3rd season -autumn- 第1話「珈琲の香りに誘われて -1st key-」
ある晴れた日のこと。
「よっ」
軽く手をあげて押し戸をあけて入ってきたのは高校以来の僕の親友だった。
「いらっしゃいませ~」
それに元気に応対するのは僕の目下片思い中の人だった。
「やぁ、久しぶりだね、ケイ」
そして遅れて挨拶したのは鉄板で焼きそばを焼いている僕だった。
このときから僕たちの物語は急激に速度を増して進んでいく。
「あれ、モミジさんっ?」
珍しい人に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった僕。
「やぁ、ユウくん。お久しぶりだね」
それは一週間前のことだった。
突然やってきたのは、高校時代以来に会う人で、ひょんな繋がりで知り合った人だった。
『紅葉』という名に似合わない夏の似合う元気な先輩。
流れるような黒髪。キリリと整った顔。それを引き立たせるような眼鏡。人を惹きつける容姿。
そこから発せられる雰囲気は、とても明るい。
性格も明朗快活で、どこにいても人気者になれそうな人。
それが僕がモミジさんに抱いている印象だ。
「今日はどうしたんですか?」
今は秋だからシーズンでもないし昼時もはずれ、店の中には客が一人もいない。
せっかくなので話しやすいように、カウンターに近い一席をモミジさんに勧めた。
「ん、たまたま寄っただけだよ」
椅子に座りながら彼女は笑う。ヒマワリのような笑顔だなと思った。
(相変わらずモテるんだろうな……この人……)
昔、一度だけモミジさんと二人で出かけたことがあったのだが、そのとき運悪く同級生に目撃されていて、噂にされたものだ。その際、男性陣からものすごい嫉妬に合ったことはある……
「たまたま寄るような場所でもないと思うんですけどね」
苦笑しつつメニューを広げて差し出す。
「あんまり詮索はしないしない。せっかく綺麗な先輩が会いにきてあげたんだから、それで良しとしておきなさい」
「はいはい」
こういうところも相変わらずだ。相変わらずなこの先輩に僕は、相変わらず素直に好意を持てる。
「注文は何にしますか、お客さん」
「う~ん」
メニュー抱えて真剣に悩む姿はちょっとかわいい。
ほんとにいろんな顔を持っているこの先輩を、僕は尊敬していた。それは別に恋愛とかの感情ではなく、ただ人として、何事にも気配りの出来る人だからだ。
「じゃ、ユウくんの焼きそばとハワイアンミックスジュースでお願い」
「はーい。今から焼きますから、少々お時間ください~」
「おっけー」
そう言ってモミジさんは眼鏡を人差し指でキュッと上げる。
(まったく……どんな仕草でも絵になるよなぁ……)
「よっ、っと」
ジュー。
麺の焼ける音が店いっぱいに広がる。
モミジさんは両肘をテーブルについて、少し傾けた頭をその手に乗せたまま、こっちの様子を見ている。どこか楽しそうだ。
「久しぶりだなぁ。ユウくんの手料理を食べるのは」
視線を僕に向け、嬉しそうにそんなことを言う。
「そんなこと言っても、お代はちゃんと払ってもらいますからね!」
それでも全然ドキドキしないのは、やっぱり僕には好きな人がいるからだ。
その好きな人はというと……
「ん、ユウ、お客さん?」
とか思ってると、タイミング良くちょうど帰ってきた。
彼女には臨時で母親と一緒に二階の清掃をお願いしていたところだった。
「あ、サキ、おかえり。うん。ちょっとした縁で知り合った先輩が来てね」
その言葉に「どうも」と軽く頭を下げるモミジさん。
それにサキも返事をしようと頭を下げかけて……その動きが止まった。
「あれ……?」
モミジさんを見ながら首をかしげるサキ。
「ん?」
なんかおかしいところでもあっただろうか?
「?」
わけもわからずモミジさんはハテナマーク。
もちろん僕にもわかるわけない。
「どうし……」
僕はサキに声をかけようとして、
「あぁ!」
っと、いきなりポンッと手を打ったサキの声に遮られた。
「え、え? どうしたの?」
戸惑う僕を無視して、サキはモミジさんを見つめて……
「モミジさんじゃないか?」
と言ったのだった。
「え?」
「え?」
声が被る。もちろん、僕とモミジさんの。
何故、サキがモミジさんを知っているんだろう?
「知り合い?」
モミジさんに聞くが、モミジさんは僕の言葉を首を振って否定する。
それを見たサキが思わず苦笑いをした。
「そっか、私は変わったから、わからないのかな」
少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうに自重気味に言う。
その言葉にモミジさんは、たっぷり10秒ほどサキを見つめて……
「名前……サキ?」
「うん、思い出したかい?」
考え込むようにポーズをとって…
もう一度、サキに視線を向けて…
「……」
訪れる沈黙を破ったのは、
「え?」
はじめはぽつりと。そして……
「えええええええええええええええええええええええええ!?」
割れんばかりのモミジさんの絶叫が店に響き渡ったのだった。
なんてことはない。モミジさんとサキは高校時代のクラスメイトだったことが判明したのだ。
「いや~、それにしても、サキ。変わったねぇ……まったく別人だよ……」
「そうかな?」
「うん、だって、高校時代のサキと言えば根暗代表だったじゃない」
「そ、そうかな……」
さらりとひどいことを言う。ちらりと視線を送ると、さすがのストレートさにサキも戸惑っているよう
だけど、不思議と嫌な顔はしていない。
「眼鏡かけてたし、髪の毛もそんなにさっぱりしてなかったし、こういっちゃなんだけど服装とかにも全然気つかってなかったし、あんまり誰とも喋ってなかったじゃない。私はそれなりに話す機会はあったけど……」
ずばずば言う。すごいなモミジさん……
「まったくもって、その通りだねぇ」
サキもあっさり認める。いいの、それで……
「だけど、えらく変わったものね。外見もそうだけど……中身もね」
そう言いながらモミジさんの声はどこか嬉しそうにミックスジュースを一口。
知らない会話に口を挟むのも憚られるので、僕は焼きそばを焼きながら、二人の会話に耳だてていた。
モミジさんが言った言葉を噛み締めるかのようにサキは笑った。
「変わったね。うん、私は変わった」
まるで自分に言い聞かせるような言い方で。
「私は……今の私が嫌いではないよ。というよりも、好きだな」
サキは柔らかい視線をモミジさんに向けて。
「モミジさんもそう思うだろう? 前の私より……ずっといいでしょう?」
「うん」
しっかりと心強い肯定。
「今のサキは、前と比べ物にならないくらい前を向いてるね。ちょっと話しただけですごくそれを感じたよ。いい方向に……変われたね」
大人を感じさせるその雰囲気で、モミジさんははっきりと今のサキを認めた。
なんだか背中にむず痒いような感覚を覚える。
だって、その変化に関わったのは紛れもなく僕なんだから……
「ありがとう。モミジさんにそう言われると、素直に嬉しいな」
「ふふん、私が言うんだからね。自信を持ちなさいな!」
照れくさそうに言うサキに、その背中をパンパン叩きながら豪快なモミジさん。
(仲良さそうだなぁ……ちょっと羨ましいぞ……)
そんなことを思いながら、焼きそばにソースを加える。
「それにしても久しぶりだね、モミジさん。高校の卒業式以来じゃないか?」
懐かしむようなサキの言葉に、しかし返ってきたのは、モミジさんの複雑な顔だった。
「そっか……サキは気づいてなかったか。そうだよね……」
「え?」
「誤魔化すのも嘘をつくのも私は嫌いだからはっきり言うけど……」
ミックスジュースをさらに一口喉に通して。
「卒業以後も、一度だけ会ってるよ。私は」
とても苦々しそうな顔だった。思わず僕は手を止めてしまい……
「え……」
心当たりがあるのだろうか、サキの表情がうつむき少しずつ暗くなっていく。
「例え覚えてなくても、それが何処だかはわかるはずだよ」
それでも言葉を紡ぐモミジさん。
「……」
僕には何もわからないけど、それがサキにとって大事な場面だったことは二人を見ていたら理解できる。
そしてそれがサキのものならば、僕はそれも受け入れたいと思っている。
だから、僕はサキに視線を向けたまま何も言わずに見守っていた。
「ふぅ……良かったよ。そんな顔されるのは心苦しいけど、それこそがサキがちゃんと逃げずに今も抱え続けている証拠だからね」
苦々しそうな中にも、優しい微妙を浮かべるモミジさん。
顔を上げたサキは、あの時、僕の作ったおかゆを食べていたとき最後に浮かべた強い瞳をしていた。
「そうだよ」
座ったまま手を伸ばし、サキの肩に優しく触れながら……
「ムツキくんのお葬式の時だよ」
ムツキ……というのが誰なのか。サキを見ていたらすぐ分かった。
沈黙が流れる……と思った。
だけど、僕のその予想は見事なまでにはずれたのだった。
「そっか……やっぱりモミジさんもあそこにいたんだ」
サキが……微笑みを浮かべていた。
それは決して悲壮な笑みでも哀しみの果ての笑みでもなんでもなく……
ただ、にっこりとすべてを受け入れた笑みだった。
「ごめんね、気づいてなくて。そして……ありがとう。ムツキを送ってくれて」
凛々しい表情だった。これ以上なく美しく、自信に溢れた顔だった。
そして、優しい目をしていた。
僕の好きな……大好きなサキがそこにいた。
「サキ、強くなったねぇ」
モミジさんが嬉しそうだ。
「あの時はそこにいるのに、まるで死んでるかのようなオーラ出して、誰も近づけないほどだったのにさ」
「まぁ、それは、ね……」
言葉を濁すサキ。さすがに本当に死のうとしたことは言えないんだろう。そりゃあなぁ……
モミジさんの言うあの時というのは、その葬式の時だろう。
変わる前のサキを見たことのある僕は、十分に想像がついた。
「心配してたんだよ、私は。あんたが立ち直れるかどうか」
安堵したような表情で語る。
「あんたとムツキくんの仲の良さは普通じゃなかったからねぇ。ずっと噂になってたもんだよ。ムツキくんはすごくモテたから、あんたはけっこう他の子の嫉妬買ってることに気づいてた?」
「え? そうだったの?」
「やっぱりね」
当たり前のように苦笑するモミジさん。
「私は普通にムツキくんと友達だったから、何か思うようなことはなかったけど、けっこういろいろ言われてたんだよ、サキは。なんでムツキくんはあんな子にかまってるんだ! とか。あぁ、女って怖いさねぇ……」
(いや、あなたが言っても説得力あんまないですけど……)
もちろんそんなこと声に出せるわけがないけど。
「それはともかく、あんなには二人とも依存し合ってるように見えたから……それだけに、片方が失われたとき、もう一人がどうなるのかがとても心配だったんだよ」
なるほど。モミジさんらしい心配だ。なかなかそこまで見てる人はいないと思うんだけどな。
「え?」
しかしサキが返したは疑問のクエスチョンマーク。
「依存……し合ってる?」
首をかしげる。
「私は確かにムツキに依存してたけど……ムツキが私に? 嘘でしょ?」
「え?」
今度はモミジさんが同じような声をあげる。
「サキ、本気で言ってる?」
「え、う、うん……」
「だとしたら、あんた相当鈍いよ……」
呆れたようなため息をつくモミジさん。なんていうか、その気持ちはすごく良く分かる。
「ま、まぁいいよ。説明すんのも面倒だし……とにかく立ち直って良かったよ。私の心配も浮かばれるってもんだ」
口の端を吊り上げて、にかっと笑う。
そんなモミジさんに照れくさそうにサキは言った。
「ありがとう。でも、私が立ち直れたのは……」
ゆっくりとこっちに視線を向けて。
「ユウのおかげだからね」
急にとても綺麗な目で見てくる。
「あ、ああ……」
やばい、可愛すぎる。いきなりこんなの反則だ。
耳まで赤くなってるのが自分でもわかる。
こんなんじゃモミジさんにまでバレちゃうな……
「ありがとう、ユウ」
そんな僕の様子にはまったく気づかず、今更だっていうのに、ぺこりとお辞儀をしてくるサキ。
「そんな、別に……」
あぁ、モミジさんがものすごいジト目になってるよ!
サキ気づいてよ!
「ま、どういう形でユウくんが関わってるかわかんないけど、結果よければすべて良しだし、いいとしようか」
ものすごい呆れ顔ながらも、モミジさんが助け舟(?)を出してくれた。
「そ、そだね。僕にはよくわからない話だったけど、いいんじゃないかな、ははは……」
「ユウ、どうしたの? なんか赤いよ」
「だ、大丈夫だよ、大丈夫」
サキのせいなんだけどな! ほんとこういうことには鈍感だなぁ、この人……
「?」
本気でわかってない顔でサキは僕のほうを見てくる。だけど、僕はあえて気づかないふりをしておいた。
(これ以上墓穴は掘りたくない……)
そんなことを思ってると、見計らったかのように天の助けがふってきた。
「サキちゃんサキちゃんー、ちょっともう一回来てくれるかしら~」
二階から母親がサキを呼ぶ声。まだ清掃は終わってなかったのかな。
「わかりました~。行きます~」
サキも返答して階段のほうへと向かう。
そこで最後にくるりとモミジさんに向き直った。
「モミジさん」
「ん?」
「私はこれからもここにいるから……また来てくれると嬉しい」
サキははっきりと言った。「ここにいる」とはっきりと。
それだけで、妙に嬉しい気分になった。
「あぁ、また来させてもらうよ」
「うん」
頷いて。
「それじゃ、ゆっくりしていってね。またね」
サキは颯爽と二階へ駆け上がっていった。
なんか台風みたいだったな。
初めて会ったときのサキからは、考えられない変化だと思う。
そしてモミジさんの言ったとおり、強く変われたことはとても良かったことなんだと心から思えた。
「それにしても、ユウくんも大変だねぇ」
僕が焼いた焼きそばを食べながら、モミジさんは話しかけてきた。
「え、何がですか?」
絶対サキのことだ。バレてる。明らかにバレてる。
しかしまぁ認めるのも悔しいので、とりあえずボケてみた。
「ふ……」
そんな僕に、だけどモミジさんは全てを見透かしたような笑みを浮かべて。
くそぅ、やっぱなんか悔しいな……
「ま、頑張りなさい」
そんなふうに言うだけだった。
「はぁ」
別に隠すことでもないんだけど、なんだかやけに恥ずかしいというかなんというか……
「大変そうに見えて、案外そうじゃないことってのも多いもんだよ」
麺の最後の切れ端までしっかり口に運んで。
「いいじゃないか、近くにいることは。そこからは君次第だよ」
箸を置き「お代よろしく」と言って席を立つ。
「あ、えと、620円です」
はいはい、と財布を取り出してぴったり620円。
「ちょうどだね」
「はい、ありがとうございました」
「ユウくん」
モミジさんが真剣な顔でこちらを見ていることに気づいた。
「はい」
そのままモミジさんは手を伸ばして、僕の頭を軽く叩いて。
「……頑張りなさい。私の可愛い後輩くん」
そう言って扉を開けてあっさりと出ていった。
「今日は『たまたま』だったからね。今度はちゃんと来させてもらうよ」
後ろは振り向かずに、軽く右手を上げたりなんかして。
「あ」
本当にいい人なんだから、この先輩は……
「ありがとうございます!」
そして僕は、その背中に目いっぱいの声とともにお辞儀をしたのだった。
そう、ここより先は僕次第。
改めてはっきりした。
僕は絶対……サキを一人にはしないぞ、と。
心の中で、硬く誓いを立てたのだった。
海は波をたてて岩を打ちつける。
「まったく……」
何かを悟ったように、その人影は呟く。
「何が誤魔化しや嘘が嫌いなんだか……」
海に向かって小石を投げ込む。
ぽちゃーん。
威勢のいい音がした。
「自分の気持ちを一番誤魔化してんのに、何偉そうに言ってるんだろうね~私は」
誰もいない海に向かって苦笑。
活き活きとした同級生と、真っ赤な後輩を思い出して。
「私のこの淡い恋心なんかじゃとても太刀打ちできないねぇ」
ため息ひとつ。
「ふふ……」
そして、どこか楽しそうな微笑をひとつ。
「私もいい加減に卒業しないといけないな……ユウくん」
その独り言は決して誰にも聞かれることなく、彼女の名前が示す季節の海へと静かに消えていった。




