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世界の12箇所に存在するラシタンコーク神学校の内の1つ、東アジア校。その校舎の一端が、木々の生い茂る視界に入り込んだ。
此処に来るのは、卒業以来何度目になるだろう。安瀬雲稲門は郷愁の念を覚えると同時に、暗澹とした想いに駆られた。
自らの母校が今、まさに戦場と化しているのだ。今あの校舎を焼いているのは、夕日だけではない。
ただでさえ学び舎であるのに、今は非難所としても機能しているのだ。先日のテロで住処を失った人達の中には、体育館等の施設を寝床として利用している者もいる。巻き添えを喰らう危険は大きい。1人の少年から1本の剣を奪い取る為に、一体何人が犠牲になるのだろうか。
鬱蒼と生い茂る木々の間を走り抜け、稲門は校舎へと急いだ。
本来であれば辺り一面に緑が映えているはずだが、生憎のところ今は夕暮れ時だ。沈みかけた太陽の光に照らされ、紅葉の季節でもないのに、森の情景は赤く彩られている。
まるで血の色のようだ、と稲門は思った。
ヒトの血は赤い。鉄分を含んでいるからだ。ヒトの文明において大きな意味を持つ鉄を、その内に秘めているからだ。だから、燃え盛るような紅蓮の色をしているのだ。この夕焼けの景色のように。
あるいは、文明の象徴とも言える火の色だろうか。稲門はふと、ひとつの神話を思い出した。
人間に天界の火を与えたとされるプロメテウスは、その罪をゼウスに咎められ、カウカーソス山の頂に張り付けにされた。そして、毎日生きながらにして肝臓をハゲタカに食われるという責め苦を受けたという。火を手に入れた人類は文明を発展させたが、それが無限に続く戦争の始まりだった。
そしてこの物語は、かの有名な「パンドラの箱」の物語へと続いていく。
火は戦いの象徴でもある。文明は常に戦いと隣合わせなのだろうか。他の動物であれば、争いは縄張りの維持や食料の確保、雄同士による雌の奪い合いといった極めて原始的なものに限られる。そして何より、相手を殺す事が目的ではない。負けを認めて逃げる相手に追い打ちを掛け、徹底的に滅ぼすような事はしない。なるほど人間に火を与えた神がいたとすれば、それは確かに罪深い事だろう。
空が赤い。逢魔が時のこの景色こそ、人間には相応しいのだろうか。光に満ち溢れる昼の時間が終わりを告げ、漆黒の闇が全てを呑み込む夜の時間が訪れる瞬間。これこそが、愚かな二本足の動物の居場所なのだろうか。
血の色。火の色。鉄の色。禁断の、知恵の実の色。稲門には、視界の全てを埋め尽くす紅蓮の情景が、終わりなき戦いの連鎖を何よりも物語っているように思えた。
(諦めるのは、まだ早い……か……?)
灼の中に、一軒の建物が見える。もうじき到着だ。
母校の校舎では、今まさに時代の最先端を行く魔術戦が繰り広げられている。世界中の魔術師の中でも指折りの実力者である稲門にとっても、この戦いは熾烈極まるものとなるだろう。矛を交える者達の多くは、既に常識の埒外にある悪魔の兵器を手にしている。こちらも動揺の武装をしなければ敵わない可能性すら在り得る。
先日の市街地における大々的な戦闘では『骸縛霊装』で強化されたカデチダケの誇る最強のモンスターを見事に撃破した稲門であるが、今回は如何せん敵の数が多い。
離反した連合の仲間や園蒙間相馬、学校の職員達がどれだけ説得に応じてくれるのかは不明だが、無用な殺生を避けたいのは皆同じだろう。
だが、両者の利益が対立している以上、穏便に折り合いを付けるのは困難だ。既に状況が手遅れなものになってしまっている可能性すらある。そうなっていた場合、相馬を殺してレオ・ハイキョウサの剣を連合の手中へと収める方法以外に、あそこで起きている戦いを終わらせる方法は無いのだろう。
どちらか一方の兵力を殲滅する以外に戦いが終わらないのであれば、葬り去るべきは相馬だ。より大勢を殺す事無く、彼1人のみを犠牲にする事で無益な争いが終わる。そして何より、彼が依然としてレオの剣や遺灰を持ち続けていた場合、またいつか今回と同じような事態になるだろう。
あの少年が生き延び、尚且つ更なる戦いを避ける方法は、2つに1つ。一騎当千の戦力を生む聖遺物である、かの英雄の遺品を手放すか――あるいは、その圧倒的な力で、抵抗する者を有無を言わさず捻じ伏せるか――その何れかだ。
果たして彼は究極の選択を迫られた時、どちらの道を選ぶのだろうか。