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1st season -spring- 第2話「再生」

 視界がだんだんと暗くなってくる。

"あぁ、水の中って、こんなにも真っ暗なんだ……"

 消えいく意識の中で私は思った。

 そこには苦しさはなく、何かに包まれているような安心感と呼べるものさえあった。


"こうしていれば、彼が迎えに来てくれるだろうか"


 それは寂しさ。

 それは恋しさ。

 それは愛しさ。


 ただただ、私は彼を求めて……





 眩しい。

 まぶたの裏を焼き付けるような閃光を感じる。

 それは朝の光に似ていて……

「うう……」

 思わず顔をしかめた。私はもっと眠っていたいのだ。

 しかしどうやらそれを許してくれる状況ではなかったらしい。

「あっ! 気がついたかな!?」

 若い男の声がする。とても元気がいい、彼を思い出してしまいそうな声だ。だが、頼むから耳元なのに大声を出さないで欲しい。

「ううう……」

 せめてもの抵抗。別に私は寝起きが悪いわけではない。

 普段ならば起こされればすぐに起きる。覚醒も早い。

 だけど今はどうにも体が重い。まるで体が覚醒することを拒否しているかのようだ。

「だ、大丈夫かな……?」

 先ほどの男の声がする。やっぱり彼の声に似ている。

「う~……」

 結局私はその声に惹かれて、目を開けることにした。

 眩しさに瞳を焼かれながらもゆっくりと開いていく。

「……」

 そこには心配そうに私を見下ろす一人の青年の顔がすぐ近くにあった。

 ぱっと見、とても頼りなさそうに。

「……」

 そして完全に目を開くと、青年のまっすぐな瞳が私の視線を受け止めた。

「あー、えっと……お目覚めですか、お姫様」

 覚醒した私を見て、その青年はどこか申し訳なさそうに人差し指で頬をかきながらそんなことを言ったのだった。



「じゃぁ私は砂浜で倒れていたの?」

「うん、ほんと見つけたときはびっくりしたんだから!」

 目を覚ました私に対して青年はまだ寝ているようにいいながら、梅粥を持ってきてくれた。別におなかがすいているわけでもなかったが、せっかくの好意なのでありがたくいただくことにした。

「全身濡れてて、体温もすごく低くて……最初見たときは死体かと思ったくらいだったよ。だけど、ほんの少しだけ頬が朱っぽくて、心音確認したらちゃんと動いてたから……えっと、その……」

「助けてくれたんだ」

 お粥の塩味に梅の酸味がほんのり効いててすごくおいしい。

「ありがとう」

 添えられた熱い緑茶に手を伸ばしながら、私は短く呟いた。この声は自分でも切なくて、悲しげで、言葉とは裏腹にまったくありがたみに欠ける声だったように思う。

「あ、う、うん! どういたしまして!」

 そんなことに欠片も気付いた様子もなく青年は赤くなった。

 それにしてもおかしな青年だ。さっきから私のほうを見ては態度がおろおろしている。私がどうかしたんだろうか……

「目覚ましてくれてほんとに良かった。このまま目覚めなかったらどうしようかな、って思ってたんだ」

 はにかんだように笑いながら言う。あぁ、なんて無邪気なんだろう。

「で、でも、どうしてあんなところに倒れていたのかな?」

「!」

 だけど青年がなんとなく言ったその言葉に私は思わず身を強張らせた。

「……」

 そのままこちらへと視線を移してくるが、私はお粥を食べる振りをしてこの言葉を無視した。

悪いことをしたとは思ってない。だけど、ここでそれを言うのはせっかく助けてくれたこの青年を傷つけるような気がしたのだ。

 傷つくのは私だけでいい。悲しさに身を焦がすのは私だけでいい。

 その思いが私に言葉を紡ぐのを躊躇わせた。

「……」

 沈黙がその場を支配する。その段階に至って、やっと青年は触れてはいけない琴糸に触れたのだと悟ったようだ。気まずそうにそわそわと視線を動かし始めた。その様子に私はなんだかとても申し訳ない気持ちになった。言えない私が結局はこの青年に気を使わせているのだ。

「このお粥……」

 だから私は無理やりに言葉を紡いだ。ただの話題逸らしなのはわかっている。だけど少しでもこの空気を和らげてあげたかった。

「え?」

「このお粥、おいしい」

 そして罪悪感に苛まれながらも、少しだけ微笑んでみた。それを見て青年も微笑み返す。

「え、あ、うん! 僕が作った特製粥だからね!」

「あなたが作ったの?」

 ちょっと驚いた。失礼だけどとても料理をするような顔には見えないのに。

「うん、僕けっこう料理は得意だよ」

 自信満々に言い切る青年。

「隠し味とかいろいろあるんだよ。この味出すのに3年はかかったなぁ……」

 そんなふうに照れながら語りだす青年。良かった、元気を取り戻してくれた。

「おかわりいる?」

「あ、うん、欲しい」

 思わず素直に答えてしまった。青年につられてか、私も心が軽くなったような気がした。

「コーヒーもあるけど……お粥にコーヒーは合わないかな」

 自分で言って苦笑している。見ていて楽しい気分にさせられる青年だ。

「じゃ、少し待っててね」

 部屋を出ていこうとする青年。

「あ、そうだ」

 その背中が、扉を開けようとしたところで急に振り返った。

「名前」

 私の瞳を見て優しく笑う。

「名前教えてもらっていいかな?」

 そういえばまだ名乗ってすらいなかったし、青年の名前も聞いていないことに今更気付いた。

「僕はユウ。君は?」

 青年はにっこりと。

「サキ……」

 私は短く答えて、満足そうに部屋を出て行く青年-ユウの背中を見送った。

「すぐ戻ってくるから、待っててね、サキさん」

 ユウの声が部屋に軽くこだました。

 残っているお粥を一口ほお張り、思わず私も微笑んだ。





 結局"彼"には会えなかった。

 きっと私に会うこと彼が拒否したのだ。

 それはつまり、私にはまだ彼の側に立つ資格がないということなのだろう。

 --それは何故?

 きっと答えはわかっている。

 彼にあって、私にないもの。

 その中でもひときわ大きく輝いていたもの。



 私はまだ、精一杯生きていないのだと。





「お待たせ~」

 お盆の上に小さなポットと湯気をあげる粥を抱えながら、ユウが帰って来た。そのままお盆を私の側に置き、新しい粥の蓋をそっとあける。もわっと白い湯気と共に梅の良い匂いに思わず顔が綻んだ。

「熱いから気をつけてね」

 そういいながら、お椀へと移し変えてくれる。

 何故だろう。妙に優しさがくすぐったい。

「あ、お茶もかえるね」

 そういって急須を持ち上げ、新しいお湯を挿す。

 私はそんなユウを見ていた。

 何故、こんなに優しいんだろう。

「どうして?」

 ユウのその無償な優しさが私の心を揺さぶる。

「ん?」

「どうして、私を助けてくれたの……?」

 気がつけば思わずそんなことを言っていた。

 そして私は本当の言葉を紡ぐ。

「私は……死のうとしてたんだよ?」

 あの海に包まれて。

「私は……彼のところに行きたかったんだよ?」

 いつも私を楽しくしてくれた愛する人を思って。

「私なんて生きてても何も出来ないのに……」

 溢れ出した言葉は止まらない。

「私なんて助けても何もいいことないのにっ……!」

 だって私は生きてる価値もないような人間だと思っていたから。

 生きていても誰のためにもなれない、ただそこに在るだけの存在だと思っていたから。

 叶うものなら……彼の代わりになりたいと思っていたから……

 こんな私が彼を失って、何が出来るというのだろう……

「私に優しくしても、何もいいことなんてないんだよ……私は何もできない……」

 涙が止まらない。

 こうして私はまだ生きている。

 まだ彼の側には行けない。

 まだ私はひとりぼっちだ。

「ほっとけないから」

 ハッと顔を上げると、そこには哀しそうな微笑みを浮かべたユウの瞳があった。

「なんとなくわかったよ。死にたかったんじゃないかな、っていうこと」

 すべてを見透かしているかのような瞳。

「でもね……死ぬことは逃げることなんだよ?」

 哀しくも優しい、その瞳で。

「僕は優しくなんかないよ」

 そして静かに首を横に振った。

「でも、私を助けてくれたのは?」

「それは君に死ぬことを許さなかったこと。君にとってそれは優しさと呼べるのかな?」

 その言葉を受けて私も首を横に振った。

「死にたいと思っている人間に死ぬことを許さないのは優しさじゃない。ただのエゴだよ。だけど僕は、死にたいと思っている人でも、死んで欲しくないと思うんだ。それは……月並みだけど、生きていると必ずまた何か良いことがあるから……きっと何か見つけられるから……」

 言葉の端々に苦しさを伴っている。この青年の過去にも、何か重いことがあったのだろうか。そんなことを思わせる切なさがあった。

「でも、でも……」

「サキさんにとって、きっとその人は誰よりも大切な人だったんだと思う」

 ユウの手が髪に触れる。そのまま慰めるように撫でてくれる。

「僕が想像もつかないくらいに、大事な人だったのかもしれない」

 涙でうまく声を出せない私は、くしゃくしゃになった顔でそれを肯定する。

「死にたい気持ちも分かる。だからこそ、ほっとけなかったんだ」

 私はもう一度、どうして? と視線で語りかける。

「だって……」

 何故かユウは困ったような顔をして……

「サキさんの"彼"は、きっとそんなこと望んでいないよ?」

 脳天へと電撃が落ちたような気分になった。

「サキさんが死んでも、"彼"は喜ばないんじゃないかな……?」

 私はいったいどれほど自分のことしか考えていなかったのだろうか。

「どんな人かはまったく知らない。だけど僕がもし"彼"なら……大事な人には自分の分まで生きて欲しいと思う。絶対そう思う」

 私が彼の分まで生きる……?

 そんな簡単ことさえ、考えたこともなかった。

 私が彼の分まで生きることなんて出来るわけないと思っていた。

「二人分背負って生きるのは、しんどいことだと思う。だけど、大事な想いを乗せた命なら……苦しくたって背負っていけると思うんだ」

 それは逃げだとやっと気付いた。

 こんなにも私は何も見えてなかったのだと気付かされた。

 私は今生きている。

 そう、彼の側に立つことを拒否されたから、ここにいる。

 それは紛れもなく、彼が私に生きろと願いを込めたからなんだ。

「生きていれば……またきっといつかどこかで見つけられるよ!」

 その言葉に思わず私は、ユウの胸にすがりついた。

 ユウの胸で、おもいっきり泣いた。まだまだ泣いた。

 そんな私をユウはそれ以上何も言わず、優しく抱きながら撫でてくれていた。

 泣きながらも私は少しずつ、心に羽が生えてくるのを感じた。

 重くのしかかっていた暗雲を突き破り羽ばたくための羽。

 私は生きる……!

 何ができるかなんてわからない。

 だけど彼は精一杯生きていた。悔いはないとは言えないけど、きっと生き方に後悔はしていなかったはずだ。

 私も彼と同じになりたい。

 だから精一杯生きてやる。精一杯がんばってやる。

 そしたらいつかまた彼にほめてもらえるのかな。

 まだ止まらない涙を流しながらも、私は大事なものを取り戻した。

 心が軽くなっていく。

「生きるよ、私……」

 小さく呟いた。

 言葉にして、強く強く決意した。

「だから、その……」

 静かに優しい瞳で。

「ありがとう」

 そういった私に、ユウは相変わらず、とても優しく微笑んだんだ。

 私も頑張って微笑んだ。

 新しい梅粥はすっかり湯気も立てず冷めてしまっていた。

 少しもったいないな、と思った。

「冷めちゃったね」

 同じことを思ったらしい。

 思わず私たちは顔を見合わせて……そして声を出して笑ったのだった。




 変わろうと思った。



 私は髪を切った。

 長くぼさぼさだった髪をおもいっきり短く切りそろえた。

 眼鏡もはずし、コンタクトレンズを買った。

 私のやぼったさの象徴とも言えたもの。

 生きてきたこの人生、長いこと一緒だった相棒にお別れを告げ、新しい相棒を手に入れた。

 はじめてつける相棒は頑固者で、少し痛さで涙が出た。



 変わろうと思ったんだ。



 私が私であることはどうしても変えられない。

 だけど、あんな後ろ向きな自分を脱ぎすてて、もっと前向きになろうと決めた。

 外見からでもいい。なんでもよかった。

 気持ちの整理をつけるために、見えるものからでも変わっていきたかった。



 ユウに助けられた私は、その後実家に戻った。2,3日の行方不明期間があったものの、両親はそれほど心配していなかったようだ。まさか娘が自殺未遂を図っていたとは夢にも思ってないだろう。

 むしろその2,3日の間に影響が出たのは物書きの仕事のほうだった。担当の人にこってりと絞られた。連絡もなしで心配したとか、プロとしての自覚が欠けてるとか。だけど、自殺未遂をしたことを話したら気まずそうに言葉を濁して許してくれた。ただ一言「そんなバカなこと、もう二度とするんじゃないよ」と、軽く頭を叩かれた。

「ごめんなさい」

 私は頭を下げて心から謝った。



 ユウについても少し触れておこうと思う。


 ユウはあの海のそばにある喫茶兼民宿の一人息子らしい。といっても、そんな大きな規模ではなく、ユウと母親だけで経営しているらしかった。

 普段は1階の喫茶店で働いてる。料理がうまかったのもそこでずっと作っていたからだと言う。私が寝かされていたのはユウの家の2階で、普段は泊り客が使用する部屋だったそうだ。そんな部屋を使って大丈夫なのかと聞いたら、ユウは笑って「まだこんな寒い時期にお客は来ないよ」と言った。


 帰ると決めたとき、頭を下げる私にユウとユウの母は「またいつでもいらっしゃい」と、同じように微笑んだ。その笑顔が妙にそっくりで、私はくすりと笑ってしまった。



 やがて私は大学生活と仕事、両立させながらもいつもの生活に戻っていった。たまにユウの店にも顔を出すようになった。恩人の顔を見たかったこともあるし、ユウの料理が普通においしいのだ。そんなことからすっかりお気に入りの店になってしまった。


 そんな忙しくも充実した生活。だけど彼のいない生活。


 私は雑誌の連載で、一人のランナーの話を書き始めた。そのランナーはどこまでもまっすぐで、どんな苦難にも立ち向かい、どんな壁も乗り越えて、そのランナーはいつまでも走り続ける。あぁ、彼のゴールはどこにあるのだろう。それはきっと、彼にしかわからないことなのだろうと思う。だけどもそれは確実に一歩一歩近づいているのだと私は信じている。




 私はまたここに立っていた。

 彼と見た海、彼と見た夕日。

 今、私はひとりで見ている。

 しかし不思議とそこに寂しさはなく、逆に彼とともにいたという暖かいものすら感じていた。

「私、頑張るよ」

 そこにいる、そこに見える、そこに想う彼に向かう。

「私、君の分も生きるから」

 決意を胸に、天国の彼に贈る言葉。

 彼の優しい暖かい顔が浮かぶ。

「だから、ずっと一緒にいて。ずっと見守ってて」

 その表情が、微笑んだように見えた。

「ね?」

 変わらない海に向かって、私は変わっていく。

 初春の風はまだ冷たく私の頬を厳しく凪いでいく。

 きっとその風はいつか優しく私を包んでくれると信じて。


 崩壊した私の心は、こんなにも強く再生されて。


 そして私は"彼"に背を抜けて踏み出した。


 明日への、未来への、その力強い一歩を……


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