2-6
「だからよぉ。“ムゥ”で撹乱する分には効果があるから、『昨日の今日なのにまさか』っていううちに、さっさとたたんじまおうぜ?」
森の中のとある一角で、唐津カデチダケは我慢がならないといった面持ちで言った。
「本当に効果があるんだろうな、それ? ここはもう少し慎重に行って、陰から襲った方がいいんじゃないか? 君だって、全面戦闘は避けたいだろう」
対するテイルニナ・ワレスカは、カデチダケの作戦が杜撰極まりないものであると暗に示して反論する。彼はカデチダケの提案に余り乗り気ではなかった。
彼らは今、再度ラシタンコーク神学校東アジア校に向かうべく、森の中を歩いていた。
彼らが狙うのは無論、園蒙間相馬が手にする、レオ・ハイキョウサの遺品たる剣だ。
全世界に12校存在するうちのどこかの校舎に、その剣が隠されている。その情報を元に、彼らは先日東アジア校を偵察した。
彼らの雇い主は、東アジア校に存在する可能性が最も高いと踏んでいたようだ。だからこそ、カデチダケとルノワニレの2人を差し向けたのだ。
しかし、そこには誤算もあった。彼らは共に正面きっての魔術戦を得意としており、身を隠して敵の様子を窺うような真似は、あまり得意ではなかった。モンスター使いであるカデチダケはまだしも、テイルニナは尚更それが苦手だった。そして何より、ラシタンコークの生徒や教師達の中に、予想以上に策敵に長けた魔術師がいた。
本人達にしても、もっと穏便に情報を集めてから、2対1で確実に敵を仕留めたいと思っていた。探し物が個人の所有物ではなく、倉庫か何処かにしまわれていたら、出来る事なら誰とも戦う事なく平和的に窃盗を終えたいと思っていた。たとえ彼らが、それぞれ1人の魔術師として、全力を出した魔術戦に誇りや愉悦を感じるとしても、だ。
それとこれとは話が別だ。この仕事はあくまで窃盗もしくは強盗であり、暗殺ではない。
しかし、こうなってしまった以上、全力での正面衝突に誘い込む戦法を取る事は、決して悪い策ではなくなってしまった。尤も、それ以上に良い策を取れなくなってしまっただけではあるが。
「闇討ちもいいけどよ。向こうだって絶対に警戒してるだろ。それなら足場から崩した方が効果的じゃねぇか」
「君の言いたい事も分かるが……」
テイルニナは、カデチダケの策を是認出来なかった。そもそも、こんなものは策ですらない。力任せに突破するという戦法の、一体どこに頭脳が入り込余地があるというのだ。
そう思う一方で、テイルニナはタデチダケの“ムゥ”に信頼を置いてもいた。無数に出現する黒い影のモンスター“ムゥ”は、もともと撹乱や妨害、人身御供に用いる事を前提として作られた魔術だ。昨日カデチダケが戦線から離脱出来たのも、“ムゥ”による足止めが機能したところが大きい。尤も、先日の潜入の際に、いたずらに騒ぎを大きくしたのもまた“ムゥ”ではあるが。
「それで、“ムゥ”で他の連中を足止めして、私と君のモンスターでその生徒を仕留める、と? そもそも、その生徒についてはどこまで分かっているんだ?」
怪訝そうな顔で尋ねるテイルニナに対し、カデチダケは憎たらしい程朗らかに答えた。
「同級生達の戦闘力から見て、多分神学科だ。それから中背で茶髪。体格は……まぁ、普通かな」
「魔力の特性や戦法は?」
「知らねぇよ、そこまで。
アイツがレオの剣を引き抜いて、とんでもない魔力をブッ放してから、コイツが持ってやがったんだって気が付いたんだぜ? 剣以外の部分は知らんね」
標的の情報がここまで少ないにも関わらず挑もうとするカデチダケの無謀さに、テイルニナは呆れて言葉も出なかった。この計画性の無さで殺し屋としてここまで名を上げているのは、その類稀なる実力故か、はたまた悪運の強さ故か。
「……レオの剣を持ち歩いている訳ではないのか?」
「持ってたら流石に気付くぜ。どこに仕舞ってたんだろうな。空間操作系の魔術か?」
「そんな高度な魔術を使える訳が無いだろう。熟練の魔術師でも、そんな芸当は補助ツール無しでは中々出来ん」
思考に行き詰まり、2人はゆっくりと溜息を吐いた。この有様では、レオの剣を入手する事など、到底出来はしない。一体どこで判断を間違えて、こんな無様な状態になっているのだろう。
やがて暗い顔で考え込むのはテイルニナ1人になり、カデチダケは落ち着きを欠いた表情でマントの中を漁った。
「……どうした?」
その様子を訝しんだテイルニナが訊ねるが、カデチダケは答えない。ただ無言で、何かに取り付かれたようにマントの中に仕舞った物を探している。
「あったあった。よかったぜぇ、見付かって」
「…………」
今度こそ、テイルニナは呆れて言葉を失った。
この男は、自分のしでかしたミスの所為で目先の仕事が大変な事になっているというのに、今後の方針についての話し合いもそこそこに麻薬を服用しようとしている。切羽詰ったその表情から察するに、恐らく今は禁断症状が出ているのだろう。
思い出してみれば、先程からどこか落ち着きの無い様子で、何処か、何かに耐えているような素振りも見せていた。彼の体はもう麻薬無しではいられないのだろう。
酸素マスクのような物を鼻に取り付け、カデチダケは一気に気体を吸い込んだ。鼻で吸うタイプの、比較的簡易な麻薬なのだろう。シンナー遊びをしているように見えなくもないが、恐らくその程度の生易しい薬ではないと思われる。
「……ふぅ。――で、どこまで話したっけ?」
そう言うカデチダケは、既に焦点が定まっていなかった。テイルニナの方を見て、彼に向かって話しているつもりなのだろうが、実際には視点が空を泳いでいる。
そのあまりにも無様な様子は、これ以上無いという程に反面教師としての適性を備えていた。この姿を見た者は、自分も麻薬で遊んでみよう、などという安易な考えは決して持つまい。テイルニナ自身も、自分は絶対に麻薬には手を出さないと心に誓った。
「おもいらした。たしか、そのせいとは、れおのけんをもっていないんら」
しまりの悪くなった口から紡がれる言葉も、既に言語としての意味を形成出来ているのか怪しいものだった。テイルニナはその異常性を意識から締め出そうと努めながら、麻薬で溶けて無くなった脳でも理解出来るように説明する。
「ああ、大体そんな所だ。その生徒は、いつもレオの剣を持っている訳ではないんだな?」
「どこにしまってあるのかもわからん。たむん、くうかんそうさけいのまずつか、けんじたいがどうにかなっちまったからろう」
(……今まさに、君がどうにかなってしまっているのだがな)
変わり果てた今回限りの相棒の姿を見て、テイルニナは暗澹とした気持ちになった。
この有様では、この仕事を完遂出来そうにない。他の連中に先を越されれば、報酬にも、殺し屋の仕事としての今後の信用にも、まず間違いなく良くない影響が出る。もう未来が残り少ないであろうカデチダケはともかく、自分はここで汚点を作りたくはなかった。
(……仕方ない。唐津はこのザマだ。ここは彼を適当に利用するか、最悪の場合は人身御供にしてしまおう)
一人冷徹な判断を下し、テイルニナは意識を朦朧とさせたカデチダケに向き直った。
「わかった。君は“ムゥ”による撹乱と、他のモンスターによるサポートを行ってくれ。私がその生徒を仕留め、剣を奪う」
テイルニナが何を言ったのかも十分に聞き取れていなかったが、カデチダケは呆けた表情のまま頷いた。
仕事を請け負うなら請け負うで、自分が組む相手についても、雇い主に要求をしておくべきだった――頭を抱え、テイルニナは自分の軽率さを呪った。