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それは、見るも無残な残骸だった。建物の壁が崩壊し、遠くまで破片が吹き飛んでいた。足元には、紅い染みの付いた瓦礫が散らばっている。
本当にこれが、たった1人の魔術師によってもたらされた被害なのだろうか。媛河由紀は悪い夢でも見ているような気分だったが、彼女が今居るのは、逃れようのない現実であった。目が覚めれば霧散して無くなるまやかしではない。
由紀の視線の先に、1人の魔術師が地に伏して斃れている。建物の破壊も、人の死も、これの被害は、全て彼1人によって引き起こされたものだ。
信じ難い話ではあるが、そこまで特別優秀という程ではない1人の魔術師がもたらしたのだ。これが悪い冗談でなくて、何なのだろう。
過去にも何度か、ラシタンコーク神学校に不審者が侵入して来た事はあった。無論、この東アジア校も例外ではない。それどころか、つい最近何度か襲撃があったばかりだ。
そして今回も、襲撃者は同じ目的で現れた。
しかし、これまで不審者が校舎内に侵入した場合であっても、ここまで深刻な被害が出た事は無かった。ラシタンコークに勤める教師や事務員には、魔術戦においても優秀な人材が多い。故に、侵入者は余程の猛者でない限り、己の浅薄な判断を悔いる事となる。これまでは侵入者を複数の職員が難なく撃退する事が多く、被害も小さなものに留まっていた。
ところが、今回の被害は前代未聞だ。東アジア校の歴史に留まらず、全世界のラシタンコークを見ても過去に例が無い。たった1人の侵入者を相手に、校内の建物は爆撃を受けたかのような破壊の痕を見せ、職員4人と生徒1人が死亡した。
歴史を覆す無残な結果をもたらした最大の要因は、侵入者の使用した『骸縛霊装』にある。この事は疑いようがない。連合の幹部に匹敵する実力者であればまだしも、今回の侵入者にはそれ程の実力は無かった。
しかしそれは、1人の魔術師としての個人の力に限定した場合の話である。『骸縛霊装』を使用した場合においては、その限りではない。
連合の内部においても、『骸縛霊装』の評価は概ね高い。実戦でその威力を遺憾なく発揮された以上、戦場での有効性を疑う事は出来ない。
しかし由紀は暗鬱な想いだ。この画期的な兵装の開発により、魔術師は一段階上の領域へと登った。それが由紀には、喜ばしい事のようには思われない。この飛躍的な一歩は、きっと崖の縁からの一歩であるに違いない。前進ではなく墜落だ。
「瑠依ちゃん……どう思う?」
「最悪ね。いい事が無いわ」
憂鬱そうな由紀の問いに、咬丹瑠依は溜息交じりに答えた。
問いの内容は分かっている。魔術師の常識を覆した新たな武装、『骸縛霊装』の是非だ。
「ただでさえ魔術師は攻撃力が高いのに、こんな武装なんかがあったら、今まで以上に取り締まりが大変になるだけよ。ますます荒れるだけ」
「やっぱり瑠依ちゃんもそう思う? ……そうだよね」
深く溜め息を吐き出すものの、内側に溜まった憂鬱な想いまでは消えてくれない。心にぽっかりと空いた虚無を満たすものは無く、傷口をってその穴を広げるかのように、ただ喪失感が心を蝕んでいく。
「相手を倒す力だけじゃ、何もならないのに……」
そう呟く由紀は、言葉とは裏腹に自分の非力を嘆いているようにも見える。力を否定するのは、己の非力と向き合っていないだけなのだろうか。
「これからは、犯罪も取り締まりも、色々と変わっていくでしょうね。多分、死傷者の数はどんどん増えていくわ。いくら魔力で防御を固められると言っても、強化された攻撃力の方がずっと上だから、攻める側が有利よ」
「守っているだけじゃ不利だったら、やっぱり反撃するしかないよね。それも、相手の攻撃よりもずっと強力なヤツで」
「当然でしょう。報復が怖いのはお互い様なんだから、相手が反撃出来ないくらい徹底的に叩きのめそうとするはず。……お互いに、ね」
虚無感に苛まれ、光の霞んだ目を空に向ける。由紀達のやるせない心境など何処吹く風といった様子で、昼の空は清々しい程に青かった。そこには一点の曇りも無い。透き通るような純粋な蒼だけが、大空のグラデーションを支配している。
その鮮やかな晴れ模様は、かの英雄レオ・ハイキョウサを彷彿させた。相馬がレオの剣を手に取り、そこに宿る魔力を解き放つ時、この空のような蒼然とした輝きが渦を巻く。
雲に蝕まれる事のない、澄み渡る青空のように。荒れ狂う波で全てを呑み込む、無限の大海原のように。
「まあ、魔獣狩りの効率も上がるでしょうから、野生の魔獣による被害者は減るでしょうね。それに、魔獣の住処から色々な資源が取れるし、魔獣自体も資源になる」
魔獣の肉を食用にするという話は聞いた事が無いが、魔獣の死体は魔術師にとって他の用途がある。魔獣の爪や牙、皮膚やといったモノは、魔術師専用の武装を制作する際に重宝される。
そして今は、より鮮明な用途が確立されつつある。これからの魔術師が扱う、最強の武装を造る為に必要になるのだ。強力な魔力さえ宿ればいいので、使用する聖遺物は魔獣のものでも魔術師のものでも構わない。
「……『骸縛霊装』の材料、かぁ。なんていうか、ブレーキの壊れたレースカーに乗せられた気分だよ」
「……同感ね」
空から視線を落とし、2人は前方の景色を見た。眼前に広がる破壊の痕は、自分達魔術師が致命的なアクセルペダルを踏み込んでしまった事の、何よりの証明だ。
魔なる力を手に入れた人類は、とうとう超えてはならない一線を越えてしまってのかもしれない。
「一通り犯罪者を撲滅したら、今度は危険な魔獣を殲滅でもするのかな?」
力は使わなければ、せめて何時でも使えるようにしなければ意味が無い。そして何より、力というものは手にした者を魅了する。その力を存分に揮い、禁断の悦びを味わってみたいと。もう一度、あの悦びを噛み締めたいと。
そして、攻撃の対象が――討つべき敵が存在するのだ。引き金を引かずにいられる訳がない。
「さあ、どうかしらね。連合もそこまで暇じゃないでしょうから、闇雲に魔獣を狩り尽すような事はしない――と言うより、出来ないでしょうね。むしろ『骸縛霊装』の材料として狩り過ぎて、今度は保護対象になるんじゃない?」
「悪魔にされたり、サンドバッグにされたり、武器の材料にされたり……魔獣にとってもいい迷惑だろうね」
「そう思うだけの知能が無い事がまだ幸い……かしら?」
「どうだろうね。案外、知能が低い方が幸せかもね。面倒な事考えなくて済むし」
「ちゃんと考えないと、後でかえって面倒な事になるだけよ」
「……それもそうだね」
由紀はそれ以上何かを言おうとはせず、呟くように相槌を打った。
雑談に興じて気を紛らわせようと思っていたものの、今はそんな気にはなれなかった。
ふと、由紀は森の奥に2つの人影を見出した。学校に用があるのか、あるいは学校に寝泊まりしている状態なのか、彼らはこちらに歩いて来る。
距離が縮まり、由紀は人影の正体を知った。
こちらに歩いて来る理由は、どうやら後者のようだ。
「……あれ、もしかして相馬くんと霧壱くんかな?」
そう言って由紀が指差した先には、瑠依にとっても見覚えのある顔があった。
「そうみたいね。……今まで何処をほっつき歩いていたのよ……」
瑠依の声がいつも以上に冷たくなっている事に由紀は気付いたが、あえて何も言わなかった。