12-3
「なんだ、これ……? 早速、連合の手先が来たのか?」
見慣れた校舎の風景を上書きする破壊の痕を目にし、相馬は声を震わせて瞠目した。緊張した声音ながらも、さも呆れたような口振りで、霧壱は相馬の疑問に答える。
「それ以外に無いだろう。まさか、犯罪者や魔獣が襲って来た訳でもあるまい」
「だからって……ここまでするか?」
相馬が驚いたのは、連合の魔術師が、かつてのリオギノの部下達のようにレオの剣を奪いに来たという事だけではない。何より相馬が驚いたのは、戦闘による破壊の規模だ。
あの唐津カデチダケでさえ、ここまで派手な破壊活動はしなかった。目的はあくまでも聖遺物の奪取であり、破壊工作ではないからだ。
それが、今回の瞬撃は余りにも破壊の規模が大きい。
しかし状況を飲み込み切れていない相馬と比べ、霧壱は既に大凡の予測を立てていた。
「連合にも『骸縛霊装』の配備が整ってきているが、そもそも生産自体、まだ始めたばかりだ。自分の攻撃力がどれだけ上がったのか、自覚出来ていなかったんだろう」
それは、実際に『骸縛霊装』を使用した敵と戦い、自分でもそれを使用した事がある霧壱だからこそ、身を以て実感している事実だ。予め性能を確認していたとしても、実戦での使用で更なる発見がある事は珍しくない。
実際に命を懸けて戦うまで、自身の戦闘力がどれだけ上がったのか、その殺傷力や破壊力が何をもたらすのか、本当の意味では理解出来ない。
「――むしろ、それはお前が一番よく分かっている事じゃないのか?」
そしてそれはある意味においては、『骸縛霊装』を使用したどの魔術師よりも、相馬がよく知っている事だ。『骸縛霊装』は、レオの剣を自在に扱う相馬をモデルにして造られたも同然なのだから。
「そう、だけど……。じゃあ、やっぱり……」
「ああ。襲撃犯は連合の奴だろう。上からの命令なのか、一部が勝手な行動を取っただけなのか、そこまでは分からんがな」
実際に刺客を差し向けられた以上、疑問の余地は無い。相馬を狙って連合の手の者が東アジア校を訪れ、留守の間に一悶着あったという事だ。
果たして、何人が犠牲になったのか。破壊の痕から、小規模ながらも凄惨な戦闘が行われたと推測出来る。死者が出ない方がおかしい。
目の前の光景に気を取られるあまり、相馬は背後に立つ気配に気が付かなかった。その人物は、背後から2人に声を掛けた。
「……おかえり。相馬くん、霧壱くん」
振り返ってみれば、いつの間にかすぐ近くに由紀と瑠依が立っている。
彼女達であれば、此処で何が起きたのかを知っているはずだ。相馬は由紀に直接訊いてみる事にした。
「あ、ああ、ただいま。ところで、一体何があったんだ?」
動揺を隠せない様子で、相馬は開口一番、周囲の惨状について尋ねた。由紀は返答に窮し、ばつの悪い表情で隻眼を逸らす。
「……うん。また、ちょっと色々とあってね」
「色々って……リオギノのところにいた奴か?」
ありもしない事を尋ねた相馬を、霧壱は後ろから軽く肘で小突いた。その間も、由紀からの回答は来ない。
由紀の表情も、瑠依の表情も暗い。その様子から、相馬は最悪の報せに気付くべきだった。途方に暮れる相馬を他所に、霧壱は直観でそれを悟ってしまう。
「連合の魔術師よ。とは言っても1人だけだったから、組織で動いていた訳じゃなさそうだけれど」
無駄な韜晦を諦め、瑠依は由紀に代わって答えた。
予想していた事ではあったが、相馬としては受け入れたくないという想いもあった。
先日のとの交渉において、相馬は力の譲渡を拒否した。それが相手側の心境を少なからず害するものである事は、相馬にも分かっていた。だからこそ、何処かで挽回してレオの剣の所有を正式に認めてもらおうと思っていた。
その矢先、立て続けに刺客を送り込まれたとあっては、相馬としても膝が崩れる想いだ。
唯一の救いは、連合が組織全体として相馬との全面戦闘に向かう腹積もりではない可能性が、まだ残されている事だ。今となっては、稲門の言葉が偽りの無いものであった事を祈る他はない。
果たしてクイドガ討伐の一件は、連合にどのような評価を下されるだろうか。今後を考えると、相馬はそれが気掛かりでならない
「やっぱり連合の奴だったか……。そういえば、汐町はどうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
その問いに返すべき答えを前に、由紀と瑠依の表情が陰る。
霧壱もまた、暗澹とした想いで俯いた。2人の表情だけで、真実を悟るには十分過ぎた。自分達は魔術師を養成する学校に通っているのであり、魔術師というものは元来戦士なのだ。戦士は戦場に立つ者。それが意味する危険は自明である。
力量の程を考えれば、むしろ魔術師としては未熟な汐町が、多くの死傷者を出した先日の市街戦を生き残った事こそ、称賛に値するだろう。たとえそれが、ひとえに幸運によるもの生還に過ぎなかったとしても。
「……流れ弾に当たったわ」
相馬と目を合わせようとせずに、俯いたまま瑠依は答えた。感情の読めない平坦な声に、相馬は瑠依の回答を訝る。
「それで、入院したのか?」
重ねられる相馬の問いに、答える者はいない。痛い程の静寂が、4人の心を突き刺す。
相馬とて、心の何処かでは既に気付いていたのかもしれない。だが、それを頑として受け入れようとはしない弱さが、その事実から目を逸らさせていた。
「……もう、いない」
「……は?」
相馬は由紀の言葉を聞き逃したかのように、表情を凍り付かせて愚直に聞き返した。
胸を穿つ喪失感を堪え、由紀は淡々と事実を語る。
「死んだの。流れ弾が心臓に直撃して。遺体は、迎撃に出て戦死した先生達と一緒に保管されている」
真相を聞いた相馬も、俄かには信じ難い想いだった。相馬の記憶では、彩香はいつものように陽気な笑顔を湛えている。その笑顔は、決して古い記憶ではない。日付も変わらない、ほんの数時間前のものだ。
鉛のように重い沈黙を破り、瑠依が口を開く。その表情には、様々な感情を押し殺しているような苦味があった。
「痺れを切らせて、レオの剣を強奪しようとして来たのよ、彼らは。向こうも相馬の力は分かっているみたいだから、交渉のカードとして、私達を人質に取ろうと考えたみたい」
追い打ちをかけるかのように、瑠依は無情な真実で相馬を打ちのめす。それが相馬にとってどれほど衝撃的な情報か、心を苛み後悔を思わせる言葉か、理解していながら。
しかし今の瑠依には、相馬の心情を顧慮する余裕など、望むべくもなかった。
「……相馬が連合に剣を渡していれば、こんな事にはならなかったのかもしれないわね」
瑠依の目は、相馬を糾弾するような鋭い眼光を湛えてはいない。その眼差しすら、相馬に向けられていない。
ただ、何もかも諦めたように俯き、虚ろな視線で地面をなぞっている。
「……それは言い過ぎだよ、瑠依ちゃん。相馬くんにだって、色々とあったんだから」
罪悪感に絶句する相馬に代わって、由紀が弁護に入った。しかし、その声音はひどく頼りない。由紀とて、内心では相馬を責めたい気持ちもあった。
「でも、予想出来た事でしょう? むしろ、予想しておかないといけない事だった。そもそもリオギノ達が血眼になって探していた時点で、連合も欲しがる可能性はあるって、考えなきゃいけないでしょう?」
「それはそうだけど……」
自分と同じ思いをぶつけられ、反論出来るはずもない。由紀の声は、次第に尻すぼみになった。
相馬の判断が些か迂闊なものであった事は、由紀も同感だ。
だが、その判断を下した相馬にも、それなりの言い分はある。連合にもリオギノの部下が紛れ込んでいた以上、相手を簡単に信用する事こそ迂闊な行為だ。あっさりとレオの剣を引き渡した挙句、悪用されるような事はあってはならない。
ならば、力そのものを無くしてしまえばいい。レオの魔力を使って、剣を粉々に砕いて使い物にならないようにしてしまえばいい。
正論のように聞こえるかもしれないが、これは二重の意味で相馬には不可能な選択だった。
第一に、『骸縛霊装』の存在だ。
元々魔術師の武装として異様な力を誇る英雄の遺品だが、『骸縛霊装』の登場によってその価値を大きく高めた。今までは現実的に使用不可能という程使い手を選ぶものだったが、『骸縛霊装』によってその制約が大きく緩和される事となった。今となっては相馬に限らず、誰もがレオの剣を使用出来るようになったのだ。
そして何より、剣として機能しなくとも、ただの破片であっても、魔力を宿した聖遺物としての意味を持ってしまうのだ。これで最早、剣を破壊する意味は無くなった。
第二に、敵からの防衛手段だ。
レオの剣を失ってしまえば、相馬はまた無力な少年に戻ってしまう。そうなっては、今まで相馬が倒してきた犯罪者達に縁のある者や、有名になった人物を殺害して名を上げようと考える野次馬にも似た軽薄な殺人鬼に襲撃された場合、自衛の為の力すら無いのだ。
相馬はもう、何処にでもいるただの見習い魔術師ではない。それはつまり、誰かに因縁を付けられて命を狙われる危険性が高いという事だ。自分の身を守る為に必要な最低限の力さえ、他の同世代の少年少女達と比べて格段に大きい。
相馬はもう、過去の英雄の剣に――絶対的な強さに縋るしかないのだ。
「私だって、相馬の立場は分かっているつもりよ。だから、その軽率さが許せないの」
きっぱりと決別を告げるように、瑠依は冷酷な声で言い放った。その凍て付く程の低温も、沸々と煮え滾る激情故だ。
相馬の間違いを非難する瑠依も、正解がはっきりと分かっている訳ではない。だからこそ、今にも爆発しそうな感情を押し殺す他はなかった。その結果、言葉が刃のように鋭く、冷たく研ぎ澄まされてしまうのは必然だった。
一言も言い返す事が出来ず、相馬はただ押し黙る。彩香の死に責任を感じてさえいなければ、いくらでも反論出来ただろう。しかし生憎、相馬はそこまで無責任な男ではなかった。
「これからどうなるのか、考えたくもないけど……最悪の事態になる前に、やるべき事をちゃんとやって。力を持ったあなたは、それだけの責任を背負っているはずよ」
ひとしきり感情をぶつけると、瑠依はを返して速足で去って行った。これ以上会話を続けていても、ひたすら感情的な罵倒の言葉が口を吐くだけだと悟ったのだろう。
去り際に、瞳を潤ませていた悲しみが僅かに零れ落ちる。瑠依の後ろ姿を追って、由紀もまた彼女をなだめるべく走り去って行った。
霧壱は一言も口を挿まずに、その様子を見守っていた。相馬の判断を肯定も否定もせずに、ただ沈黙を守っている。
それが相馬にとっては、唯一残された安息になってしまったのかもしれない。励ましの言葉など、虚しいだけだ。
「俺は……何処で間違ったんだ?」
既に見えなくなった2人の後ろ姿に視線を据えたまま、相馬は独り言のように呟いた。
「さあな。俺にも分からん。
そもそも、間違った事をしなくとも、悪い事は起こるものだ。――お前の場合がどうかは知らないがな」
虚を突いた霧壱の問いに、相馬は言葉を失った。去り際に、霧壱は振り返らずに一言付け足す。
「少なくとも、自分で何も考えない奴と、自分を信じられない奴は、どうなっても文句は言えないだろう。
……お前も、俺も、その辺をもう一度よく考え直してみた方がいいのかもな」
そう言って、霧壱は去って行った。瓦礫の中、相馬は独り取り残される。
『相馬くんって意外と現実的というか、つくづく消去法で動くタイプなんだね』
不意に、いつかの由紀の言葉が、相馬の脳裏に木霊した。