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瞬時に巻き起こった変化に、己義悌は一体何が起きたのか、咄嗟には判断出来なかった。その遅れた理解に先んじて、己義悌の膝が地に崩れ落ちる。
己義悌の操っていた手裏剣が墜落した事もまた、己義悌が膝を地に突いたのと同じ理由による。上から叩き付けられた訳ではない。単に、自らの重みに耐え切れなくなり、空を舞う事が叶わなくなったのだ。
白いコートの男が所持していた、重力操作の魔術を秘めた『骸縛霊装』は、新たな所有者の下でその力を十全に発揮していた。空間が歪む程に、己義悌の周囲の重力が増大する。己義悌は軋む体を動かせず、彼の魔術である手裏剣はへばり付いたように地面から離れない。
「なッ!? 刃を……動かせない!?」
残る魔力の大部分を費やす事で、霧壱は己義悌の攻撃と動きを止める事に成功した。しかし、あえて残存する力を総動員はさせはしなかった。一定空間の重力を増大させる他に、もうひとつ別の魔術を発動させる為だ。
今の霧壱であれば、本来は持ち得なかった遠距離攻撃用の魔術を発動出来る。自分が扱えなくとも、それを扱える魔術師の力が『骸縛霊装』に入ってさえいれば、その魔術を行使出来るからだ。それこそ、『骸縛霊装』の強みである。
だが、その選択肢は霧壱が自ら潰してしまっていた。標的を取り巻く空間の重力が強過ぎる為、仮に飛び道具を使ったとしても、その攻撃は己義悌の手裏剣と同じように地面に叩き付けられるからだ。
霧壱は脚部に力を籠め、更に魔力を這わせた。地面を蹴って跳躍すべく、膝を折って構える。同時に、自身の持つ身体強化の魔術とは別に、行使している重力増加の魔術とも独立に、第3の魔術を発動させる。
これで準備は整った。力強く地面を蹴り、霧壱は大空へと飛翔した。ただ跳躍力を強化しただけでは届かない高さまで、一気に駆け上がる。
霧壱が行使した第3の魔術は、重力軽減の魔術だった。通常の数分の1という程まで重力を小さくし、まさに月面のような空間を作り出したのである。この空間では、僅かな力でも高く跳躍出来る。
故に、霧壱はこの跳躍において、脚力を強化しようとは考えなかった。霧壱が行使した身体強化の魔術も、脚力そのものを上昇させるものではない。攻撃の反動に耐えられるように、脚部の耐久力を上昇させているだけである。
霧壱の眼下に、破壊された街の全貌が広がる。確かに、この景色は自分の力だけでは見る事が叶わなかった。この高さまで届く事もなかった。
「俺は……アンタのような、打算と軽蔑しかない、薄っぺらな人間にはならない! 俺には、魔術師としての誇りがある!」
宙を舞う霧壱は、自身を取り巻く空気が変わった事を悟る。
真上へと垂直に跳んだ訳ではなく、僅かに前方に傾けて跳んだ為、落下点は元の場所とは異なる。跳躍の最高点まで達した霧壱は、そのまま重力に従って自由落下し、上空で無重力空間から超重力空間へと移動していたのだ。
そして、眼下に討つべき敵を捉え、霧壱は自ら弾丸となり、一直線に滑空していく。
「――そこが、アンタと俺の違いだ。」
地球上における本来の重力の数倍はあろうかという力に後押しされ、通常の数倍の加速を得て自由落下する。ただの小石でも、この空間においては隕石も同然だ。
常軌を逸した速度で急降下する霧壱を見て、己義悌は、ドーム状の城壁を生成した。
どのみち、この重力下では回避もままならない。僅かばかり動いたところで、魔力による気流操作などで軌道を修正されるだけだろう。回避が不可能なら、防御しかない。しかし、単純な盾では盾ごと押し潰されるだけだ。その為、わざわざ手間と労力を掛けて、凝った盾を用意しなければならなかった。
ドームに隠れる己義悌を視界に捉えたが、霧壱は何ら臆する事はなかった。制御を放棄したも同然の落下速度に身を任せ、盾ごと蹴り砕す所存でいた。
一際大きな衝撃と共に、盛大な爆音が鳴り響く。己義悌が生成した盾は、霧壱の蹴りによって木端微塵に粉砕された。その奥で身を守っていた術者もまた、上空から飛来した衝撃にその身を貫かれる。
超重力空間において、高度という地理条件は通常より大きな意味を持つ。上からの攻撃に力で対抗するしかなかった時点で、既に己義悌に勝機は無かった。
盾の魔術ごと敵を穿った霧壱は、重力操作の魔術を解いて着地した。
途端に、右足を激痛が駆け抜け、霧壱は顔を歪めた。魔力で強化していたとはいえ、衝撃が強過ぎた。自らを弾丸とした反動は大きい。筋肉の裂傷と骨折は疑いようがない。治癒無しでは右足は使い物にならず、立つ事すら出来ないだろう。
地べたに座り込んだ姿勢で、霧壱はかつての師を見下ろした。蹴り込んだ足の裏から伝わった手応えからして、己義悌の肋骨は全て粉砕され、肺や心臓も潰されただろう。
「……魔術師界の未来は担う。だが、アンタの思い描いているようなものにする気はない」
冷酷なまでの決別で以て、霧壱はかつての師を見送った。