10-1
鋭利な破壊力を誇る鈍器を前にしても臆する事なく、毛利霧壱は果敢にかつての師に拳をぶつけていった。
魔力を筋肉や皮膚に伝わせ、内と外から身体を強化する。そうして全身を鋼の如く強靭なものにし、魔力で生成されたトンファーに対抗していた。
「少しは成長したかと思ったが、まだまだ視野が狭いな、毛利君。先生はがっかりだよ」
手にした2つのトンファーを操り、粛己義悌はさも残念そうに言った。その声音には見込んでいた生徒に対する失望の色が滲んでいたが、当の生徒はその事には一切斟酌していない。生徒の方もまた、この教師に失望している。
「がっかり、か……。それはむしろ、こっちの台詞ですけどね」
繰り出された己義悌のトンファーを掌底で弾き、霧壱は続ける。
「いつだったか、随分と啓蒙してくれましたけど……結局あれは、ただの詭弁だったんですか? アンタの言う“人の力”は、こういうものの事だったんですか?」
廃墟も同然に破壊され、戦場となった街の風景。そこに転がる命を無くした体を言葉で指し、霧壱は怒りを滲ませて尋ねる。
「こういうもの、ねぇ。
これは、その“力”をよりよいものにする為の革命だよ。別に、こうやって壊して殺していく事が“力”だなんて思ってはない。……ま、私達の仲間には、そう考えている愚か者もいるようだけどね」
「……よく、そんな輩を隣に立たせる気になりますね」
「ほら、『馬鹿とハサミは使いよう』という訳さ」
「なるほど。体のいい捨て駒か」
「そういう事」
口先は軽く、打撃は重く。意志と力をぶつけ合い、かつての師弟は拳を交わす。決裂したと分かった今となっても、言葉の応酬はかつてと変わらなかった。
相手を否定するでもなく、理解し合うでもなく。ただ、己の意志をぶつけ、相手の意志を受け入れるでもなく受け止める。
「今の魔術師界は、魔力を持たない人達との溝が大き過ぎるだろう? それは人間社会全体としても問題だし、魔術や科学の発展の為にもよろしくないんだよ」
霧壱との荒んだ会話を続けながら、己義悌は更なる魔力を武器に注ぎ込んだ。トンファーの形状が変化し、棒の部分に獰猛な棘が生える。
「そんな事は俺の知った事じゃない。
そもそも、理論がねじれている。魔術を発展させる為なら、もっと徹底して社会を切り分けた方がいいはずだ。無能な連中の事をいちいち気にしているから、魔術師は肩身の狭い思いをしている。自業自得だ」
敵の得物が、鈍器というよりも刃物に近いものとなった。その変化に、霧壱はすぐさま対応する。
これでは、如何に魔力で防護しているとはいえ、腕で弾くのは危険だ。攻撃をより慎重に行い、防御よりも回避を重点に置いた戦法に切り替える必要があった。
「だから、君は視野が狭いって言っているんだよ。魔術師は科学技術を蔑ろにする傾向にあるけれど――そこを上手く合わせて調和させる事で、魔術も科学もより発展するんだ」
その言い分は、恐らく正しいのだろう。霧壱にとっても、思い当たる節はあった。
「……それで出来たのが、その金の腕輪ですか?」
「ご明察の通り。この『骸縛霊装』が、その証明さ」
己義悌の左手首に巻かれた腕時計のような装飾品を指し、霧壱は尋ねた。これと同じような腕輪を付けた魔術師が異様な魔力を発した様を、霧壱はこの目で見ている。
そして案の定、この『骸縛霊装』なる腕輪は、科学の力によって魔術師の力を増強させるものであるらしい。
「やっぱり、人間は社会的動物なんだ。みんなで協力して、互いに手を取り合って生きていくように出来ている。異なる能力を持った者同士が助け合い、互いの長所を生かして短所を補い合う。――頑固な君が、大っ嫌いな事だ」
「ああ。嫌いだね」
そう吐き捨て、霧壱は足先に魔力を集中させた。渾身の上段回し蹴りが炸裂し、己義悌の構えるトンファーの1つを打ち砕く。その強度も、触れるもの全てを切り裂く棘も、脚部を覆う霧壱の魔力防壁の前には無力だった。
「一人前の人間は、自分の力だけで生きて行くものだ。魔術師なら尚の事」
敵の得物を砕いた勢いのまま、霧壱は決然と言い切った。宙に舞う鉄と化した魔力の破片が、相手の信念の脆さを物語っているとでも言いたげに。
「機械なんぞに頼らなければ生きていけないような貧弱な連中と肩を取り合うなんぞ、ふざけている! 奴らを地上から淘汰するべきだとまでは思わないが、助け合う必要も、そうする意味も無い!」
新たに生成された鎖鎌の投擲を躱しながら、霧壱は確たる信念を口にした。複雑にしなる鎖の動きを潜り抜け、一気に相手との間合いを詰める。
「ふん。だから……君は視野が狭いと、一体何度言ったら分かるんだ? ――ほら!」
優秀だった元教え子に、己義悌は失望の念を露にする。
たった今彼が口にした言葉は、霧壱の至らなさに呆れたが故のものだった。彼の最大の短所は、彼の価値観だけでなく戦闘においても表れている。
手綱を引くように、己義悌は手にした鎖を引いた。それと同時に、指先から這わされた魔力が鎖を伝い、先端に備えられた鎌まで伸びていく。鎖を引く物理的な動作と魔力による軌道の操作が相まって、己義悌の鎌はその動きを急速に変えて主の下へと戻って行った。
無論、霧壱の格闘技に対抗する為の近接武器へと作り替えよう、などと考えての行為ではない。武器が欲しいのなら、手元にある鎖鎌などは捨てて、より近接戦闘に適した武器を生成した方が早い。状況に応じて多彩な武器を生み出し使い分ける事こそが、この魔術師の魔力特性であり戦法なのだ。
滑空する鎌は、死角から霧壱に襲い掛かった。軌道の先に標的を据え、その刃で獲物を刈る。
身を斬られる寸前で鎌の気配を察した霧壱は、辛うじて身を捩り、間一髪のところで直撃だけは躱した。刃を掠められた左腕が裂け、真紅の飛沫が宙を舞う。
「君は些か真っ直ぐ過ぎる――もっと言えば愚直だ。前しか見えていないから、こうやって後ろから斬られるのさ。分かるかい?」
「……確かに、少し熱くなり過ぎてはいたかもな」
左腕の傷を押さえながら、霧壱は悔しげに答えた。
後ろから攻撃する事が悪い事だと、そのような愚かしい考えは持っていない。自分の背中に注意するのは当然の事だ。自分の身を自分で守る以上、死角にこそ注意を払わなければならない。後ろからの攻撃は卑怯だ、などとのたまうのは、前しか見れない愚かな弱者の戯言だ。
だからこそ、霧壱は己義悌に反論する事が出来ない。この傷は自分の不用心の象徴であって、決して己義悌の姑息さの象徴ではないのだから。