が巻き起こした竜巻が、押し寄せる影を吹き飛ばす。少しずつ道を切り開き、開いた分だけ歩を進める。
「そう。じゃあ、ふたつ目の質問」
走りながら、由紀が続けて訊ねる。相馬が背負ったものの重さを推し量るように、敏く、仮借なく問い質す。
この問いは、他ならぬ相馬にとって、決して避けては通れないものだ。その問いを投げ掛ける役目を、由紀は自ら担う。
「自由な相馬くんは、その力をどう使いたい?」
わざわざ言葉にするまでもない。『その力』とは、相馬が今使おうとしていない、レオの剣の事を指している。
その力を、相馬は使うのか、あるいは捨てるのか。使うのであれば、どう使うのか。捨てるのであれば、その後の事はどう考えるのか。それを決めるのは、他ならぬ相馬自身だ。
「どうするの? ……どうしたい?」
魔力で編み込んだ風の刃が、由紀の前方に群がる影を切り裂く。またひとつ道が出来たが、今度は、相馬は直ぐには足を踏み出せなかった。その道の先にあるものが、相馬の未来そのものであるように思えたからだ。
考えなしに踏み込めば、きっと後悔する。どのような決断を下すとしても、覚悟を決める事が先決だ。予感とも強迫観念とも取れる直感が、相馬を思考に駆り立てる。
「俺は……」
爆撃の如く盛大な炎を見舞い、相馬は更に遠くまで道を作った。黒い影がひしめく空間に穴が開くと直ぐに、由紀と共に切り込む。
前を見据える視界が、再び黒い影で埋まる。
一体、何を迷う事があろうか。制約も責任も、恐れる事はない。自由とは元来、ルールの中にのみ存在するものなのだ。
「……この力を、コイツ等を倒す為に使う。自由を手に入れた分、その責任も背負う」
攻撃の為の力を手にしておいて、口先で『守る為に使う』と言うのは簡単だ。だが、そこには矛盾が生じる。なぜなら、力を手にしている故に戦いを呼び、それが、自分が本来守ろうとしたものを傷付ける事があるからだ。
ならば、口先で誤魔化すような真似はするまい。どのような目的の元に行使するとしても、この力は所詮、攻撃の手段に過ぎないのだ。
力を持つ事で、己が悪を為してしまった場合に起こる災いの大きさと、自分がこの力を捨てる事で、邪悪なる者がそれを手に入れる可能性。――真に恐れるべきは、果たしてどちらか。
「こんな真似をするような奴に、みすみすこの力を渡す訳にはいかない。だから、俺がこの力でそいつらと戦う。その責任は俺が背負う」
それが、相馬の出した答えだった。
「ふふっ、相馬くんらしいね。でも――口先で言うだけなら、誰にだって出来るよね?」
そう言って意地の悪い笑顔を浮かべながら、由紀は地面に魔力の奔流を流し込んだ。敵の足元を爆破して、爆圧により衝撃で影の群れを吹き飛ばす。それと共に飛び散る岩の破片で薙ぎ倒す。
2人の行く手を阻んでいた黒い影が排斥され、こうしてまた一時的に道が出来る。
「ああ、分かってるよ、それくらい! 今に見てろ、二度とそんな生意気な口利けないくらいの雄姿を見せてやるよ!」
体の内側から膨大な魔力を爆散させ、相馬は虚空から錆び切った剣を引き抜いた。現れた剣は朽ち果てるように砕け、相馬の手の中で再構築される。
剣を握る相馬が、その双眸の先に一体の蝙蝠を見据える頃には――英雄の剣は、白銀の輝きを取り戻していた。