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1st season -spring- 第1話「崩壊」

 打ち付けられる波に、防波堤から昇っていく飛沫をぼんやり見つめていた。風が出てくる。4月になっても、まだ少しの肌寒さが私の体を締め付けた。

 海を見ていると、不思議な気持ちになる。現実から離れたような、何か特別めいた世界を感じる。

 ざー、ざっぱーん。

 私の心を打ちつける音のように、波は激しく、雄々しく、猛々しく。



 私には一人の友人がいた。大切な友人だった。

 彼はどうして私みたいな変人と友人をやっていたのだろうか。私はと言えば、根暗・無口、ださくてだらしなくて、やぼったい眼鏡で素顔を晒すこともなく、いつも人の陰を歩いてきたような人間である。それに比べて、彼はまるで私と正反対で、明るく優しくかっこよく、誰もが彼に親しみを感じるような、そんな大きな人間だった。

 理由はわからないが、私たちは非常に気があった。正反対の人間が仲良くなるというのは実はよくある話ではある。自分にないものを持っているのが惹かれる理由だろうか。しかし、いざ自分がそうなってみると、不思議な気分だ。私にとっては、彼の持つすべてが羨ましいと思っていたが、逆もそうかと言われると、未だに自信を持てない。


 高校1年の時に初めて出会った。暗そうな私に対して、彼がはじめて言った言葉は「一緒に楽しくなろう」という良くわからない言葉だった。「楽しくしよう」であれば普通なのだが「楽しくなろう」とはどういうつもりで言ったのだろう。結局その謎は解けないままだったが、確かに彼と一緒にいると、どんなときでも「楽しい」と思えた。

 偶然にも高校3年間はずっと同じクラスだった。彼のおかげで3年間の高校生活を、非常に楽しく過ごせた。今でも感謝している。

 彼の高校時代は陸上に捧げられたと言っても過言ではないだろう。陸上部内トップのスプリンターで、インターハイにも出れるくらいの実力はあったやつだ。周囲の期待に答えるように、彼は走った。走り続けた。敗北や挫折もあれば、それを越えた自信と勝利もあった。私も何度か応援に行った。風を掻き分けて疾走する彼は、文句なしにかっこよかった。「青春」という言葉が似合う。彼のその時代は、間違いなく輝いていた。

 私はというと、3年間クラブにも入らずに、目標もなく日々をぶらぶらと過ごしていた。運動は苦手だし、かといって、勉強が出来るわけでもない。人より多くしていたことといえば、本を読むことぐらいだった。もともと人付き合いの得意ではない私は、彼のほかに友人と呼べるほど親しい人間はおらず、彼と過ごす以外の時間、つまり一人の時には、本が友達だったと言える。小説からエッセイ、マンガや雑誌まで、数々の本に触れていたと思う。


 その当時読んだ本の中に、こんなセリフがあった。


「失って初めてわかる辛さがある。そして、その辛さはどうしようもないものである」


 何を当たり前のことを書いているのか、と笑い飛ばした記憶があった。実際、そのようなセリフは1冊だけでなく、他にも何冊も見たことがあった。その時の私は深く考えもせず、ただ読み飛ばしていた。


 しかし、まさか自身が痛いほど体感することになろうとは、夢にも思わなかった。



 高校を卒業した私たちは、卒業旅行と言って、日帰りだけど海へ行った。まだ早い春の海は少し肌寒く、だけどもとても綺麗だった。砂浜で無邪気に笑う彼はやっぱり眩しくて、私はまた彼を羨ましく思った。その日のことは忘れない。防波堤に打ち付ける波の音を聞きながら、沈み行く夕焼けの紅さに、彼と出会えた高校時代を感謝した。


 大学へは別々に進学した。もともと目指すものが違ったからだ。私はこんな自分でも、こんな自分だからこそ、小説家を目指したいと思っていた。それ故に文学部に進んだ。彼は弁護士になると言って、一浪の末、某有名大学の法学部へと進んだ。動機は知らないが、弁護士を語る彼の眼を見ると、小さい頃からの憧れだったのではと思えた。

 違う大学に進んだとは言え、彼との付き合いは続いた。日々の生活、愚痴、勉強の話、恋の話。様々なことを語り合った。そこには、いつまでも変わらない私と彼がいた。

 大学へ入ってからも、彼は走ることをやめなかった。誰よりも早く、誰よりも風に近くなることを望んで、彼は走り続けていた。


 そんな彼がいたから私も頑張れた。拙いながらも、とある雑誌の小さな賞に入選できたのは、彼が元気と根気をくれたからだと思う。彼はまるで自分のことのように喜んでくれた。「おめでとう」といわれたとき、思わず泣きそうになったが、私よりも先に彼が泣いてしまった。涙を取られてしまって、私は思わず笑いながら「ありがとう」と返せた。本当は「君のおかげだよ」と言いたかったが、何故か言葉は出てこなかった。


 私は小説家というにはおこがましいが、物書きの道を徐々に歩みはじめた。雑誌の連載の仕事などをもらったりしつつ、大学生活を続けた。仕事と大学で忙しくなり、彼と会う時間は徐々に減ってきた。それでも少ないながらも連絡は取っていたし、彼も元気で頑張っていると思っていた。


 そんなよく晴れた初春のある日。


 彼が倒れたと連絡が入った。


 連絡をくれたのは、彼の母親だった。高校時代から大学入ってから、もう何度も彼の家に行ったこともあったので、私たちの付き合いを知っていたようだった。母親の声は消え入りそうで、彼が倒れたことを私に伝えてくれた。


 私は走った。彼が入院したと聞いた病院に向かって、とにかく走った。その時書いていた締め切り間近の雑誌の仕事など放り投げて、ひたすら走った。今までの人生で、これほどまでに走ったことはあっただろうか。「あぁ、私も彼みたいに走れたら…」心からそう願ってしまった。


 病院についた私を待っていたのは、すでに冷たい事実だった。


 私は知らなかった。彼が心臓に病気を抱えていたことを。いつ発病して危ない状態になるかもわからないことを。そして、それが現実になったことも。

 彼はすべてを私に隠していた。きっと私に心配させたくなかったからだと思う。彼の母親から話を聞いて、私はただ「そうですか……」と言っただけだった。彼の気持ちは良くわかるし、そういう強がりをするところも、彼らしくて私は大好きだ。


 だけど、こんなに早く私を残して逝ってしまう彼なんて、私は大嫌いだ。どうして君が死ななければならないんだ。君はあんなにも人を幸せにする力を持っているじゃないか! どうせなら、私みたいに何も持ってない人間のほうこそ、消えてしまうべきものだろう!? きっとこんなことを言うと、彼は声を大にして怒ると思う。でも、それでも、どうして神様は彼の命を奪うくらいなら、代わりに私を奪ってくれなかったのだろうか!


 こみ上げてきた思いは、悔しさだった。涙は一粒も流れなかった。


 結局、彼とは最後の言葉を交わすこともなく、もう二度と会えなくなってしまった。


 彼の葬儀の時、相変わらず気持ちいいくらいの笑顔を浮かべる彼の顔を見ても、私は何も感じなかった。ただ呆然と、見送るだけだった。


 そして彼は旅立っていった。




 気がつけば私はここにいた。相変わらず、まだ早い春の海は肌寒かった。彼と見た夕焼け。残酷にもあの時と変わらない風景がそこにはある。

 だけど隣に彼はいない。

「一緒に楽しくなろう」

 うん、楽しかった。楽しかったよ。

 だけどもう、君はいない。

 これから私はどうやって楽しく生きていけばいいのだろう……

"失って初めてわかる辛さ"を本当に感じた。

 そして、失って初めてわかったことがあった。

 どうしてこんな大切な気持ち、今まで気付かなかったのだろう。


「私は彼が大好きだったんだ。愛してたんだ!」


 声をあげて立ち上がった。変わらない海に向かって叫んだ。

 とめどなく涙が溢れてきた。今まであんなにも流れてこなかったものが、一気に迫ってきた。

 私のバカ。本当にどうしようもないバカ。

 あんなに素敵な「男」がずっと隣にいたのに、どうして気付かなかったんだろう。

 大切な友人。でも、友人以上の関係にはならなかった。

 私の中の「女」は何をしていたんだろう。

 少し手を伸ばせば、すぐに届いたはずなのに……


 ざー、ざっぱーん。


 波が押し寄せる。私の心を打ちつける。

 暗い海が静かに佇む。

 伝えたい思いがここにある。

 言いたい言葉がここにある。

 触れたい手。抱かれたい胸。見つめたい笑顔。


 あぁ、私も君のもとへ行きたい……


 ねぇ、また私と一緒に楽しくなろうよ……



 そして私は彼を求めた。

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