9-11
現在の戦況を端的に述べれば、由紀達は極めて劣勢であると言えた。
手負いの敵に対して3人掛かりだったという事もあり、由紀達も一度は相手の魔術師を追い込んだ。だが、『骸縛霊装』の起動を境にして瞬く間に戦況が覆された。
急にそれまで使っていた槍を捨てたかと思いきや、魔術師の全身が鎧のようなものに包まれた。そして、1体の獰猛な獣へと変身したのだ。それはまるで、魔力で生成したモンスターをその身に纏ったかのようだった。
その魔術師というよりも魔物に近い姿の敵を前に、3人は致命傷を負わないようにするのが精一杯だった。
巨大かつ鋭利な爪をその両手に備え、獰猛なる獣は鬼気迫る咆哮を上げる。
その爪の破壊力は既に実証済みである。瑠依の狐型モンスター“マンモン”も、たったの一撃で消滅させられた。それは防御においてもその力を十全に発揮し、彩香の魔弾、由紀の炎、水流、風の刃、石――それら全てを悉く弾き切っていた。
今度は新たに生成された熊型モンスター“ベルフェゴール”が、魔獣の姿となった魔術師と格闘している。だが、それもいつまで持つか分かったものではない。事実、“ベルフェゴール”は防戦一方だ。一瞬でも操作を怠れば、即座に粉砕されてしまうだろう。
唯一の救いは、敵が片足を酷く負傷している事だ。3人の前に現れた時点で既に重傷の身だったが、彼は『骸縛霊装』を起動する前に、右足を彩香に射抜かれた。
その為、彼は身体能力を大幅に上昇させたにも関わらず、その機動力はそう高くはない。
この獣が十分な機動力を発揮出来ていたら、由紀達はとうにその五体を引き裂かれているだろう。
由紀の援護射撃と“ベルフェゴール”を相手に、この魔物は依然として全く隙を見せない。その爪や牙による殴殺は、既に秒読みに入っていると言えた。
彩香が意識を取り戻した時、真っ先に感じたのは背中に響く痛みだった。
槍の柄に殴り飛ばされて宙を舞い、彩香は強かに体を打ち付けた。その時に一度気を失ったが、こうして無事に意識を取り戻した通り、命に別状は無いようである。
目を覚ました彩香は、遠目に2体の怪物の格闘を見た。片方は瑠依の操る魔術だと直ぐに分かったが、もう片方の魔物には見覚えがなかった。先程まで戦っていたはずの槍使いと同じ魔力を感じるが、それとは別の魔力もまた感じ取れる。実に奇怪で気味の悪い存在だと彩香は思った。
(なんじゃありゃ……? もしや、由紀の言っていたパワーアップアイテムとやらでも使ったのか?)
射撃手である彩香は、他の生徒よりも視力強化の魔術を伸ばして来た。この距離からでも、怪物の細部を確認出来る。彩香は視神経に更なる魔力を這わせ、怪物の体をより詳細に窺った。直ぐに戦線に戻ろうにも、足を負傷した所為で機動力に駆ける。遠くから狙い撃つなら尚の事、まずは敵の弱点を探るのが筋だと思われた。
意識を失うまで戦っていた魔術師だと思われる怪物は、特に右足と左脇腹、右肩を酷く負傷している。あの容態では当然ながら機動力は低く、特に右からの攻撃には上手く対応出来ないだろう。背後から狙い撃てば、敵はそれに対処し切れないと彩香は直感した。
普段とは打って変わった冷静な思考で相手の弱点を分析し、攻撃すべき箇所と自身の狙撃位置を探る。恐らく瑠依の切り札“サタン”であっても、あの敵を倒すのは難しい。敵の相手は由紀と瑠依に任せ、自分は死角に陣取って攻撃の機会を見計らった方がいい。魔物と化した魔術師に見付からないよう注意しながら、彩香は身を屈めて移動を始めた。
隠れる場所を決定したところで、彩香は偶然にも視界の隅に無視出来ないものを見付けた。
息絶えて倒れている魔術師の傍に転がっている、1本の弓。見る限り、この弓はここで斃れている魔術師の使っていたものだろう。魔術師の遺品であるという事は、恐らくは物理的な攻撃をするだけの武器ではない。ただの弓ではなく、魔術的な措置を施された代物だろう。
彩香にとって、これは願っても無い僥倖だった。あれを使えば、狙撃を 行う際の射程距離や魔弾の速度が飛躍的に伸びる。
狙撃位置を確保する前に、彩香は先ずあの弓を拾う事に決めた。
敵の攻撃力の高さは、既に分かっている。モンスターを瞬殺させる事だけは避ける為、瑠依は“ベルフェゴール”を果敢に攻めさせるような事はしなかった。
“マンモン”がやられた以上、急ごしらえの“ベルフェゴール”如きで勝てるとは思っていない。だが、この熊は防御力と耐久力の高さが売りだ。積極的に敵を倒しにいくのであれば、他にももっと適したモンスターはある。持久戦であれば、この魔術が最も適しているところだ。
こちらは3人もいるのだ。自分のモンスターだけで解決しようとはせず、決定打を撃つのは由紀か彩香に任せた方がいい。そう判断しているからこそ、瑠依は防御に甘んじている。
由紀が炎弾を放ち、敵の右足を狙い撃つ。致命傷を与えられる部位ではないが、一応は敵の弱点ではある。隙を作れば、そこから次の攻撃に移れると由紀は思っていた。
だが、由紀の放った炎弾は全て、獣と化した魔術師の右腕によって潰された。すかさず瑠依はモンスターを操作し、右肩の傷口を狙わせる。右肩に熊の爪が深く食い込み、怪物の顔が苦悶に歪んだ。
ようやくこの化け物に一矢報いたと思った、次の瞬間、“ベルフェゴール”は怪物の左腕に胴体を貫かれて消滅した。敵の右腕を機能停止にまで追い込んだというだけでも十分な置き土産だが、瑠依が次のモンスターを繰り出すまでの間は、2人にとって余りにも致命的な時間だった。
負傷した左脇腹を狙い、由紀は続けざまに水の弾丸を放つ。それらを難なく左の爪で弾き、怪物は怒涛の咆哮を上げた。右足を引きずりながらも、彼は残る2体の獲物を仕留めんと前へ進む。
恐らくは、ここで彼は勝利を確信したのだろう。満身創痍の中での戦いだとはいえ、敵の力量は余りにも低過ぎる。負ける要因など、無いも同然だった。その事実が、油断という死の導火線に火を付けた。
前方の敵に意識を集中させると、背後への注意が疎かになりかねない。別の敵に背中を取られていた場合、それは死に直結する。一度打撃を叩き込んで退場させたもう1人の少女の事を、この獣は失念していた。
完全に死角となっていた背後から、高密度に圧縮された魔力の矢が飛翔する。心臓を穿たれる直前まで、彼は背後からの狙撃に気付けなかった。無論、直前になって気付いたところで、今更避けられるはずもなかった。
胸の中央からは、血を滴らせた魔なる矢じりが伸びている。彼は驚愕に目を見開き、自身を貫いた矢をじっと見ていた。
体に突き刺さった矢が四散すると同時に、体を覆う獣じみた魔力が剥がれた。塵へと還っていくふたつの魔力の中で、彼の体はゆっくりと倒れて行った。
「ふぅ……。なんとかなったみたいだね」
脱力して地面に座り込み、由紀は深々と息を吐いた。互いに肩にもたれ掛かるような形で、瑠依もまた腰を下ろす。
「全くね。一時はどうなる事かと思ったわ」
彩香がすぐに倒れるとは思っていなかったが、実際、気を失っても比較的早く意識を取り戻したようだ。敵に止めを刺したあの遠距離射撃は、彩香の魔術だ。由紀も瑠依も、その魔力に気付かないはずもない。
復活したとはいえ、彼女もまた手負いの身だ。自分達だけ休むのもどうかと、瑠依は訝る。
「さ。私達だけで休んでないで、彩香を迎えに行きましょう?」
「賛成。でも彩香ちゃん、もうこっちに来てるよ」
そう答える由紀の視線の先には、弓を杖代わりにしながら歩いて来る彩香の姿があった。
「それでも、よ。それに、あのコの方が重傷でしょ?」
「それもそうだ。――立てる?」
「当然よ」
互いに支え合って立ち上がり、由紀と瑠依は歩いて来る彩香の下へと足を運んだ。