2nd season -summer- 第1話「あなたの季節にさようなら」
「ねぇ、ケイ」
サクラはそう言って俺を見る。
「なんだよ?」
その瞳はやっぱりいつも通り寂しげで……
「別れよっか」
それでも唇から漏れる声はとてもはっきりしていて……
「そう……」
俺は思わず目を伏せた。
「そうだな……」
ただ静かに頷いただけだった。
俺はサクラが好きだった。
それは嘘じゃない。本気で好きだったんだ。
まだ高校生だったあの頃、その名前に似合わない冬の似合う彼女に恋をした。
儚くて今にも消えてしまいそうな、その刹那さに恋をした。
校舎裏の片隅、小さな花の咲く花壇で見かけた少女。
消えそうな体で、枯れてしまった小さな命に涙していた。
その優しい姿にすっかり虜にされてしまった。
遅いかもしれない。だけど俺は、生まれてはじめて本当に誰かに恋をした。
それからの俺は必死だった。
まずは別のクラスだった彼女の近くに行くために、たいして親しいわけでもない友人のところに足を運んだ。
今となってはそいつが一番の大親友になってしまってるわけだが、それとこれとはまた別の話だ。
そいつの協力もあって、徐々に距離を縮めた。
春が来る頃には、二人で話をするくらいまでになっていた。
俺はサクラが好きだった。
だからあの日、桜が芽吹こうとしている河沿いの道で立ち止まって告白した。
緊張のあまり舌を噛んだ。あの痛みは今でも覚えている。苦かった。
そんな俺を見たまま、サクラはキョトンとしていた。
まったく予想していなかったのだろうか?
そうだとしたら相当鈍いと思うのだが……
そんなサクラは、驚いたような表情をしたままこう言った。
「私なんかでいいの?」
だから俺は言い返してやった。
「サクラがいいんだ」
信じられないといった顔のサクラ。
「サクラ以外、考えられないんだよ!」
信じさせてやる。俺は顔を真っ赤にしたまま叫んだ。
「俺と付き合ってくれ!」
不思議と胸のドキドキはそれほど大きくなかった。ただ、サクラの答えを待っていた。
しばらく止まった時の後、そこにはにっこりと微笑んだサクラがいた。
「うん」
その日、桜は一斉に開花した。
「ちゃんと大事にしてね?」
その笑顔を絶対守ろうと思った。
そう思ったのに。
俺はサクラを大事にしたつもりだった。
一生懸命大事にしたつもりだった。
サクラのために時間は空けたし、サクラを喜ばせようといっぱいいっぱい考えた。
高校生に出来ることなんて少ない。だけど時間を無駄にはしたくなかった。
休日はデートに誘った。お決まりの遊園地や映画から、並木道の散歩までいろんなことを二人でした。
ロクに付き合い方も知らなかったが、俺は俺なりに頭を使って頑張った。サクラもそれで喜んでいた。
付き合ってからも俺は必死だった。
ただサクラを好きだから。サクラにも好きでいて欲しいから。
出来る限り、俺はサクラのそばにいたかった。
「今日一緒に帰ろう」
「今度の日曜日デートしよう」
「次、あいてる日はいつだ?」
「サクラ、好きだ」
だけど、サクラは哀しそうな表情をすることがどんどん増えていった。
理由は聞けなかった。聞いたら変わっていたかもしれない。
だけど聞けなかった。
あの時の俺には、そんな勇気がなかった。
サクラはあまり俺を求めて来なかった。
だけど「好きか?」と聞くと「好き」とは言ってくれた。
そのたびに俺は嬉しくなった。
俺はさらにサクラを求めた。
いつからだろう。
俺はきっと狂っていたんだと思う。
サクラを失う恐怖に耐えられなくなっていたんだ。
だからあんなにも必死に、サクラを縛り付けて、俺のそばに置いていた。
そうしないと不安だった。
サクラがいなくなってしまいそうで怖かった。
それが結果的にサクラを傷つけていることに、そんな俺が気づくはずもなかった。
彼女の似合う季節がやってきた。
冬の空はとても白く、綺麗なほど晴れ渡っていた。
そんな空模様と対称な表情のサクラがそこにいた。
「ねぇ、ケイ」
とても哀しい声。
「私はケイのなんなんだろう?」
その寂しい瞳。
「私はケイの人形なのかな?」
それでいて反論を許さない顔。
桜の枯れ木が静かに風に揺れる。
「ケイが大事にしてくれてるのはわかるよ」
黙ってサクラの言葉を聴くしかできない俺。
「だけどね、私は別に大事にして欲しかっただけじゃないんだよ」
静かに言葉を紡ぐサクラ。
「ううん、大事になんて、ほんとはどうでも良かったんだよ」
何もわかっていなかった。
『ちゃんと大事にしてね?』
あの言葉の意味も何も…
「私はただ、ケイと同じ視線で、同じ高さで、一緒にいたかっただけなんだよ」
頭が真っ白になった。
思わず目を見開いた俺に、サクラは哀しい表情のまま小さく苦笑した。
「ケイは文句ひとつ言わなかった。ずっと私を大事にしてくれた」
サクラの瞳が潤んでいる。
「だけど……」
そして一瞬。それは一雫、音もなく零れ落ちた。
「ケイは私のことなんて全然見てなかった」
ハッとした。
そんなことない!
否定しようとしたところで、何故か声は出なかった。
そして初めてそこで、自分のしてきたことに気づいたんだ。
俺はサクラを大事にしていた。
だけど、サクラを大事にしている、ということで俺だけが満たされていた。
それは自己満足だった。
俺は俺のために、サクラを大事にしていた。
そしてサクラの気持ちなんて考えたこともなかったかもしれない。
いや、付き合いはじめの時は、そういうことも考えていた。
サクラはどう思っているのかな。サクラはどんな気持ちでいるのかな。
しかし、時間が経つにつれて、考えることをやめていた。
サクラは自分から求めてこない。だから、俺がさらに求めた。
そうしているうちに、俺の中からサクラの主体は消えてしまっていた。
それからの俺は、ただ気持ちを押し付けていた。
気持ちを押し付けて、愛の言葉を繰り返して、それでサクラも満足していると思っていた。
俺はサクラを大事にしていた。
俺はサクラを大事にしているだけだった。
俺はサクラのことを……何も見ていなかった。
サクラは自分の気持ちを考えて欲しかったんだ。
サクラは自分のことを見て欲しかったんだ。
サクラはただ……俺と一緒に歩いていきたかっただけなんだ。
「ごめんな……」
謝ったところで意味はあるのだろうか。
しかし、口から出た言葉はただその謝罪だけだった。
「ほんと……ごめんな」
胸が苦しかった。告白した時とはまったく違うドキドキがあった。
「もういいよ」
そういったサクラは、どこか満足気だった。
「ちゃんと伝えなかった私も悪いんだもん」
涙の伝う頬をなんとか緩ませて、サクラは無理やりに笑顔を作っていた。
あぁ……この子はなんて優しい子なんだろう。
どうして俺はこんないい子を傷つけてしまったんだろう。
否定の言葉は出せなかった。
いくら俺が違うといったところで、今更何の意味もないのだから。
「もう……いいよ、ケイ」
そういって静かにうな垂れる俺を慰めてくれた。
無理に微笑んで、涙をそれ以上流さないようにして……
そして俺は……
もう戻れないんだ、と悟った。
「ねぇ、ケイ」
いつもの呼び方。俺を呼ぶとき、サクラは必ず「ねぇ」と言う。
ふわりと長い髪が、静かな風になびいた。
「好きだよ、ケイ」
哀しそうに微笑むサクラ。
「俺も……好きだ」
苦しそうに言葉をひねり出した俺。
それ以上の言葉は続かない。
ただ、風にざわめく枯れ木のわずかな音がその場を支配していた。
「ねぇ、ケイ」
サクラは相変わらず哀しい表情で俺を見る。
「なんだよ?」
その瞳は何故か申し訳なさそうに見えて……
「別れよっか」
唇から漏れる声は、今にも消え入りそうでいて、明確で……
俺は思わず目を閉じた。
「そうだな……」
ただ静かに頷くことしかできなかった。
そうして俺のはじめての恋愛は終わった。
失ったものは大きい。大好きだった彼女はもうそばにいない。
だけど、俺は成長できたんだと思う。
サクラがいたから、俺は大きくなれたんだと思う。
あれから2度目の彼女の季節がやってきた。
今でも俺はサクラが好きだ。
だけどそれは、恋人としての好きかどうかはもうわからない。
ただ彼女はこれからもずっと、俺の中で大きな部分を占めていくことだろう。
彼女に会えて良かった。本当に良かった。
いるかどうかもわからない神様に、とても感謝している。
失恋は人をひとつ成長させる。
俺はあと何度成長したら、運命の人とめぐり会えるのだろうか?
あなたに似合うこの季節に。
さようなら、サクラ。
ありがとう、サクラ。
またどこかで会おう、サクラ。




