9-2
既に何体の影を屠っただろうか。町中にゾンビのようにひしめく無貌の黒いモンスターの大群を撃破しつつも、媛河由紀はいい加減疲れを感じ始めて来ていた。
少なくとも5体は粉砕したように思えるが、しっかりと数えてはいないので、詳細は定かではない。尤も、減らした分だけ新手が出現するようでは、数を数えたところで意味は無い。由紀は雑念を振り払い、視界に移るモンスターを一掃せんと再び魔力を編み込んだ。
「全く、キリが無い……!」
苛立たしげな舌打ちを耳にしながら、由紀は竜巻を起こして無数に現れるモンスターの群れを蹴散らす。その背後で、毛利霧壱は苛立ちも露に歯噛みしていた。
霧壱の得意とする魔術は、身体の強化である。というよりも、彼が実戦においてまともに扱える魔術はそれだけだ。多彩ではないが、ひとつだけの特技を極めている。4つの属性を使い分ける由紀とは、魔術師としての性質がまるで真逆だ。
故に彼の場合は、戦う際は魔術を行使するだけではなく、直接体を動かす必要がある。拳や足先が直接敵を捉えるので、より生々しい手応えを感じもするのだ。ぬかに釘を打つような動作の繰り返しに対する苛立ちは、距離を取って射撃を行う者よりも大きいのだろう。
由紀の巻き起こす風に切り刻まれ、4体の黒い影が消滅する。その直後、由紀は建物の陰から新たに4体の“ムゥ”が躍り出る様を確認した。いたちごっこのような終わりの無い迷路に、いい加減徒労を感じずにはいられない。
「もうやだ、これ……」
弱気になって愚痴を漏らす由紀のすぐ横を、4条の光が駆け抜ける。立て続けに放たれた4発の魔弾は、全て狙い違わず標的を撃ち抜いた。
「気持ちは分かるけど、ボヤいてないでどんどん撃たなきゃ! 行くよ、由紀!」
意気消沈する由紀に激励を送りながら、汐町彩香は更にまた連続で魔弾を放った。
さながら射的のゲームのように、動きの鈍い標的を撃ち抜いては、すかさず次なる獲物に狙いを定める。由紀には彩香が少なからず愉しんでいるようにも見えたが、それと同等の疲労もまた見て取れた。
3人の絶え間無い努力によって、黒いモンスターの群れ――“ムゥ”は次々と消滅していっている。しかし、群れの奥からまた別の個体が現れて来るので、本当に倒した分だけその数が減っているのかどうかすら定かではない。それでも消滅させている事に変わりはないので、数の増加を防いでいるか、少なくとも増加の速度を緩やかにしてはいるはずだ。そう言い聞かせでもしなければ、気力を無くしてしまいそうだった。
努力の程にも関わらず、なんと頼りない成果であろうか。微力を尽くすとは、まさに文字通りこの事である。
気を取り直し、由紀は再び魔力を編み込んだ。津波の如く押し寄せる灼熱の奔流が、幾つもの黒い影を呑み込む。だが、やはり消えただけの数が奥から現れて来る。由紀としては、自分が何度も懲りずに達磨を転がしている愚か者のように思えて来た。
術者を倒すか、術者の魔力が尽きるのを待つか、根本的な解決はそのどちらかに尽きるだろう。このままだらだらと殲滅作業を繰り返したところで、現状維持が関の山だ。
しかし、術者の居場所が分からない以上、今打てる手は現状維持に限られる。
モンスターを維持して使役する以上、そう遠くない所にいるはずである。だが、その身元を探知出来る程の索敵能力を持つ者は、この場にはいなかった。尤も、いくら接近戦が不得手であろうモンスター使いとはいえ、この3人で立ち向かって勝てる保証も無い。相手の詳細はまるで分からないが、相当な力を持っている事だけは確実である。そもそも、護衛も含めると何人いるか分かったものではない。
持久戦を念頭に置いて体力・魔力共に温存してはいるが、流石に3人共に疲労が蓄積して来ていた。
何人掛かりでこの魔術を発動しているのか、由紀達には推し量る他は無いが、何と厄介な魔術だろうか。このモンスター達を生成・統御しているのがたった1人の魔術師であると知った日には、その驚き様は初めてレオ・ハイキョウサの剣を振るったを目にした時に匹敵するだろう。
挙句、“ムゥ”を統御している魔術師は、同時にもう1体のモンスターまで操っているのだ。いかに『骸縛霊装』で魔術の効果を増長させているとはいえ、既に常識の埒外の所業である。人間の常識を破るのが常である魔術師からしても、これは些か衝撃が強過ぎる事実だろう。
しびれを切らした由紀は、腹癒せに大技を叩き込んでやろうかと画策した。
先の相馬がそうしたように、その方が1体ずつ地道に潰していくよりも効率がいいかもしれない。散開する敵の数と各々の位置を踏まえ、自分の持つ技のどれが最も適しているか、思考を張り巡らせる。
(――駄目だ。ちょうどいい技が無い。やっぱり、地道に頑張るしかないかぁ)
悲観的な結論が出るまで、そう時間は掛からなかった。予定よりも遥かに少ない量の魔力を丁寧に練り上げ、僅かな量も無駄を出さないように注意して魔術を発動させる。
迫り来る敵をその隻眼で捉え、由紀は炎の矢を放った。3体の“ムゥ”を団子のように串刺しにし、傷口から焼き尽くす。次なる攻撃に向けて、位置取りを調整しながら慎重に魔力を編む。
やはり、これ程の数を相手にするのは骨が折れる。“ムゥ”には近接格闘以外の一切の攻撃手段が無い事が、唯一の救いだった。とはいえ、それならば近付かせなければいいと言っても、360度全ての方向から敵が向かって来るのだ。逃げ道が無い以上、迎え撃つ以外に方法は無い。
気が付けば、由紀は彩香の近くにいた。絶え間無く場所を移動している内に、距離が縮まっていたようだ。防衛戦を考える上では有利な位置取りではあるが、生憎今の由紀達に課せられているのは自己の防衛だけではない。自分の身だけを守れても、魔力という抵抗力を持たない人々を庇う事が出来なければ、本来の命題は達成されないのだ。
あるいは、それは始めから未熟な由紀達には重過ぎる課題だったのかもしれない。
彩香と背中を合わせる形になった由紀は、苛立たしさと悔しさに歯噛みしながら呟いた。
「どうしよう、これ? キリが無いんだけど……」
由紀の質問を受けた彩香も、打つ手が無いといった様子だ。由紀と似たような困り顔で、彩香は疲労の滲んだ溜め息と共に言葉を返す。
「コイツらを操っている奴にも、当然、魔力の限界があるハズだよ。それが来るまで、ずっとこれを続けるしかないんじゃないかな。術者が何処にいるか分からないんじゃあ、手の打ちようが無いでしょ?」
彩香の見解は、由紀のそれと概ね一致していた。
「やっぱりそうなるかぁ……。もっと奇抜で斬新なアイデアを期待していたのに……残念」
「んな無茶言わないでよ。こっちだって、これで精一杯なんだからさ」
口先でぼやきながら、指先で精密に魔力を手繰る。不満をぶつけるような勢いで、彩香は指鉄砲の如く指先から魔弾を連射した。放たれた魔弾は全て、過たず標的を射抜いていった。
「なんか、今日だけで随分と射撃の腕が上がったような気がするわ」
消滅していく黒い矮躯を見て、彩香は自賛の言葉を紡いだ。その声は言葉の中身とは裏腹に、まるで喜びの籠っていない弱々しいものだった。自身に対する称賛よいうよりも、むしろ愚痴に近い。今は場数をこなした事で射撃の腕前が上がった達成感よりも、疲労の方を強く感じていた。
「……わたしもそんな気がする」
ちょうど今の彩香の真似をするかのように、由紀もまた指鉄砲のような構えを取って水の弾丸を連射した。
慣れによって要領を掴んだらしく、由紀もまた一撃で敵の急所を撃ち抜いて消滅させた。その功績が、放った弾丸の数だけ続く。皮肉にも、この最悪の舞台は最高の練習場にもなっている。
弾丸の再装填よろしく休みを挿んだその時、由紀は右方から強烈な殺気を感じた。
咄嗟に振り向いて見てみると、そこには1人の魔術師がいた。実際に鉢合わせして戦うかもしれないと想定していた敵の中では、およそ最悪の部類に入る。見る限り消耗が激しい事が、せめてもの救いだろう。後は、この魔術師が敵の中では比較的弱い方に属する者である事を祈るしかない。
「――彩香ちゃん!」
彩香もまた振り向き、その顔を絶望の色に染めた。
先程まで連合の魔術師と戦っていたのだろうか、彼は相当負傷していた。衣服は血の滲んでいない箇所の方が少ないのではないかと思わせる程に朱に染まっている。呼吸も荒く、片足を引き摺るようにして歩いている。
彼我のコンディションを鑑みれば、状況はそこまで絶望的ではないのかもしれない。だが、ただでさえ余裕の無い状況だったところに、更なる災悪が訪れた事に変わりはない。命が掛かっている以上、楽観的に考えろという方が無理な話だ。
(――あれ? 霧壱は?)
咄嗟に彩香は横目で霧壱の居場所を確認したが、彼の姿を見付ける事は出来なかった。
距離を取って敵を撃つ2人とは対照的に、霧壱は近接戦が取り柄である。どうやら、積極的に前に出て敵を屠っていく内に、あまり場所を変えなかった彩香達とは離れてしまったようだ。
相馬に対して、まるで自分達のボディガードを請け負うような事を言っておきながら、肝心な時にいないとは何事だろうか。彩香は霧壱の無責任を心の内で詰り、しかし直ぐに撤回した。
(いやいや! そうやってアイツらを頼り過ぎるのはよくないって! 確かにアイツも自分の言った事に責任を持つべきだけど、それとこれとは話が別! 自分の身は自分で守らなきゃ!)
相馬や霧壱とは戦力として雲泥の差があるのは事実だとはいえ、彼らに頼り切りになるのも宜しくないだろう。彩香は雑念を振り払い、血塗れの魔術師と対峙した。
「……ちょっとばかしヤバイけど、やるよ、由紀!」
もうどうにでもなれといった調子の彩香の叫びを受け、由紀もまた腹を括った。
「うん! 無理しないで、ほどほど頑張ろッ!」
由紀が応えると同時に、魔術師はその手に槍を出現させた。それが自身の魔力を編み込んで生成したものだという事は、その槍から漂う魔力から察せられた。
荒れ狂う獣の如く、その手に槍を携えて一直線に迫る。
(来る――! ええい、もうドント来い!)
まさに猪突猛進。その突進は巨大な飛礫の如く、繰り出す刺突は疾風を彷彿させる程に凄絶。だが、それが威力を発揮するのは、前方の敵に対してのみだ。横から来る攻撃に対しては脆い。
獣の如き突撃は、より獣じみた突撃の餌食となった。
手放された槍が砕けて魔力の塵へと還り、魔術師は体に走る傷をなぞるように引き裂かれて跳ね飛ばされた。本来は、彼が突進による助走を利用して刺突を繰り出すはずだった。その為の踏み込み場になるはずだった場所に、不意打ちを決めた闖入者が足を置く。
正確には、その闖入者の僕たる獣が。
「やっと合流出来たわ。何とか無事みたいね、由紀、彩香」
馬に跨るかのように狐型モンスター“マンモン”に乗り、咬丹瑠依は彼女らしい涼しげな声でそう言った。