interlude「眠れない夜に飲む珈琲」
「珈琲ってどうして眠れなくなるか知ってるか?」
僕がそれを淹れる姿を見ながら、ケイはそんなことを言ってきた。
「カフェインだろ?」
「あぁ、そうだな」
当たり前の答えに頷くケイは、とても満足そうだ。
やけに嬉しそうな顔には、まだ何か企んでるのではないかと思わせるものがある。
「なんだよ? 何が言いたいんだよ」
人に珈琲淹れさせておいて、いったい何を考えてるんだか……
「いや、ユウらしい真面目な回答だな、と思ってたところだ」
「なんだそりゃ」
思わず嘆息。やっぱり断言できる。こいつは変人だ。
「珈琲はな、魔法の飲み物なんだよ」
「なんだよ、コーヒールンバとでも言うつもりか?」
「……ユウ、お前もなかなか古いな……」
「うるせぇよ!」
あー、塩混ぜてやろうかこの珈琲……
と思ったものの、せっかく心込めて淹れての珈琲がもったいないのでやめておく。
なんか納得いかねぇ!
仕方ないから珈琲に集中することにする。
「人を物思いに耽らせる飲み物だよな、珈琲って。特にお前が淹れたやつはな」
耳の片隅にケイの声を捉えながら。
「例えば昔のこととか思い出してしまう。お前の珈琲を初めて飲んだときとかな」
ケイは語る。
「人は一人じゃ生きられないとは良く言うけど、ほんとにその通りだよな」
静かな部屋に、とぽとぽと珈琲が落ちる音とケイの声だけが響く。
「誰かを仲良くなって、誰かを好きになって、誰かを傷つけたりして……全部一人じゃ出来ないんだ」
とても多弁なケイ。
「それはとっても辛いことではあるけど……とても幸せなことなんじゃないだろうか」
振り向くとケイの視線はどこも見ていなかった。
ただ静かにまぶたを閉じて、どこか懐かしい光景を目の裏に浮かべているのだろうか。
「俺は幸せだぞ。ユウ」
僕は答えない。
「お前と会えた。サクラと会えた。モミジさんと会えた。サキさんとも会えた」
再び僕は珈琲のほうへと向き直る。
それでもケイは止まらない。
「この先、俺は誰と別れて、誰と出会うんだろうな」
そして、最後の一滴が落ちるのを確かめて、僕は静かにカップに珈琲を注いだ。
「どうだろうね」
そこで初めて僕は言葉を返した。
「先のことは誰にもわからないし、誰かに決められることでもない。かといって、自分ですべて決めれることでもないからね」
「そうだな」
「明日のことすらわからないんだよ、僕たちには」
「そうだよな」
出来上がった珈琲カップを、貴金属を扱うような柔らかさでケイの前へと置く。
「あしたはあしたの風が吹く、かな」
自分の分の珈琲を持ってケイの向かいの椅子に腰を下ろして言った。
例えば僕は、サキとの出会いなんてまったく予想してなかった。
あんな出会い方は先の人生見ても、二度とないだろうと思う。
だけどそれは実際に起こったことなんだ。
「考えたってわからないよ」
「お前みたいに、か?」
「……」
「わからないよな。3年前の俺たちに、今のこんな状況が想像できたはずもない。いや、1年前ですら無理だったよな」
珈琲を一口。満足そうな口調だ。
「わからないから面白い。見えないから面白い。先があるから面白い」
「最初にそう言ったのはモミジさんだったかな」
「あぁ、そうだな」
笑顔の先輩を思い浮かべる。僕たち二人は、あの人には多大な影響を受けてきた。もちろん、良い方向でだ。
何にでも前向きなあの人に僕たちは随分教えられた。そして救われてきた。
僕も静かに珈琲に口をつける。
「苦しいし切ないし大変だけど、その分面白くて、幸せなんだよね」
何の苦労もなく手に入るものなんて、底が知れている。
そういうものは長続きしないんじゃないかと思っている。
だからこそ、僕は苦労の果てに、大事なものを手に入れたいんだ。
目を閉じるとそこには大事な人の笑顔が自然と浮かんできた。
「なぁ、ケイ」
「なんだ、ユウ」
「僕はサキのことが大好きだ」
「あぁ、知っている」
「だから、手に入れたいと思う」
「おう」
ゆっくりと珈琲カップを手に持って。
「僕は幸せになりたいよ」
ケイも同じようにカップを掲げる。
「俺もだ。ユウ」
「お互い幸せになろうよ」
「そうだな」
「これは誓いだよ」
似合わない夜に、珈琲カップなんかで軽く乾杯をした。
「まずはお前から、幸せになれ。俺もすぐに追うからさ」
再びカップを口に運びながら自信満々な笑みを浮かべる。まったく、こいつには敵わない。
「サンキュ」
僕も珈琲の香りを堪能しつつ、少し照れくさくてケイから視線を逸らした。
そんな僕を見て、ひゅーっとおどけた顔で肩を持ち上げて、こいつは言うんだ。
「お前の淹れた珈琲は最高だ」