Last season - winter - 第2話「思い出の風」(後編)
そしてサクラちゃんはゆっくりと語った。
「先輩はとても大切な人がいると言っていました」
「ずっとそばにいる」
「ずっとそばにいたい人だよ、と」
「その人を語る先輩は、見たこともないくらい楽しそうでした」
「ムツキ先輩があんなに頬を緩めている姿を見たのはその時がはじめてでした」
「あと先輩は、こうも言ってました」
「彼女はとても優しい人だよ」
「誰よりも、一緒にいて心の休まる人だよ」
「私はとても羨ましかったです」
「そんな人を見つけられた先輩が」
「あの楽しい先輩にそんなふうに思われている人が」
「さぞかし素敵な人なんだろうな、って思っていました」
「今日お会いできて……よくわかりました」
「先輩に聞いていたイメージとはかなり違いましたけど……」
「サキさんは、とても素敵な人ですね」
「とても……優しい人ですね」
「ほんの少し触れただけで、こんなに感じるのですから」
「話が逸れましたけど、最後に先輩はこう言いました」
「本を読むのが大好きで……」
「日向よりも日陰を歩いているような雰囲気で静かで……」
「普段は寡黙なのに、好きなことになるととてもお喋りになって……」
「そしていつも『君は楽しいね』と言ってくれて……」
「そんなところも全部、一から十まですべて……」
「大好きな人だよ、と」
「だけど、告白はしない」
「恋人になることは望まない」
「近くにいれるだけで満足だよ、と」
「好きな気持ちを無理に伝えなくても、一緒にいれるから、それだけでいいと」
「ただ一緒にいたいんだよ、と」
「正直ムツキ先輩らしくない消極的な意見だな、と思いました」
「でもそれだけ……サキさんのこと、大事に思ってるんだなって感じました」
サクラちゃんはそこで一息いれた。
「おねぇちゃんからサキさんのこと聞いたときは……ただただびっくりしました」
「こんなところで繋がっているなんて思ってもいませんでしたから」
「ましてや、ユウくんのそばにいるなんて予想外もいいところです」
「まるで神様がお膳立てしたかのような状況で……」
「運命のいたずらが好きな神様が、私に課した任務かのように……」
「そしてそれを知ったとき、私は先輩の想いを伝えるべきかどうか迷いました」
「今更伝えてどうなるのか」
「それを伝えられたサキさんは、また悲しむのではないか」
「ムツキさんの死があり、それを乗り越えたサキさんをまた困らせてしまうのではないか」
「今のサキさんを壊してしまうのではないか」
「それはきっと、私の友達であるユウくんにも迷惑をかけることにもなると思って」
「私はとても……臆病なんです」
「そして何より」
「……私なんかがムツキ先輩の大事な気持ちを伝えていいのか」
「あの人の気持ちを伝えていいような人間なのか……」
「それすら自信もなくて……」
「だけどそんな時」
「悩んでいたら……おねぇちゃんが教えてくれました」
「今のサキさんは、そんなに弱い人じゃないって」
「今のサキさんなら……必ず強く受け入れられるから、伝えて来たらいいよ、って」
「笑っていました」
「あのおねぇちゃんらしく……ひまわりのような笑顔でした」
「私の頭をなでて、サクラはムツキくんから託されたんだよきっと、って」
「サキさんに会いに行く勇気をくれました」
「先輩の心をサキさんに伝えるために……」
「そして」
「私はここにいます」
「サキさん」
「ムツキ先輩の大事な人」
「先輩の想いは伝わりましたでしょうか?」
サクラちゃんがゆっくりと語り終える。
「そう……」
私は静かに頷いた。それ以外の言葉は出てこなかった。
気づけば悲鳴のように荒れ狂っていた風も止み、静寂がその場を包む。
悲しんでるのか、と言われれば間違いなく悲しい。
ムツキがそんなふうに思ってたくれてたことが嬉しくて、だけどもう二度と会えないことが悲しくて……
それでも悲嘆に暮れるほどではなかった。
思ったよりも平気で、しっかり受け止められている自分がいた。
それよりもムツキの気持ちを知れたことが、とても嬉しかった。
だから私は素直に次の言葉を出せたんだと思う。
「サクラちゃん……ありがとう」
サクラちゃんは細い目を少しだけ見開いた後、その控えめな笑顔を私にくれた。
だから私もしっかりと笑顔を返した。涙は出てくる気配もなかった。
モミジさんが言ったとおり、私は強くなれたのだろう。
ムツキという心の半分を失った私だったけれど、彼の分まで生きると決めたあの日から。生まれ変わったあの時から。
そして今は大好きだった彼の―――ムツキの分まで生きている自信を持っているから。
「はい、お疲れ様」
そっと置かれた珈琲カップに、私は後ろを振り返った。
そこに居たのは……そこに居てくれたのは、ただ私を見てくれているユウだった。
サクラちゃんの話は全部聞いていたはずだ。
それでも何も言わずに、その手で珈琲を作りながら見守ってくれていた。
ただただその優しい瞳で。
今私があるのはユウのおかげ。生きる力を与えてくれて、いつもそばで支えてくれて、こんなどうしようもない私を必要としてくれている。
本当はもうとっくに自覚していた。
今の私はユウが好きなんだということを。
決してムツキのことがどうでもよくなったわけなんかじゃない。ムツキはムツキで、この先一生、私が背負っていく大事な人であることは間違いない。この気持ちは絶対に消えやしない。
だけどユウは……気が付いたら頼っていた。気づいたら……心の拠り所にしていた。
いつからなんてことは覚えていない。気が付いたらそうなっていた。
普段は鈍感な私でも、さすがに同じ間違いは二度としたくはない。
だからこそ、このムツキの想いは知ることが出来て良かったんだ。
昔の私の想いが間違いじゃなかったことを知れたのだから。
「ムツキの想い……大切にさせてもらうよ」
(そして、今の想いも大切にするよ)
後ろは言葉には出さない。まだユウに伝える言葉としてはうまく形に出来ないから。
ちょっと意地悪かな、って思う。
こんなセリフを聞いて、ユウはどう思うんだろう。
ムツキのこと、一生忘れられない最愛の人って思ってしまうだろうか?
間違ってはいない、だけど間違ってる答えに対するユウの反応を想像して……
私は思わずにやけてしまった。
「……?」
「ふふ」
その顔を見てユウはとても怪訝そうな顔に、そしてサクラちゃんは私の裏の想いにも気づいたように笑ったのだった。そこらへんはさすがはモミジさんの妹と言ったところか。
珈琲カップを軽く持ち上げて、一口。
苦味はほとんどない。私の好みを良くわかっているユウの味。
そこにはユウの魅力がいろいろ詰まっていて、私の心が思わず高鳴る。
変な話だね。
ムツキの話を聞いて、ユウへの想いをより一層自覚してしまうなんて。
本当、サクラちゃんの言ったみたいに神様はいたずら好きなんだね。
そしてもう一口。
私は困ったような、諦めたような、しかし晴々とした表情を作りながら、その味を堪能した。
「誰もが幸せになれる道を見つけられればいいな、って思います」
サクラちゃんが言う。
「サキさんの幸せは、きっと今でも変わらず、ムツキ先輩の幸せなんだと思いますよ」
「うん、そうだね」
私は首を縦に振る。
「だから幸せになりましょうね」
それはきっと、自分自身にも言い聞かせていた言葉なのではないだろうか。それを知るのは随分と後のことになるのだけれど、サクラちゃんは確かにそう言った。
そしてその言葉はとても共感できたのだ。
「そうだね。一緒に幸せになろうね」
幸せになりたい。そう。ひとりじゃなくて、誰かと幸せになりたいんだ。
だからその言葉はサクラちゃんに言っただけでなく、後ろで見ているユウに対しての言葉でもあった。それに気づいてくれているかどうかは私にはわからないけれども……
私とサクラちゃんはお互いを見つめて、同じように微笑んだのだった。
(このコとは、この先も長い付き合いになりそうだな)
なんとなくの予感。
その予感が本当になるかどうかは……まだ見えない未来の話。
その後、しばしの間、無言のまま珈琲を飲む私たちの息遣いだけがその場に響いたのだった。
「それじゃ、また来ますね」
そういって物静かな黒髪の美少女はゆっくりと去っていった。
「ありがとうございました」
店員としての言葉。そして「サキ」としての言葉。両方の意をこめて、その後姿に深々とお辞儀をした。
サクラちゃんのおかげで、私はまた一歩未来を見ることが出来るようになった。
今日の仕事はもうない。
サクラちゃんを見送るときに、ユウから「今日は上がりでいいよ」と言ってもらった。
それはきっとユウなりの気遣いだったんだろう。
だから私はサクラちゃんを送ったその足で、今日この日にあの場所へ行こうと思った。
「私たち」が始まった、あの場所へ……
これからをはじめるために。