12-7
媛河由紀は深々と溜息を吐いた。何だかやるせない気持ちだ。彩香の死による喪失感に加え、相馬の抱える問題もある。心労の種は尽きる事が無い。
由紀は瑠依を追って走って来たものの、彼女に掛ける言葉が見当たらなかった。彩香の死に関して、相馬にも一定の責任がある事には、程度の差はあれ由紀も同意している。
レオの剣を奪う為なら手段を選ばないような輩が校舎を襲撃して来る事は、今までの事案から容易に推測出来る事だ。
敵の所属や立場が変わったからといって、その戦法までががらりと変わるとは限らない。人質を用いた脅迫も、視野に入れて然るべきだ。万が一にも、相馬だけを狙って正面から一騎打ちを仕掛けて来るとしか思っていないようであれば論外である。相馬もそこまで頭が回らない訳ではないだろうが、それでもやはり彼は些か思考が浅いと思えてならなかった。
折れた大木にぽつりと座る瑠依の寂しそうな背中に、由紀は一歩ずつ近付いて行った。
何を話せばいいかも分からないまま、引き返すのも躊躇われる程に距離が詰まる。今まで、こんな暗澹とした想いで瑠依と向き合った事があっただろうか。知り合って間もない頃も、今のような気まずい沈黙はなかった。
「瑠依ちゃん……」
後ろから声を掛けるも、返事は無い。固く口を閉ざしたまま、時間だけが流れていく。
「……由紀は、さ」
不意に、瑠依は振り返らずに呟いた。背後に立つ由紀からはその表情を窺う事は叶わないが、いっそ痛々しいまでに張り詰めた想いでいる事は、その声音から察する事が出来た。
「相馬がレオの剣を連合に渡せば、それで全てが解決すると思う?」
一切の前置きの無い、核心を突いた問い。銛のように突き刺さった懊悩は、間断を与える事なく瑠依を苛んでいた。
自身もまた同じ懊悩に苛まされていた由紀は、その問いを正面から受け止める。
しかし、その目は自責の念に駆られた者のように伏せられた。
「……今更もう遅い、と思うな。こうなっちゃう前でも、どのみち駄目だったんじゃないかな、って思うよ。剣を手放しても、それはそれで問題は出て来るし……問題を起こすのは、相馬くんだけじゃなくて、連合も一緒だろうからね」
滔々と胸の内を語りながら、由紀は瑠依の隣まで歩いた。直接視界の内に捉えた瑠依の顔には、後悔と苦悩の色が浮かんでいた。
「結局、問題は……誰が力を持つのかっていう話じゃないのよね。学校を襲撃して来たような連中の手にさえ渡らなきゃ、それでいいって……そう思っていたわ」
しかし現実は、そんな単純な話ではなかった。
相馬は確かに愚か者かもしれない。強大な力を担うには、余りにも矮小な存在に過ぎなかったのかもしれない。だが、果たして彼の心に、邪悪なものがあっただろうか。剣を振るう時、彼は利己的な邪心に突き動かされていただろうか。
慢心もあった。優越感もあった。確かに彼は、力を手にして変わった。手に入れた力の使い方を十分に理解せず、判断を誤る事もあった。
その結果として、友を死なせてしまったかもしれない。とある少女の死は、彼の間違いに原因を置いているかもしれない。他にも多くの人の死を、彼は背負わなければならないのかもしれない。だが、彼の心に邪悪はあっただろうか。
否。由紀も瑠依も、その見解は同じだ。彩香も霧壱も、その想いは概ね一致していただろう。相馬の心に、悪魔は居なかった。彼は純粋だった。純粋だったが故に、彼は道を誤ったのだ。
「誰が持っても同じ。どんなに心の正しい人でも、どんなに努力しても……最後は運に頼らなきゃいけない。そして、大抵は見捨てられる」
「……そうだね。根本から考え直さなきゃいけないところが、あるのかもね」
やり場のない怒りを滲ませたような瑠依の言葉に、由紀は同意の言葉を返して頷いた。その表情はやはり何処か沈鬱で、俯いて影の差した顔は全てを諦めたようにも映る。
相馬は間違えた。だが、一体誰なら間違える事なく力を担えたのだろう。矮小な少年には荷が重過ぎたと、口先で言うだけなら誰にでも出来る。彼よりも愚かで弱い者でさえ言う事が出来る。
誰なら間違えなかったか。誰になら担えるのか。もしかしたら、この問いは最初から答えが用意されていないのかもしれない。
「だからと言って、剣を粉々に砕くのも簡単じゃない」
誰もが担える力ではない。しかし、誰の手にも渡らないようにするのは至極困難だ。それも、今となっては尚更である。
「……それに『骸縛霊装』なら、破片でも利用しちゃうかもしれないしね」
どうしようもない苛立ちに駆られ、瑠依は言葉を飲み込んで俯いた。その胸の内には、永遠に続くかのような果てしない迷路の中を彷徨う者の、張り裂ける程に悲愴な想いがあった。
まだ魔術師としては見習いの域を出ていないとはいえ、不運にも一流の魔術師同士が鎬を削る凄惨な戦いに幾度も巻き込まれ、そして生き残って来た。
他でもない当事者である身の上からすれば、友や師が懸命の想いで勝ち取った平穏が脆くも崩れ去る様には、無念や怒りの情を禁じ得ない。今までの戦いで命を落とした者達の中には、瑠依の友人や恩師も含まれる。再び戦火を灯すような事になっては、彼らの死が無駄になってしまう。
だが――正解を見出せない以上、失敗した者を詰る資格は無い。立場が逆であれば自分も同じように失敗していたであろう事は、目に見えている。
「戦わなかったら殺されて、戦っても殺されて……。私達、結局どうすればいいんだろ……。由紀。さっきは、相馬に何て言えば良かったと思う?」
懺悔にも似た瑠依の問いを受け、由紀は暫し黙考する。自分達は、失敗した本人である相馬の行動に、少なからず影響を与えて来た。自分達もまた、紛れもない当事者だ。自分達も、何処かで失敗していたと言える。
「わたし達に出来る事って、余り無いような気がするけど……」
年端も行かない若輩の肩には、些か重過ぎる責任だろう。ならば、人の上に立つ事で重圧に慣れた者であれば、この重圧に耐え得るのだろうか。道を過たず、争いを終わらせる為に力を使えるのだろうか。灼熱の炎を地獄の業火とする事無く、恵みの太陽とする事が出来るのだろうか。
恐らくは否だ。問題の根源は根深く、余りにも大きい。個人の経験や力などは些細な問題にしかならない程、深遠で巨大な悪魔は世界に巣食っている。それを作り上げ育て上げて来たのは、他でもない人類だ。力を得た指導者達と、それに追随して来た民だ。
由紀達にとって、その壁は余りにも大き過ぎる。だが、出来る事が全く無い訳ではなかった。自嘲したくなる程に微力ながら、出来る事はあった。
「でも、相馬くんが大変な転び方をしないようにサポートするくらいの事は、出来たかも」
だが、彼が道を誤らないようにする為の努力は、全く足りていなかった。自分達に何かが出来るとも、すべきだとも思っていなかったからだ。
「……そうね。認識が甘かったのは、私達も同じね」
今更悔やんだところで、何も変わりはしない。これから再び起こるかもしれない死闘を生き延びた先には、今回の過ちを教訓とする事が出来るだろうか。
それとも、もう取り返しの付かない程に、事態は緊迫したものとなってしまったのだろうか。