Last season - winter - 最終話「いつまでも、そばにいて」
はじめて会ったときからすでに惚れていた。
この世の中に一目惚れが存在することを知らされた瞬間だった。
ここから僕たちの物語ははじまったんだ。
あの春の日。
仕事の休憩時間に、たまには気分転換にと思って砂浜を散歩してたんだ。
はじめは人魚だった。
それはさながら陸に打ち上げられて苦しみながら静かに眠る人魚と見間違えそうになるくらいに美しくて、思わず息を飲んだ。その直後に事の大変さに気づいて、急いで応急処置を行った。
そこは海の家で働く身。最低限の処置の仕方はしっかり覚えていた。
だからあれは仕方なくだったんだ。そう、応急処置のために必要なことだったんだ。
だけど、そのせいで僕の頭から彼女のことがすっかり離れなくなってしまった。
あれほどの柔らかい感触は生まれてはじめてだったのだから。
意識はなくとも息を吹き返した彼女をとりあえず家に連れて帰った。背負った重みはそれほどなく、今にも消えてしまいそうなその存在がとても怖かった。
だけど首筋にわずかにかかる息遣いは確かに彼女が「生きている」ことを示していた。
家に着くと母さんが迅速に部屋を用意して彼女を寝かせてくれた。
彼女の様子がとても心配だったけど、僕はとりあえず一階で仕事に戻ることにした。
彼女は眠り続けた。そんな彼女を暇があれば僕は見守りにいった。
寝顔もとても静かで、本当に生きているのかどうかがとても不安。
それ故に静寂の美しさをもっていて、さらに僕は彼女に惹き込まれていったんだ。
それから2日間彼女は眠り続けた。
次に会った彼女は幽霊のようだった。
生きているのに生きていない。すべての気力を持っておらず、いつでも居なくなってしまいそうだった。
だけど目が覚めたことに嬉しくて、とりあえず僕はご自慢の手料理を持っていったんだ。
そして僕は彼女の慟哭を聞いた。
愛しい愛しい人に何も言えないまま会えなくなった彼女。今まで支えていたものをすべて失った彼女。
痛々しいほどに、彼女は泣いた。
だけど、彼女はそれを乗り越えたんだ。
死んだ人の分まで生きるということはとても大変なことだけれど、彼女はその道を選ぶことが出来たんだ。
そこにはきっと僕の言葉のせいもあったんだと思う。
純粋に彼女を救えたことが嬉しかった。
それからの彼女は、とても元気な妖精だった。
きっとそれが本来の彼女だったのだろう。
生きる決意をした彼女はイメージチェンジをした。そこにはとても強い想いがあって、僕はもういない彼女の想い人にとても嫉妬をしたものだ。
彼女はすごく可愛かった。
僕のヒイキ目をのぞいても、可愛くなったと思う。
そんな彼女のそばにいれることが幸せだった。
炎天下の夏。
「ユウの料理は本当においしいな」
少しボーイッシュな口調も彼女の特徴。いや、ボーイッシュというよりも、昔の武家みたいな……かっこいいのだ。
「まぁね、これが取り柄だからね」
僕はお褒めの言葉にも笑顔で答える。
すっかり気軽に話し合える関係になってた僕ら。幸いにも僕の料理や、この場所を気に入ってくれた彼女は、あの後もよく足を運んでくれた。その関係で、僕は彼女が小説家としてデビューしていることを知る。小説を読まない僕には知りえるわけのなかったことだけども。
幸せな時間。
だけど、とてももどかしい時間だった。
「ユウの料理は……とっても暖かいな」
こっちの気も知らないで、そんなことを言う。例の想い人にもそんな感じだったのだろうか。もしその人が彼女のことを好きだったのなら、なかなかに大変だったんじゃないかと思う……
「焼きそばだからね。冷めたらダメだよ」
とりあえず、わからない振りをしておく。まともに答えるのは恥ずかしい。
「そういう意味ではないのだけどな……」
少し仏頂面で言う彼女。どんな顔でも可愛いと思うのは間違いなく恋のマジック。
「わかってるけどね」
っと、わざとおどけた口調にして返しておく。本当は飛び出しそうなほど心臓がドキドキ言ってるけど、きっと鈍感な彼女は気づかないはずだ。
もっともっと彼女と一緒にいたい。
だから僕は提案をした。
「ねぇ、サキ。この店で……バイトしてみない?」
その後にいろいろ言い訳を入れた気がする。夏は忙しいから人手がほしいとか、母親が倒れたりしたら大変だとか、こういう経験も楽しいよとか……
そんな僕に彼女はとても嬉しそうに、
「うん」
と笑ったのだった。
それからは一緒にいる時間が大きく増えた。毎日会えるようになった。お客のいない時間などに話すことも多くなった。
決してどこかに出かけたり、デートしたりすることはなかったし、そんな関係にはなっていなかったけど、その時間は間違いなく二人で育んだ時間だと思っている。
変化の秋。
それは二人のキーパーソンによってもたらされた。
一人は僕の先輩で彼女の同級生であるひまわりのような人。
しばらくの間、触れることのなかったであろう「あの人」のことを彼女に思い出させた。
だけど彼女は強くなっていた。
しっかりと受け止めて、強い瞳といっぱいの笑顔で「ありがとう」と言った。そして「私はここにいる」と言ったんだ。
嬉しかった。僕のおかげだと言ってくれた彼女の強さがとても嬉しかった。
そしてもうどうしようもないほどに彼女を愛していたんだと思う。ちょっとした仕草も気になるし、ほんの小さな声でも彼女の言葉を聞き逃したくないと思った。
気づいたら、彼女なしの生活なんて考えられなくなっていたんだ。
もう一人は僕の悪友。高校の同級生だった。
あいつの過去は知っている。とても辛かったことも。
だけど、よりによって彼女をことを好きになってしまうなんて……!
台風のように来て、初めて会った彼女に告白をして、台風のように去っていってしまった。
熱しやすく冷めやすいタイプ……ではないと思っていたんだけど、その時のあいつはフライパンもびっくりするようなスピードで熱されていた。
だけど、あいつのおかげで僕は譲れない想いに気づいた。
そう、譲れない。彼女のことは誰にも譲れない。
だからそれからしばらく経った後、あいつから電話がかかってきたときは驚いた。
こんなにも強い想いだったんだと自覚をしたからだ。
結局、相変わらずあいつは良い奴だったということだ。その時ばかりは彼女のことも忘れて、ただあいつとの交流を楽しんでいたかな。
眠れない夜に飲む珈琲に、お互い幸せになることを誓ったんだ。
そして、季節は冬。
現れた少女がもたらしたのは、彼女の大切な想い人の言葉。
それは僕の予想してものと同じもので、それだけに本当にその人には勝てないと思い知った。
昔の彼女を見ながら、ちゃんと彼女の奥まで理解していた。
それほどまでに、深く愛していたんだと。
彼女はとても嬉しそうだったんだ。
そう。哀しみじゃなくて、嬉しさを表していたんだ。
その人の想いはわかる。
彼女の気持ちもわかる。
僕は思う。
本当に強い絆で結ばれていた二人だったんだと。
だけど……だけども!
その人に出来なかったことで、僕に出来る大きなことがひとつある。
それは、これからもずっと彼女のそばにいること。
僕は彼女を絶対に一人にしたりしない。
この想いだけは、誰よりもそう、その人よりも強い。
世界中の誰よりも、僕は彼女のそばにいる。
その人の言葉を聞いて、僕の想いは一層強くなった。
だから、僕は散々今まで足踏みしていた自分を捨てて、勇気を出して最後の一歩を踏み出そうと思う。
本当に、自信を持って誰よりも……サキのことが大好きだから。
冬の穏やかな海を見つめて彼女はそこに立っていた。
後ろ姿からは彼女の表情は見えない。
初めて会ったときのように哀しい瞳をしているのか、それとも今もなお強い瞳で前を見つめているのか……
できれば後者であってほしい。
いや、絶対に後者だと僕は信じる。それが今の彼女だと。
振り向いたときの彼女を想像しながら僕は彼女のほうへと歩いていく。
「ユウ?」
足音だろうか。
声をかけるまでもなく、彼女は前を向いたままに僕の名前を呼んだ。
「うん」
そのままの彼女の表情はまだ見えない。
足を止めずに、僕は彼女にゆっくりと近づく。
想いが駆け巡る。
これまでのことが頭の中を颯爽とめぐっていく。
「ねぇ」
海が暗い。
風は寒く、まるで暗雲が立ち込めてるかのような天候だったけれども……
「サキ」
そして彼女の横までたどり着いた僕は見た。
「ん」
その顔には、哀しさの欠片も感じさせない、はにかんだような笑顔で……
「なんだい、ユウ」
そこには変わらず、僕の大好きな人がいた。
「よくここがわかったね」
海を一望できる少し切り立った岩場。
「だってここが……サキの思い出の場所なんでしょ?」
以前、ここに立ってこの広い海を眺めるサキを見たことがあったから。
「そう……だね」
「だから、きっとここにいると思ったんだ」
そう言った瞬間、サキの表情が少し崩れた。
苦々しいような、そんな顔だ。
「確かにそうだけど……でも、別に……」
「わかってるよ」
わかってる。さっきの笑顔を見て、全部わかってしまった。
決して哀しみに暮れるために、ここに来たわけじゃないことも。
「あのね」
今のサキが大切したいと思っていることも。
「話があるんだ」
僕は最後の一歩を踏み出す。
「うん」
言わなくてももう伝わってるだろうけど……
「聞いて欲しいんだ。サキに」
だけど明確な言葉で伝えたい。
「うん」
穏やかな……どこまでも穏やかな海。
サキは何も言わずに、ただ見つめて僕の言葉を待っている。
しばしの静寂。
その後、僕は息を思いっきり吸った。
「サキ」
「はい」
胸がドキドキする。
「あのね」
今更何を戸惑ってるんだ。
「うん」
勇気を出せ! ユウ!
「出会ったときからずっと……」
そして最後に僕は心の奥から叫んだ。
「ずっとサキのこと、大好きだよ!」
言った。言い切った。
言いながら気づいたら自然と頭を下げていた。
サキを直視するのが恥ずかしい。そして怖い。
ずっと言えなかったこの言葉。
なんて月並みな言葉なんだろう。
もっと良い言い方があったんじゃないか。
少し混乱した思考が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
長い。長い沈黙が降りた……ように感じた。
実際はその時間がどれくらいなんて正常な判断も出来なかったけど……
「………ふふ」
そして止まっていたときは、サキによって破られた。
「あははははははは」
何故かおもいっきり吹き出すサキ。
え、ちょっとどういうこと!?
「ええ!?」
思わず顔を上げた。
「も、もお……ユウおもしろいよ……あははははは」
そこには、あろうことかおなかを抱えて必死に笑いを堪えようとして……全然堪えきれてないサキがいる。
「な、なんだよ! 何がおかしいんだよ!?」
顔を真っ赤にして叫ぶ。
ええ、なんで笑われてるんだ!?
僕、なんか変なことしたか!?
「あは、ご、ごめんごめん……ちょっと待って……」
まだ止まらないサキは、必死に口元を押さえてる。
なんか、納得いかないなぁ……
「むぅ……真剣な話なのに……」
さすがに僕でもちょっと拗ねる。そんなに笑わなくても……
っていうか、ほんと何に笑われてるんだろう。
サキがあそこまで笑うなんて、正直はじめて見た。
いったい……どういう意味なんだろう。
そう考え出すと、またちょっとだけ気分が沈む。
「なぁ、ユウ」
そんなふうに落ち込む僕に、やっと落ち着いたサキが声をかけてきた。
「……」
無言でサキを見ると、可愛く照れながら、さっきよりもはにかんで嬉しそうな笑みを浮かべたサキ。
「私の気持ちはわかってるでしょう?」
赤い。
サキの顔がはっきりと紅潮している。
「あの時からずっと……ずっと一緒にいるんだ。きっとわかってると思う」
恥ずかしいそうに頬をかいて。
「だからもっと自信を持っていいのに、あんなに不安そうに言うもんだからつい、なんだかとても可愛くて……笑ってしまった……ごめんね」
そんなに自信なさそうだったんだろうか……
ついさっきのことなのに、まったく思い出せない。
いや、思い出さなくていいや……恥ずかしい。
「その……返事だが、私もまったくこういうことには慣れてないから、うまく言えないと思う」
サキは続けた。
「だから私は私らしくそのまま言わせてもらうよ」
聞かなきゃならない。
落ち込んだり恥ずかしがったりするのはやめて、サキをまっすぐに見つめて。
一言も聞き漏らさないように。
「私も……」
その返事を。
「ユウのことが好きだ」
一片の迷いもない声で。
「誰の代わりでもない」
凛としたその瞳で。
「私を救ってくれた君が、大好きだよ、ユウ」
そして沈黙。
「……」
「……」
ただ僕たちは見つめ合っていた。
それ以上は、お互い必要がないと思っていた。
いつから好きだった。どうして好きになった。
何を考えて、何を想って、何をしたかったか。
そういうこともいっぱいあるけれど……
今この場には、何も必要なかった。
だからこれから、どう言葉を発していいかわからない。
僕もサキも、こういう経験が少なすぎたこともある。
ただお互いを見て、気持ちを確認して……
僕はサキの言葉を何度も何度も反芻していたんだ。
「……」
「……」
って、こういうときは普通男が声を出すもんだっけ!?
いつまでも沈黙を続けるわけにもいかなくて、我に返った僕。
だけど、何て言えば……
「え、えっと……」
だー! 困る! こんなにドキドキして恥ずかしくてどうすればいいかわからないのなんて初めてで……
「ふふ」
と、不意にサキが笑った。
最初ともさっきとも違う、とても晴れやかな笑顔で。
「ユウ」
「う、うん?」
その笑顔のままで呼ぶものだから、つい僕はうろたえてしまって……
「きっとこれが……私たちなんだよ」
「……うん、そだね」
そして僕も笑った。
サキに告白してから、やっと普通に笑えた。
「これが僕たちだな」
「うん」
妙に納得。
ここにサキがいて、僕がいる。
これからも僕がいるところにはサキがいて、サキがいるところには僕がいる。
「特別だけど、特別じゃない。そんな当たり前の存在に……とっくになってたんだよ、私たちは」
「だけど、決して離れないよ。そばにいるよ」
「うん、私も離れたくない」
「離れないよ。絶対に離れない。僕はずっと一緒にいる。それが僕の誓いだよ」
そういうと、僕はサキの手をとった。
「だから寂しかったら、いつでも呼んで。サキが望むのなら、どこへでも行く」
もう片方の手も取って、両手でしっかりとサキの手を握る。
「このぬくもり、信じてくれていいからね!」
そしてそのままサキを引き寄せて、思いっきり抱きしめる。
「うん!」
寒い海に抱き合うぬくもりがとても暖かい。
サキも僕の背中に手をまわして、きつく抱きしめてきた。
二人のぬくもりがひとつになる。
「サキ」
「ん」
「……愛してる」
「……私もだ。ユウを……愛してるよ」
そして少し体を離して…
サキは静かに目を閉じた。
僕も目を閉じて……その柔らかさに近づいて……
「うひー、寒いね」
「ちょっと長く居すぎたかなぁ……」
「手がかじかんでるや……」
「はぁ~はぁ~……よし、早く帰ろう」
「帰ったら、そだな。珈琲入れてあげるよ」
「お、嬉しいな。ユウの珈琲は大好きだ」
「そりゃ、サキのために作ってるんだもんな。好きでないと困るよ」
「ふふ、ありがとう」
「いえいえ、どうしたしまして」
「楽しみだなぁ」
「僕も楽しみだよ……大好きな人のために淹れる珈琲も、大好きな人と過ごすこれからの日々も」
「うん、そだね」
「うーむ……やっぱり恥ずかしいな、こういうセリフは……」
「ふふ。そういうところは、やっぱ可愛いな」
「もう……」
「ねぇ、ユウ」
「ん?」
「ほんとに代わりなんかじゃないからね?」
「うん」
「ユウはユウだから。私が好きなのは他の誰でもない、ユウだからね」
「……うん。信じてるよ」
「だから……いつまでも、そばにいてね?」
「それは……僕もだよ」
「うん」
「いつまでも、そばにいてね……僕もそばにいるから」
「もちろんだよ」
「約束な」
「あぁ、約束だよ」
繋いだ手のぬくもりは永遠に……
『ずっとずっと、一緒だよ』
- fin. -