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優里亜=インヴィアタ『硝子の瞳の少女』

流華「やっぱりこれは胸がキュンキュンしちゃいますよね!」

汐音「切ないですよねぇ…」

「……う、」

 花鈴カリンは呻き声を上げた。

 右の目を襲う、鋭い痛み。

「あ…っく」

 痛みを堪えきれなくて、花鈴はうずくまった。目を強く手で押さえる。驚いたように、ヨウが駆け寄ってくる。

「花鈴っ! どうした? 大丈夫か!」

 首を横に振る。洋が、花鈴の耳元で囁いた。

「イエスかノーで答えろ。痛いのか?」

 首を縦に振る。

「腕か?」

 横に振る。

「どこだ? …まさか、目か?」

 縦に振る。

 洋がはっとしたように花鈴の顔を覗きこんだ。

「い……いたい」

「今診療所行くから!」

 切羽詰まったように洋が言う。そして、ふわりと体が持ち上げられた。

「ちょっと……なにするの、よう」

 背中と膝に手を入れられて、お姫様抱っこをされた花鈴は僅かに抵抗した。だが、洋の厳しい言葉に叱咤される。

「今は我慢してくれ! すぐ、行くから!」


 ☆


 沈黙が場を支配していた。誰も口を開きたがらない。聞きたいのに、怖くて聞けないといった感じだ。

 沈黙を破ったのは、医師の方だった。

「もう、無理ですね」

 医師は残酷なことを、淡々と告げた。

「最善を尽くしましたが…彼女の右目は、もう見えるようにはならないかと」

「そん、な……っ」

 診療所に来ていた、花鈴の母親がわっと泣き崩れた。ぐすぐすと鼻を鳴らす彼女を、父親が抱きかかえている。

 洋はぼんやりと医師の後ろに視線をやった。

 小さな病室の扉がある。

 その中で今、花鈴はどんな顔をしているのだろうか。目が使い物にならなくなったことを、どう思い、どう考えているのだろう。

 自分のことではないのに、ふと泣きたくなった。それを唇を噛んで耐える。噛みすぎて血が出たのか嫌な味が広がるが、洋はますます強く唇を噛んだ。自分には泣く資格はない、今一番苦しい想いをしているのは花鈴なのだ。

 「面会していきますか」と、医師が花鈴の両親に訊いている。泣き崩れた母親に代わって、父親がはいとうなずいた。洋はまた、その姿をぼんやりと見つめながら動けずにいた。

 ふたりが医師に連れられて、病室に消えてからも。

 ずいぶん時間がたってから、洋はのろのろと重たい腰を上げた。病室の扉を見つめる。だが視線を逸らした。そこには花鈴がいる。でも、今は会う気がしなかった。というより、会わせる顔が無かった。

 洋は、重たい足取りで診療所を出た。



 ふらふらと歩いていて辿り着いたのは、花鈴が呻いて痛いと言った、公園だった。この小さな村で育った花鈴と洋が、小さな頃から遊んできたいつもの遊び場。

 青々と茂っている草花たちを見ていると、不思議と心が安らかに――はならず、ますますやさぐれた。

 ふと、視界に小枝が映った。親指ほどの太さに手のひらをいっぱいに広げたくらいの長さの、さして太くもなく長くもない小枝。

 拾い上げて、その何の変哲もない小枝をじっと見つめていた。手を握る。力が強かったのか、みしりと小枝が音を立てた。

 これが。これが、花鈴の目に当たったのだ。まだ14歳の、少女の目に。

 あのとき自分が呼んだ。「花鈴」。下を向いて地面にお絵かきをしていた花鈴が顔を上げた。風に揺らめく長い金髪。風に乗っている小枝。あっ、と言う声は虚しく響いた。小枝は風に乗ったまま、花鈴の右の目に――直撃した。

 いつもの遊び場が、地獄に変わった。

「……俺が」

 手の中で、小枝がぴしりと折れた。

「…呼ばなかったら、花鈴はこんなことにならなかったかな」

 そう思ってしまうと、やりきれなさで胸がいっぱいになった。苦しくて、悔しくて、行き場のない怒りが胸を支配した。

「花鈴……」

 洋は小枝を力いっぱい地面に叩きつけた。

「…………………ごめん」

 視界が歪んだ。泣きそうになっていると気づいて、慌てて歯を食いしばる。泣いてなるものか。今自分が泣くのはただの自己満足だ。今泣いていいのは、花鈴だけだ。

 時が、ゆったりとたゆたっていた。


 ☆


「洋くん、花鈴のお見舞いに行ってあげてくれないかしら」

 数日が経って、花鈴の母親にそんなことを言われた。

「え、あ、でも」

「花鈴、寂しがっているの。洋くんとおしゃべりしたいなぁって言ってたし」

 あの日、泣き崩れていた母親は、すっかり持ち直したように明るく洋に話しかけていた。だが、よく見ると綺麗な茶色の瞳はすっかり泣き腫らしたのか少し赤く、腫れぼったくなっている。それでも明るく振る舞っている母親に、洋は胸が締め付けられる思いがした。

「ね、お願い」

「…はい、行きます」

 強い母親に押されて、洋はお見舞いに行くことを決めた。


 

 洋はお見舞いの果物を持って、診療所を訪れた。

 息を整えてから、扉をノックする。

 コンコン。

「はぁい」

 変わらぬ花鈴の声に少しだけほっとしながら扉を開ける。

「俺だけど」

「あっ、洋!」

 花鈴の声のトーンが少し上がる。

「はいこれ、お見舞い」

 洋は林檎や梨の入った籠を花鈴に渡し、勧められるままにベッドの脇の椅子に座った。そこで、改めて部屋を見回す。

 白っぽくて殺風景。窓にかかったグリーンのカーテンと、果物の籠盛りだけがこの部屋の色のような気がした。

「ようやく来てくれたね。遅いよ」

 言葉通り、花鈴は嬉しそうに笑った。その右目には眼帯が付いている。

 洋は気づかないうちに痛ましげな顔をしていたのだろう、花鈴はからからと笑いながら言った。

「最初は慣れなかったけど、もう片目にも慣れたから平気だよ。だからそんな心配そうな顔しないで」

「…うん、わかった」

 花鈴に心配されるなんて。普通、逆じゃないか。目が見えなくなって戸惑っているはずの花鈴を安心させてあげる、それが道理だろう。なのに俺が慰められてどうする。

 それから、洋は学校での他愛無い話をした。あの子が何をやらかした、あいつがこんなことをした。どうということのない学校生活の話に、花鈴は耳を傾けてくれた。

「ほんとお馬鹿さんだよねぇ」

「ああ。何をどう考えたら2階から飛び降りるという結論に至るのか…」

「うふふ、あいつらしいじゃない。わたしそういうところ嫌いじゃないな」

 今の国の状態についても話した。

「今さ、隣国とあやしいらしいね」

「そうそう、お互いに腹の探り合い、みたいなことしてるらしい」

「それから新情報はないの?」

「え? えーと、あ、相手国のスパイが見つかって、今留置場に入れられてるらしいぞ」

「そうなんだー。捕まって良かった。他にもスパイがいたら捕まってほしいね」

「戦争にもならないといいけど」

 こんな、どうでもいい話をしている時間が愛おしい。

 気づいたら、結構時間が経っていた。

「あ、俺そろそろ帰るね」

「――――待って」

 突然、子供のような声で花鈴が洋を呼び止めた。

「ほんのちょっと、話しておきたいこと、あるから」

 そのとき洋は、嫌な予感がした。

「もうこの右目、使い物にならないからさ、このまま入れとくと何かいろいろ悪いらしいんだよね」


「――だからわたし、右目に硝子玉入れることになったから」


 どうでもいい話のはずだ。どっちみち花鈴にとっては目として使えないものであって、何か問題があるのなら硝子を入れたってどうだっていいだろう。

 だが、わざわざ花鈴はそれを洋に言った。

 洋の心の複雑な思いを見透かしたように花鈴は笑った。

「いつも洋、花鈴の綺麗な鳶色の瞳好き、って言ってくれたから。だから、片方無くなるのは寂しいなぁって思って」

 優しげな鳶色の瞳がひとつ、洋を射抜いていた。

 好きだった。その目が、眼差しが。温かく、時には厳しく自分を見てくれた花鈴の瞳が好きだった。

「…いいよ、花鈴のためになるのなら。片方残るしね」

 声が震えないようにそう言って、洋は腰を浮かせた。

 「また来てね」そう言われて、頷き返した。「また来るよ」



 洋はその言葉通り、数日後にまた訪ねた。やはり、胸に重いものを抱えながら。

 病室に入ると、花鈴の眼帯が外れていた。

「かっ、かり、ん」

 舌がうまく回らないままベッドの脇の椅子に座る。

「硝子、入れたよ」

 にっこり笑う花鈴。言われなくてもわかった。

 右目は、無機質な茶色いだけの硝子に代わっていた。左目だけが、生きているものとして鳶色に瞬いていて、近くで見ているとその違いを、むざむざと見せつけられている気がした。そして、胸のつかえが大きくなった気がした。

「どうしたの? 顔色良くないよ。無理してきてくれたのなら、また今度で大丈夫だよ」

 ああ、また。また俺は花鈴に気遣われている。違う、と呟いた。何が? と訊いてくる花鈴に向かってもう一度呟く。違うんだ。

 言葉がぽろりと零れた。

「……俺のせいだよね」

「え!?」

 花鈴が戸惑いの声を上げた。

「俺がさ、呼ばなかったら。『花鈴』って。そんなこと言わなかったら、花鈴の目は今も両方鳶色だったのに」

「何言ってるの? 違う、そんなことないから!」

「そんなことある。絶対、俺が花鈴を呼ばなかったら、こんなことには………ごめん」

「何で洋が謝るの?」

「俺が、悪いからだ」

「洋は悪くないよ!」

 花鈴が叫んだ。

「何で自分を責めるの? やめてよ。そんなのわたしのためにも洋のためにもならないよ。お願い。謝らないで。…お願い」

 洋は呆然として花鈴を見ていた。こんなにも激昂する花鈴を見たのは久しぶりだった。

「……ごめん」

 小さな声で謝ってから、謝らないでと言われたことを思い出した。口をつぐむが、もう遅い。

「ごめん、わたし言い過ぎた。ね、わたしのこと――嫌いにならないでね」

「なるわけないだろ」

 微妙な沈黙が下りる。逃げるように、洋は「帰る」と呟いた。

 扉を開けたとき、弱々しい花鈴の声が飛んできた。

「また、絶対来てよ」

 絶対行く、そう返して、振り返りはせずに扉を閉めた。


 ☆


 でも、洋は病室を訪ねなかった。

 そうこうしているうちに2ヶ月ほどが経ち、花鈴は村の学校に戻ってきた。

 初めは花鈴の目に戸惑っていた友達たちだったが、花鈴がほとんど普通に過ごせているのでそのうち気にしなくなったのだろう、以前と同じような付き合いに戻っていた。

 自分だけが、戻れていなかった。

 花鈴の無機質な硝子の右目。それは、見るだけで洋の胸を圧迫した。楽しそうに振る舞っている花鈴の心の闇が滲んでいるような気がして、自分を責めてしまう。

 どうしても思ってしまう――俺が、花鈴を呼ばなかったら。

 あんなにも泣き腫らしていた花鈴の母親の目でさえもいつも通りになっているのに。

 自分は、硝子の瞳を受け入れられない――。


 花鈴は、そうした洋に積極的に関わってくることはなかった。もともと人の多くはない村、村人たちが繋がっているから、友達も多かった。

 いつもひっそりと、逃げ続ける洋を見ていた――鳶色の瞳と、硝子の瞳で。


 その状態で、半年が過ぎた。

 そして数ヶ月。


 季節は一巡りして、公園の葉っぱが青々と茂っていた。

 でも花鈴と洋の関係は、距離は、変わらなかった。


 1年過ぎた。


 また、1年。


 何も変わることなく。


 また、春が来ようとしていた。


 ――何かが、変わっていた。


 ☆


 持ち物は、大きな旅行鞄。それから、強い心。

 なかなかいい天気だった。

 洋は空を見上げた。きらきらと輝いていた。

 18歳。4年経っていた。

「――行くか」

 村の、出口へ向かって。


「待って!」


 ぴたり、と洋の足が止まった。

 ゆっくりと振り返る。

 風に舞いあがる金髪。

「どこ行くの、洋。わたしに何も言わないで」

 近づいてくる花鈴。自分の目の前に来て、花鈴の左目が濡れていることに気づいた。――そう、左だけ。

「馬鹿。バカバカバカ。黙って行くとか、ズルい。散々人を振り回しといて、ズルいから」

 何のことを言っているのかイマイチ分からなかった。振り回した覚えはないのだが。

「ね、教えて。どこに行って、何するの」

 洋は花鈴の硝子の右目を見た。

「王都に行って、医学を勉強する」

 花鈴の目が見開かれた。

「おう、と…? なに、言って…」

「ずっと、その硝子に責任感じてた。気にするなって言われても気にしちゃうものは気にしちゃう。苦しかった」

「洋……」

「この世で、俺と同じ思いをする人がいるかもしれない。そういう人たちのために、目を治せるようになりたいから」

 色の違う花鈴の目。鳶色の方から、涙が流れた。それに気づいて、花鈴が慌てて手の甲で拭う。

「今さ…初めてこの硝子の目が嫌だと思ったよ」

 洋は首を傾げた。

「これさえなければ、洋はずっとここにいてくれたのかなぁって思うとさ、わたしも苦しいよ」

 その瞬間、あろうことか花鈴は洋に抱きついた。

「馬鹿。バカバカバカ。何でどっか行っちゃうの。わたしをひとりにしないでよ。馬鹿。勝手にひとりで、ズルいよ。嫌だ、洋がいないの嫌だ。そんな風に思わせるなんて洋なんて大っ嫌いだぁ」

 大嫌いと言いながら花鈴は洋を離そうとしなかった。

「かり、ん…?」

「ほんとはさ、わたしたぶん洋のこと好きだよ。大好き。だから離れたくない。今だけでいいから、絶対離れないでよ」

 初めて聞く感情の吐露だった。けれど、それを聞いて洋の中のわだかまりもすっと溶ける気がした。

「ひょっとしたら俺もお前のこと好きだよ。戻ってくるから。勉強し終わったら、帰ってくるから。だから、待ってて」

 こんなに長い言葉を話したのは本当に久しぶりだった。

「やだ、待ってられない。すぐ追いかけるから。わたしも王都行く。だからちゃんと見つかってよ」

 駄々を捏ねるように花鈴がわあわあ泣いた。

 洋も強く花鈴を抱きしめた。



 時はすべての人に平等に流れた。

「すぐ行くんだから! 待っててよ!」

 ぎゃあぎゃあ喚く花鈴の唇に、洋は自分の唇を重ねた。

 目を見開いて固まる花鈴を置いて、歩き出す。

「またな、待ってるから」

 ゆっくり、手を振って。

 赤いほっぺたを抑えながら手を振る花鈴を視界に焼き付けて、洋は前を向いた。

 王都に向かって、歩き出す。

流華「好きな子の瞳を硝子に変えてしまった…洋も苦しいよね…」

汐音「最後のふたりの甘々が半端ないです」

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