なでなで無双 ~いらない子だったボク、ネコマタ王国で無敵従者になります~
喫茶店の窓を、雨粒がゆっくり流れていく。
ボクはストローをくわえたまま、向かい側の女の人を見ていた。
父さんの再婚相手。
まだ「その予定」の人だけど、多分もう決まっているんだと思う。
「春樹くん、小学校はどう?」
「……普通です」
「そっかぁ」
女の人――美咲さんは、少し困ったように笑った。
その笑顔は優しい。
優しいんだけど。
なんとなく。
ボクを見る時だけ、少しだけ“遠い”。
そんな感じがした。
「この子、静かでしょう?」
父さんが苦笑する。
「昔から大人しくてなぁ。手がかからないんだ」
「へぇ」
美咲さんはミルクティーを混ぜながら頷いた。
「いい子なんだね」
いい子。
その言葉が、なんだか妙に軽く聞こえた。
母さんが死んで、二年。
父さんが疲れているのは知ってる。
仕事から帰ってきて、ボクにご飯を作って、洗濯して。
最近はため息も増えた。
だから再婚したいのも分かる。
分かるけど。
……ボク、邪魔なんだろうな。
そんな考えが、最近ずっと頭から離れなかった。
「春樹くん、趣味とかあるの?」
美咲さんが聞いてくる。
「……猫、好きです」
「あー」
一瞬だった。
本当に、一瞬。
困ったような顔をした。
すぐ笑顔に戻ったけど、ボクは見逃さなかった。
「昔、飼ってたの?」
「……うん」
「へぇ、可愛いよね」
それで会話は終わった。
父さんが慌てて別の話題を始める。
その空気が、逆につらかった。
やっぱり。
この人、ボクのこと苦手なんだ。
そう思った。
◇
「悪いな、春樹。付き合わせちゃって」
喫茶店を出たあと、父さんが頭をかいた。
「別に」
「美咲さん、緊張してたんだよ」
「……うん」
雨はまだ降っている。
駅前のネオンが、濡れた道路にぼんやり映っていた。
「あ、父さん」
「ん?」
「……トイレ行きたい」
「あぁ? さっき店出たばっかだろ」
「ごめん」
「しょうがないな。早くしろよ」
ボクは小走りで喫茶店へ戻った。
店の入り口まで戻った時。
半開きのドアの向こうから、声が聞こえた。
『……でもさぁ』
美咲さんだった。
ボクの足が止まる。
『正直、あの子ちょっと苦手かも』
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
『え?』
『なんか暗いし……ずっと気を使わなきゃいけない感じするし』
友達だろうか。
スマホで通話しているみたいだった。
『私、子供嫌いってわけじゃないんだけどさぁ』
笑いながら。
軽い調子で。
『あの子いると、“新しい家庭”って感じしないんだよね』
頭が真っ白になる。
ボクは静かに店を離れた。
父さんは何も知らない。
知らなくていい。
知らないままの方が、きっと幸せだ。
◇
夜。
部屋の電気もつけずに、ボクはベッドにうずくまっていた。
時計の針の音だけが聞こえる。
スマホには、父さんからのメッセージ。
『先に寝てなさい』
短い文章。
多分、美咲さんを駅まで送っているんだろう。
ボクは枕に顔を押しつけた。
母さんが死んでから。
父さんに迷惑をかけないようにしてきた。
泣かないようにした。
ワガママも言わなかった。
静かにしてた。
でも。
それでも。
「……いらない子、なんだ」
ぽつりと呟いた瞬間だった。
――カラン。
小さな鈴の音がした。
ボクは顔を上げる。
閉めたはずの窓が、少しだけ開いていた。
冷たい夜風がカーテンを揺らしている。
そして。
窓枠の上に、それはいた。
黒猫。
金色の目。
雨に濡れた毛並み。
そして。
二本に分かれた尻尾。
ボクの呼吸が止まる。
「……タマ?」
黒猫は、じろりとボクを見た。
それから。
やれやれ、とでも言いたげにヒゲを揺らす。
「ようやく見つけたと思えば」
低い声が、部屋に響いた。
「なんだその情けない顔は」
ボクの脳が、完全に停止した。
「…………え?」
黒猫は、ふわりと部屋へ飛び降りる。
そして当然みたいな顔で、ベッドの上に座った。
「泣いたのか、春樹」
「え」
「む。まだ混乱しているな」
黒猫は偉そうに胸を張った。
「安心しろ。私はタマだ」
「…………」
「あと猫又になった」
「ねこまた」
「うむ」
タマは満足そうに頷いた。
「三年ほど修行していた」
「修行って何!?」
「色々だ」
色々って何だ。
いやそもそも猫が喋ってる。
尻尾二本だし。
夢かもしれない。
でも。
その金色の目も。
ちょっと偉そうな座り方も。
全部、知っていた。
タマだ。
三年前にいなくなった。
母さんがまだ生きていた頃、いつも一緒にいた猫。
「……タマ」
「うむ」
「タマぁ……!」
気づけば、ボクはタマを抱きしめていた。
温かい。
本物だ。
「お、おい。苦しい」
「だって、だってぇ……!」
「むぅ……」
タマは少し困ったように尻尾を揺らしたあと。
ボクの胸を前足でぽふ、と叩いた。
「……あの頃より、大きくなったな」
「三年も経ったんだもん」
タマはするりと腕の中から抜け出すと、
「……まあ良い」
そのまま当然みたいな顔で床へ降り立ち、
当たり前みたいな口調で言った。
「春樹。お前を迎えに来た」
「……迎え?」
「うむ」
金色の瞳が、まっすぐボクを見る。
「ネコマタ王国へ来い」
「…………へ?」
「お前はオレの従者だからな」
「えぇっ!?」
◇
ボクはタマの後を追って、夜の街を歩いていた。
雨はいつの間にか止んでいたけれど、空気はまだ湿っている。
街灯の光が濡れたアスファルトに反射して、ぼんやり揺れていた。
タマは迷いなく進んでいく。
二本の尻尾をゆらゆら揺らしながら。
でも。
歩いている場所がおかしかった。
「え?」
気づけば、見たことのない細い路地に入っていた。
ボクの住んでる街のはずなのに。
こんな場所、知らない。
さらにタマは当然みたいな顔で、塀と塀の隙間をすり抜けていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「遅いぞ」
「猫じゃないんだから無理だよ!」
服を引っかけながら、なんとか後を追う。
その先には、さらに変な道があった。
古い石段。
赤い提灯。
壁に空いた、小さな穴。
「……ここ通るの?」
「うむ」
「いや無理だよ」
「そんなはずはない。
お前も通れるはずだ」
タマはするりと穴をくぐる。
ボクも仕方なくしゃがみ込み、なんとか身体を押し込んだ。
タマの言う通りなんとか通り抜けられた。
向こう側へ出た瞬間。
空気が変わった。
「……え?」
そこは、知らない道だった。
さっきまで駅前にいたはずなのに。
石畳の道。
平屋が並ぶ街。
ぼんやり青白い灯り。
見たこともない木々。
遠くで猫の鳴き声みたいなものが聞こえる。
ボクは急に不安になった。
本当に、大丈夫なのかな。
タマがいるからついてきたけど。
この先に何があるのか、全然分からない。
それに。
そもそも。
「……ねえ、タマ」
「む?」
「なんでボクを連れて行こうと思ったの?」
タマは足を止めずに答えた。
「何を言う」
二本の尻尾が、ふわりと揺れる。
「お前は前から、オレの従者だっただろう?」
「えぇ?」
思わず変な声が出た。
「ボク、飼い主なんだけど……」
するとタマはぴたりと立ち止まった。
そして振り返る。
金色の目が、呆れたように細められた。
「ふっ」
タマは呆れたような声を出す。
「な、なに」
嫌な予感がした。
「あれほど甲斐甲斐しくマッサージしておいて、よく言うな」
……。
「マッサージって……ナデナデのこと?」
「耳の後ろ。喉。背中。腹」
タマはそれぞれの部位を前足で指し示そうとするが…触る事が出来ていない。
「完璧だった」
二本の尻尾が、ゆっくり揺れる。
「そ、そんなの褒めらても……」
でも。
言われてみれば、タマは昔からそうだった。
気まぐれにボクの膝へ飛び乗ってきて。
当然みたいな顔で丸くなる。
そして。
ボクの手を前足でぺしぺし叩くのだ。
『撫でろ』
と言わんばかりに。
まあ。
ボクもタマを撫でるのは好きだったけど。
耳の後ろを掻くと、すぐゴロゴロ言うし。
喉を撫でると、お腹を見せるし。
母さんにも、
『春樹はタマを撫でるの上手ねぇ』
って笑われていた。
「じゃあ……ボクがネコマタ王国でやる事って」
タマは当然のように頷く。
「うむ。オレを撫でろ」
「それだけ!?」
「重要任務だぞ」
タマはふん、と鼻を鳴らした。
それから、また歩き出す。
「早く来い、従者」
「だから従者じゃ――」
反論しかけて。
ボクはやめた。
二本の尻尾が、
ゆっくり揺れていたからだ。
……まあ、いいか。
ボクも。
タマを撫でるのは好きだし。
「分かりましたよ。ご主人様」
◇
門の前には、二匹のネコマタが立っていた。
灰色の毛並み。
槍を持ち、着物みたいな服を着ている。
人間みたいに立っているのに、耳と尻尾だけは完全に猫だった。
その金色の目が、一斉にボクを見る。
「……人間?」
「なぜ人間がここにいる」
低い声。
ボクは思わずタマの後ろへ隠れた。
するとタマは面倒そうに尻尾を揺らす。
「騒ぐな」
「っ!」
二匹の門番の姿勢が、一瞬だけ強張った。
「黒金刑部様……」
でも。
すぐに片方の門番が槍を構え直す。
「しかし、刑部様。人間を王国へ入れることは――」
「オレの従者だ」
タマは当然みたいに言った。
「昼寝に必要なのだ」
「昼寝ですか?」
「重要だぞ」
自信満々だった。
でも門番は困ったように耳を伏せる。
「申し訳ありません。ですが、我らが従うのは王のみ」
「ほう?」
タマの尻尾が、ゆらりと揺れた。
「門番ごときが、オレに歯向かうのか?」
「……はい」
門番は真っ直ぐ答える。
「務めですので」
タマは、むぅ、と唸った。
なんだか少し困っているらしい。
でも。
その直後。
二本の尻尾が、ぴん、と立った。
「では証明してやろう」
「証明?」
タマが振り返る。
金色の目がボクを見た。
「春樹」
「な、なに?」
「撫でろ」
「えぇ?」
門番たちも固まる。
「刑部様、まさか」
「うむ」
タマは偉そうに胸を張った。
「オレの従者は極上なのだ」
何が極上なんだろう。
でも。
まあ。
猫を撫でるのは好きだ。
タマじゃなきゃダメって訳でもないし。
「えっと……失礼します」
ボクはおそるおそる門番ネコマタへ近づいた。
門番は緊張したように身体を固くしている。
耳もぴん、と立っていた。
「そんなに警戒しなくても……大丈夫だよ」
そっと手を伸ばす。
灰色の毛並みは、少しひんやりしていた。
まずは頭。
それから耳の後ろ。
「――っ」
門番ネコマタの耳が、ぴくりと震える。
ボクはそのまま、ゆっくり喉元を撫でた。
指先で毛並みを整えるように。
昔、タマにやっていたみたいに。
すると。
「……ぅ」
低い音が漏れた。
ごろごろごろ……。
喉の奥が震えている。
「なっ……!」
もう一匹の門番が目を見開く。
「“喉鳴り”だと……!?」
撫でられている門番ネコマタは、もう槍を持っていなかった。
いつの間にか目を細め。
尻尾が、ふわぁ……と左右に揺れている。
ボクの手へ、自分から頭を押し付けてきた。
「にゃ……」
「え?」
「ごろごろごろごろ……」
完全に猫だった。
タマが誇らしげに鼻を鳴らす。
「言っただろう」
二本の尻尾が、ゆっくり揺れる。
「オレの従者は極上だ」
「ば、馬鹿な……」
もう一匹の門番が震えた声を出す。
「こ、こんなの……噂に聴く王宮級の施術ではないか……!?」
ただ撫でてるだけなんだけど。
でも門番ネコマタは、もう完全に陥落していた。
ごろごろ喉を鳴らしながら、ボクの手に頭を擦りつけている。
槍まで落としてるし。
「……通って、よし」
とろんとした声で門番が言った。
「ええ?これ職務放棄じゃないの?」
タマに判断を仰ぐ。
でも
「仕方あるまい」
タマは満足そうに頷いた。
「これに抗えるネコマタなど存在せん」
……ただ、撫でただけなのに?
「そんな技みたいに言われても……」
大きな門が、ゆっくり開いていく。
その向こうには。
見たこともない世界が広がっていた。
赤い提灯。
石畳の道。
道なりに建てられた家。
その屋根の上を走り回る猫たち。
「……人間?」
「刑部様の従者?」
「ちっちゃい」
「可愛い」
なんだか品評会みたいになっていた。
でも。
嫌な感じはしない。
むしろ。
みんな、普通にボクを見ていた。
“邪魔者”を見る目じゃなく。
「さあ」
タマが前を向いたまま言う。
「ここからがネコマタ王国だ」
二本の尻尾が、ゆらりと揺れる。
「不安はないか?」
ボクは周りを見回した。
猫。
猫。
猫。
道を歩く猫。
塀の上で丸くなる猫。
店の前で値切る猫。
楽しそうな声。
あったかい灯り。
それから。
足元へ当然みたいに身体を擦り付けてくる門番ネコマタ。
「……うう。
離れがたいのです……」
仕事を放棄してしまっている。
思わず笑ってしまった。
こんな状態だ。
ボクはタマに答える。
「みんな可愛いし、不安とかないよ」
すると。
タマが、ふっ、と小さく鼻を鳴らした。
「ふふふ」
二本の尻尾が、ゆっくり揺れる。
「流石はオレの従者だ」
そう言って。
タマは当たり前みたいに歩き出した。
「行くぞ」
「うん」
「屋敷に帰ったらオレも撫でろよ」
……
なんだか、ちょっと不機嫌みたい。
「そうだね。いっぱい撫でてあげる。
三年分、いっぱい、ね」
タマはそれを聴くと……
ちょっと飛び跳ねた。
「……期待しているぞ」
タマの後を追いながら。
ボクは少しだけ思った。
――ああ。
ここなら。
ボクは、“いらない子”じゃないのかもしれない。




