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幾度となく敵意を乗せた刃がぶつかり合い、殺意を秘めた一閃が頬を掠めた。
鍔迫り合いの最中、切り結ぶ相馬の動きを不審に思った尚睦が、驚愕と懐疑に口元を歪ませる。
「えっ、ちょっ……は、速過ぎだって! なんで君、こんなに速いのさ!?」
相対する園蒙間相馬の体捌きは、かつて尚睦と剣を交えた時とは別人のようだった。その動きは以前とは桁違いに速く、その剣の一振りもまた重い。
身体面においても魔力面においても、これ程の変化は異様と言えた。この僅かな期間では、どんな修練を積んだとしても、ここまでの成長は望めないはずである。通常の成長の範囲には収まらない能力の拡張は、修行の成果や才能の開花といったものではありえない。
相馬は何かしらのトリックを使用し、本来なら望むべくもない能力の拡張を実現したと考えて、まず間違いはない。薬によるドーピングか、あるいは魔術発動を補佐する何かしらのツールを使用したか、そうした何らかの仕掛けがあるはずだった。尚睦の思い当たる代物は『骸縛霊装』しか無かったが、それだけはありえない。相馬にとって、あれは無用の長物のはずだからだ。
初めて見る尚睦の驚愕の表情に、相馬は不敵な笑みを漏らす。その顔はすぐさま獰猛さを帯び、その剣戟もまたより一層凄まじいものとなった。
「ハッ、知るかよ! テメェがトロいだけだろ!」
怒りを滲ませた声で、相馬は尚睦の疑問を一蹴した。回答を拒絶された尚睦だったが、奇しくもその時、彼の抱いた疑問は払拭された。
それまでは一向に疑問を拭い切れないでいた尚睦だったが、『骸縛霊装』の存在が頭を過った事で、僥倖にも謎が氷解する。相馬の用いたトリックは極めて単純であり、尚睦に限って見破られないはずの無いものだった。
前回剣を交えた時は、相馬の怒り様から察するに、手加減をする程の冷静さは無かったはずであった。あの時は使わずに隠し持っていた奥の手を今になって使っている可能性も無い訳では無いが、その可能性は些か現実味に欠けている。怒りに身を任せていた者が、力の出し惜しみをするとは俄かに考え難い。
相馬はあの時、確かに全力を出していた。そして今の彼の全力は、当時のそれを遥かに上回っている。その理由は一重に、彼の“状態”にある。
毛利霧壱の魔力特性が身体強化に特化している事は、疑いようがない。実際に拳を交わした尚睦は、それを確信している。
相馬の身体能力が飛躍的に上昇している理由は、より上位の魔術を行使しているからだ。そしてその魔術を行使出来ている理由はまさに、毛利霧壱から複写した魔力にある。相馬は今、霧壱の魔力をコピーし、彼の魔術を行使しているのだ。
「OK! なんで急にパワーアップしたのか、謎が解けたよ! 霧壱君の魔力をコピーしているんだね!?」
「……ああ。そうだよッ!」
肯定の叫びと共に相馬は空いた左手を突き出し、尚睦の右手首を掴んだ。これで剣は封じた。防御の手段を封殺した今ならば、隙だらけの胴体を一閃出来る。
「させないよ?」
自らの危機を察した尚睦もまた左手を突き出し、剣を握る相馬の右手首を掴み返した。必殺を約束された相馬の一撃が、中空で止まる。
「チッ、しゃらくせぇ!」
「君が先にして来たんじゃないか」
これで、互いに剣を持った相手の利き手を封じ合う状況となった。
だが、尚睦の防御はそれだけでは終わらなかった。優れた防御とは、すぐさま反撃へと転じるものだ。
右手首と左の掌に焼け付くような痛みを感じ、相馬の顔が苦悶に歪む。その反応を見て取り、今度は尚睦が嗜虐の笑みを零した。尚睦の左手は赤く火を灯し、掴んだ相馬の右手首を灼熱の爪で包み込んでいた。同様の魔術が右手からも発言し、自らを掴む相馬の左手を焼く。
レオ・ハイキョウサの遺灰と、それを有効活用する為に用意された刀に気を取られてしまい、相馬はすっかり忘れていた。もとより尚睦は、炎、氷、雷の3つの属性を操る魔術師なのだ。密着した状況でそのいずれかの属性の攻撃を受ける事になるのは、想像に難くない。
相馬は今、レオと霧壱の魔力をそれぞれ同時にコピーしているのであって、由紀のような魔術師の魔力はコピーしていない。従って今尚睦がしているような魔術を行使する事は出来ないが、だからといって反撃の手が無い訳では無い。
両手を焼く痛みに耐えながら、相馬は左脚に魔力を集中させた。弾丸もかくやという瞬発力で以て膝を蹴り上げ、尚睦の腹部を穿つ。
紙一重の差で膝蹴りを読んでいた尚睦は、腹部に力を籠めて筋肉を固めると同時に、更に魔力で覆って強化までしていた。しかしそれでも、相馬の膝蹴りの勢いを殺し切る事は出来なかった。腹部から脳髄まで、打撃による振動が一直線に駆け上がる。
「うぐッ――!」
肋骨を1本ほど折っただろうか。確かな打撃の手応えを膝から感じ取り、相馬は逆襲の好機を察した。左の掌に魔力を這わせて尚睦の火炎に対抗し、剣を持つ右手は尚睦の左手による束縛を振り解く。
(――今だ!)
今、尚睦には僅かな隙が生じている。この隙は一瞬と持たないだろうが、それだけあれば剣を振るうに十分である。目の前の胴体を斬り付けるべく、相馬は剣を掲げた。
ただ1つ、この好機に欠点があったとすれば、それは武器を用いた攻撃をするには些か両者の距離が近過ぎた事だろう。
ナイフによる刺突や小型銃による至近距離からの狙撃を行うのならまだしも、刃渡りが1メートルにも渡る剣を振るうのであれば、本来はもう少しばかり離れている方が望ましい。いくら近接戦に特化した武器であるとはいえ、限度というものがある。ただ近ければそれでいいという訳ではない。
戦況の優劣が入れ替わった事を察した尚睦は、相馬が剣を掲げた時には既に、身を守る為に何をすべきかを判断していた。
今は間合いが近過ぎる。下手に後ろに避けようとすれば、かえって敵の武器にとって最適な間合いに調整してしまう恐れがある。それほど長い付き合いではないとはいえ、同じような武器を使っている以上、その程度の判断は用意に可能だった。
左右に避けるのもまた愚策だ。右手を掴まれていて動きが制限されている以上、回避が間に合う可能性は極めて低い。仮に回避出来たとしても、そこで終わりだ。追撃にまでは対応出来ないだろう。
そして、刀を封じられているので、物理的な防御手段が無い。魔術による防御はあまり得意ではないので期待出来ない上に、そもそも発動が間に合わない。
ならば、為すべき事はひとつ。突進である。
(――なっ!?)
尚睦の突撃に虚を突かれ、相馬は見事に体当たりを食らってよろめいた。ついでのようにがむしゃらに揺り動かされた刀の切っ先が頬を掠め、相馬は内心冷や汗を掻く。
しかし、これは危機であると同時に好機でもあった。
切迫した泥仕合の刹那、相馬は反撃の機を見出し、自身の周囲の大気に魔力を這わせた。