2-5
今からおよそ100年以上前、魔術師界は一際大きな戦争の真っ只中だった。世界大戦と称してもいいだろう。あらゆる地域を巻き込んだ、極めて大規模な戦争だ。
破壊された街は数知れず、また多くの人命も犠牲となった。その中には、戦闘に参加した魔術師だけではなく、魔力を持たない人間すらも含まれる。魔力を持つ者と持たざる者の間には一線を引くというのが暗黙の掟ではあるものの、個人レベルの犯罪ならいざ知らず、大規模な戦争ともなれば、無関係な者もまた災厄に巻き込まれる。
そうして長らく続いた泥沼の戦いに、ようやく終止符が打たれたのが、約100年前の話だ。剣士レオ・ハイキョウサを始めとする魔術師達の超常的な戦闘力と和平交渉への惜しみない努力によって、戦争が終結したのだ。終戦に尽力した彼らは、伝説の英雄として後世に語り継がれた。
だが、それだけでは終わらなかった。流血の連鎖はそこで途絶えたものの、それだけで全てが解決するはずもなかった。
「――どうなの、由紀?」
回答に詰まる由紀に、瑠依は追い打ちを掛けるように答えを催促する。
後に英雄として語り継がれた豪傑達の努力。その結果としてもたらされた、一時の平和と負の残滓。
一度は共に学んだはずのその詳細を、瑠依は由紀に問う。1人の学徒として、歴史の1ページを記憶しているかを。
「……今に至る」
ともすれば幼稚なようでいて、存外由紀は頭が回るようだ。詭弁とも質問からの逃避とも取れる回答だったが、決して間違いではない。だが、お世辞にも正解とは言い難い。
「……間違ってはいないわ。でも、もう少し詳しい回答が欲しいわね」
「そうだぞー。逃げるなよぉ?」
しかし瑠依も彩香も、そのような小細工を許しはしなかった。詳細を求められ、今度こそ由紀は完全に回答に詰まった。
「むむ……降参。白旗上げるから教えて」
「全く……」
彩香と共にさも呆れたといった顔で溜め息を吐き、瑠依は大仰な仕草でかぶりを振る。
「一旦そこで終戦はしたけど、地域間や豪族間の利害関係や軍事的な問題はそのまま残っていたから――直ぐにまた小さな戦火があちこちに燻っていって、結局は小競り合いや睨み合いが続くようになったのよ。
今も偶に、その辺で紛争とかが起きるでしょ? 魔術師も、そうでない人達の社会も。そもそも由紀、新聞とか読んでる?」
新聞を開けば、世界の何処かで起きている紛争や内乱の記事が、必ずと言っていい程書いてある。別の何処かの欄には、必ず犯罪に関する記事がある。特に、魔術師の引き起こす犯罪やテロ行為は悲惨だ。
「……たまーに」
ばつの悪い表情を浮かべ、由紀は正直に答えた。口にも顔にも出さなかったが、ほとんど全くと言っていいほど新聞もニュースも見ていない彩香は、内心では由紀にすら負けたような気がしていた。
自ずと発言を控える彩香を余所に、由紀と瑠依は歴史を話題にして会話を続ける。
「ふむふむ。流石の英雄でも、世界を平和に出来なかったんだね」
「当たらずとも遠からず、ね。一旦は戦いを終わらせて平和にしたわ。また始まったっていうだけで」
「どこの歴史もそんな感じだね。魔術が絡んでても絡んでなくても、世界史でも日本史でもそうだ。他の国の歴史もそうなのかな?」
「当然でしょ? 人の歴史は戦争の歴史よ。文化の歴史でもあるけど」
「そこのフォローは大事だね」
感心しているような顔を頷かせ、由紀はしみじみと言った。
「――で? やっぱり忘れてたんだね、由紀?」
攻撃の頃合いを見図り、彩香が再び口を挿む。
「そんな事ないよぉ。それより瑠依ちゃん」
「あっ、ちょっ、逃げるな!」
彩香の尋問から逃れ、由紀は瑠依に尋ねる。
「相馬くんが持っている剣って、やっぱりレオの剣なのかな?」
一様にその表情に疑問の色を浮かべる由紀と彩香を見て、瑠依は神妙な顔で頷いた。
「恐らく、そうでしょうね。レオの遺品なら、レオの魔力が宿っていてもおかしくはない。その剣を介してレオの魔力を手に入れたのだとすれば、昨日の相馬の――あの途方もない魔力も納得がいくわ」
実際、レオの遺品である剣には、元々施された魔術的措置以外にも魔術的な要素があった。長年に渡って魔術師レオに使われる事で、使い手であるレオの魔力が沁み込んでいったのだ。
「いやいや、全然納得出来ないよ」
瑠依の解釈に、彩香は呆れたように首を横に振る。
「そもそもレオって、歴史で英雄扱いされるくらい凄い魔術師でしょ? その魔力が剣に宿っていたとして、こう言っちゃ悪いけど……相馬なんかに扱えるものなの?」
「相馬くんは魔力をコピー出来るから、レオの魔力をコピーしたんじゃないの? そうすれば、相馬くんの魔力はレオの剣と相性抜群っていうか、本人が使う場合と同じくらい好相性になるんじゃない?」
彩香の疑問に対し、由紀は回答となり得る考えを述べる。
「その可能性は高いわね。それなら、レオの魔力の特性を帯びた相馬の魔力が、レオの剣で更に底上げされてもおかしくないかもね」
由紀の推理を受け、瑠依は自分の考えを述べて補足した。
彩香はまだ、納得のいかない表情だ。由紀や瑠依と比べて相馬との付き合いが短い分、彼の能力や特性に対する知識や理解が乏しいのだから無理もない。それでも、その驚きようは由紀や瑠依も同じだった。
「分かるような、分からないような……。なんで底上げされるなんて事がいえるのさ?」
彩香の問いに、瑠依が丁寧に答える。こういった理性的・理論的な思考は瑠依の得意とするところであり、由紀が不得意とするところだ。自然と由紀の口数が減ってしまっているのもその為だと言える。
「相馬は魔力の性質や術をコピーする事は出来ても、その強さまではコピー出来ないから。強い魔術師の魔力をコピーしたからといって強くはなれないし、逆に、弱い魔術師の魔力をコピーしても弱くはならない」
「それなのに、あの剣からレオの……かな? 魔力をコピーしたら強くなったから、剣から何かしらの恩恵を受けている、と」
「そもそも、魔術師にとっての武器って、大抵はそういうものでしょ? 何の変哲もない剣を持ち歩くくらいなら、自分でその都度作るでしょうよ。よっぽどその分野が下手ならまだしも」
「確かに」
瑠依の脳内で展開されていたロジックを理解し、彩香はようやく納得した表情になった。そしてそれは、共に聞いていた由紀も同様だった。
「わたし以上に器用貧乏で有名な相馬くんに、そんなドンピシャなパワーアップアイテムがあったなんて……棚ボタだねぇ」
しみじみと頷く由紀の言葉を受けて、彩香が別の話題へと繋げる。
「牡丹餅か、懐かしいな。最近食べてないや」
「おいしいわよね、牡丹餅。……って、また脱線したわ」
「わーお、死傷者多数」
今度は由紀の戯言には一瞥も投げぬように努め、彩香は瑠依に謝罪した。
「ごめんごめん。で、何の話だっけ?」
「相馬とレオの話よ」
「彩香ちゃん、わたしにはもう興味がないんだね……」
わざとらしく嘘泣きをする由紀を無視し、彩香と瑠依は元の話題に戻る。彩香も早速、由紀のあしらい方に慣れてきたようだ。
「相馬以外の奴がレオの剣を使おうとしたら、どうなるんだろ?」
彩香の素朴な疑問に、由紀と瑠依は首を傾げる。
魔術師レオ・ハイキョウサが生前愛用していた剣。長年の戦に亘って使い手の魔力が染み込んだそれは、最早遺品というよりも聖遺物といったカテゴリーに属する。魔術師の扱う武器としても、破格の性能を発揮するだろう。それは先日、相馬が実演した事でもある。
とはいえ、それほどの破格な聖遺物であれば、誰もが扱えるような代物ではない。基本的にそういった類のものを魔術師の武器として扱う場合、本来の使い手の力量に応じて使用が困難になるのが道理だ。歴史に名を残す英雄ともなれば、一体どれほどの実力者であれば扱いこなせるのか、まだまだ半人前である由紀達にはまるで想像も付かない。
「相性にも因るでしょうけど、よほどの実力者じゃない限り、制御し切れないんじゃないかしら。昨日のアレを見る限り、とんでもない魔力だったし」
「ほとんど相馬専用かぁ。なんていうか――かえって、酷い話だね」
「酷い?」
彩香の言っている事が分からないという様に、瑠依は怪訝な表情をしてみせた。
「だって、相馬しかあの剣を使えないとしたらさ、あの剣の力を借りなきゃ勝てないような奴が暴れた時に、真っ先に頼られるのはあいつでしょ? 逃げ場が無いんだから、良いだけの話じゃないよ」
「……それもそうね」
場の空気がやや重くなったところで、由紀が再び口を開いた。
「責任、重いね」
「そうね。昨日のモンスター使いがまた襲ってくる可能性も高いでしょうし」
「……わたし、ちょっと相馬くんのところに行ってくる」
そう言って由紀は立ち上がり、部屋を後にした。
「いってらっしゃい」
妹の成長を見届けた姉のように微笑み、瑠依は由紀を見送った。
「――やっぱ、ちょっと言い過ぎたかな」
更に人口密度の小さくなった部屋で、彩香が誰に尋ねる訳でもなく呟く。直接加担していなかったとはいえ2人を止める素振りの全くなかった瑠依も、彩香と共に僅かばかり沈鬱な表情だった。
「当たり前でしょ。気付くのが遅いわ。私達も、後で謝りに行った方がいいかもね」
そう答えると、瑠依は歴史の本のページに目を落とした。