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無数にひしめく“ムゥ”の軍勢を次々と討伐していった霧壱だが、そうしている内に、ふと気が付けば由紀達から離れてしまっていた。
とはいえ、こうして個人行動に走ってしまった理由は過失によるものだけではない。ひとつ気になる事が出来たので、それを故意に追って行く内にはぐれてしまったというのが大筋である。
由紀達の存在が頭の隅にはあった時も、はぐれてしまってもそこまで大層な問題にはならないだろうという彼らしくもない楽観があった。厳密には、そうして自分の行いを正当化する事で、気掛かりになった事柄を優先させたのである。要するに、霧壱は誘惑に負けて自分の言葉に反したのだ。
その事について申し訳なく思うところはあったが、今はそれについてとやかく考えるような心の余裕は無かった。霧壱の意識は、専ら視線の先に立つ1人の人物のみに注がれていた。
建物の陰に身を潜め、霧壱はその奥に広がる光景を窺う。霧壱の視線の先では、血溜まりに沈むラシタンコークの職員達を、1人の教師が見下ろしていた。
(……どういう事だ? まさか、本当に?)
由紀達と共に“ムゥ”退治に勤しんでいた時に偶然聞いた、斃れたラシタンコークの職員の通信機から漏れ出る声。その通信にあった信じ難い情報は真実だったのだと、目の前の惨劇が告げている。
そして、その教師の目が、物陰に隠れる霧壱の方へと向いた。
「――誰か居るようだな」
血の海に立つ教師は魔力を編み、巨大な手裏剣を生成するとそれを投げ付けた。軌道を見切ってすぐさま跳び退り、霧壱はそれを躱す。
正面から対峙する形となり、霧壱はその教師と視線を交わした。
「おやおや。誰かと思えば……。君だったのか、毛利君」
霧壱に攻撃したその教師は、涜神科の粛己義悌だった。自分の良く知る他でもない恩師の知られざる姿に、霧壱は当惑すると共に怒りに近い感情を抱く。
「粛先生……! やっぱり、あなたがスパイだったっていうのは本当だったんですか!?」
動揺と怒りを表す霧壱に、己義悌は生徒をめるような顔をした。
「ふむ。やはり、あの時の通信が漏れてしまっていたか。まぁ仕方が無い」
油断無く霧壱を見据えながらも、己義悌は余裕のある態度で歩き出した。激情に心を駆られながらも、霧壱は己義悌の姿を注意深く観察する。
己義悌の体には、これといって大きな負傷は無い。自分を信用し切っていた者を後ろから討ったのだから、反撃を受けていないのも当然とさえ言えよう。
とはいえ、それは相手が1人か2人程度の場合に限る。しかし実際には、己義悌の足元に転がっている骸は4体。不意打ちで最初の1人を倒してとしても、残りの3人を相手にほぼ無傷というのは在り得ない。実力と間隙以外にも、何かしらの工夫や強みがあったと考えるべきだろう。
己義悌もあの不可解な効力を持つ金の腕輪を所持しており、それを使用したのだろう。霧壱は咄嗟にそう判断した。
「まさか、ラシタンコークの中に内通者を用意していたとは……。意外と大きな組織なんですね、あなた達は?」
「それほどでもないよ。でも、それなりに同志はいる」
霧壱の挑発的な問いに、己義悌は不敵に笑った。
内通者として他の職員の目を盗んで情報を送る事は、容易ではなかった。あくまでも武器の生成のみを得意とする魔術師だと認識させていたからこそ、疑いの目を向けられる事もなかった。モンスター生成の技術も有しているなどとは、誰も思っていなかった。そして、その認識はそこまで間違ったものでもなかったと言える。
戦闘には向かず、講義を設けるには程遠いとはいえ、単独での長距離移動というひとつの目的に特化したものであれば生成出来たのだ。それでも、大陸を縦断するような移動は至難だったが。
他の職員達には隼のモンスターの存在を秘匿していたからこそ、辛うじて伝書鳩よろしく小型モンスターを使う事が出来た。しかしそれも、存在自体が見付からないように、大分苦労したものだった。
それも、今の堕落した魔術師界を復興させる為である。己義悌は皮肉めいた笑みを浮かべ、自分と多くの考えを共有し、しかし時として異なる意見をぶつけ合った教え子を見据えた。
「仲間も、ぼちぼち集まって来るものさ。何せ、今の魔術師界に不満を持っていない者の方が少ないからね。君だってそうだろう?」
「……不満だらけですね、確かに」
湧き上がる不快感を隠そうともせず、霧壱は荒い語気で吐き捨てた。嫌悪感を滲ませた視線の先には、紅蓮に染まる瓦礫の惨状が広がっている。
「それで、コレですか。――思考が短絡的過ぎて呆れますね」
そう言うや否や、脚部に魔力を集中させ、霧壱は己義悌の懐に飛び込んだ。その瞬発に、己義悌もまた即座に魔力を編む。
「こういうやり方は、頭の悪い輩のやる事と相場が決まっている。あなたもそういう人だったなんて……残念ですよ」
身体は大して負傷してはいないが、感知した限り、魔力の消耗は激しいようである。霧壱もまた魔力と体力共に消耗してはいるが、勝機はあると踏んだ。
己義悌もまた魔力を編み込むと、その両手にトンファーを生成した。魔力で形作られた鉄の棒が、風を切って払われた霧壱の蹴りを受け止める。
「まだ話の途中だろう? いきなり手を出すとは、君の方こそ短絡的だな」
皮肉を返された霧壱もまた、厳しい面持ちで言葉を返す。その深紅の瞳は既に、師を仰ぐ目ではない。討つべき敵を前に、灼熱のような戦意を灯した目だ。
「アンタ達の考え方もやり方も、心底気に入らないんでね!」
筋の大鎌と魔の黒鉄が衝突し、辺りに舞う埃を吹き飛ばした。己義悌の獲物を打ち砕かんと、霧壱は蹴り上げた右足に魔力を籠める。
その更なる圧力をいなし、己義悌はもう片方のトンファーを振るった。回避から間髪入れずに繰り出されたその反撃を、霧壱は体勢を崩されながらも潜り抜ける。
「こんなザマじゃあ、魔術師は今よりももっと悪くなる」
「ふん。最初から努力を放棄していたら、何事も良い方向には向いていかないものさ」
倒れ込みながら咄嗟に相手の足元を払うも、己義悌はそれもまた難なく躱した。
この戦いはかつてない程に苛烈なものになると、霧壱は予感していた。