第2話:瞳の演技は難しい
数ヶ月が過ぎた。
自室の鏡の前で、私は表情演技の稽古をしていた。
眼の前にいるのは、かつての不美人な私が喉から手が出るほど欲しかった、華のカタマリのような容姿。
すっと通った鼻に、薄めの唇。透き通るような肌、朝焼けのような艶やかな赤髪、千年を生きた樹の葉のような、深緑の瞳。少しだけツリ目気味なところも、人目をひいて気に入っていたけれど……王子の好みではなさそうだから、さりげなく垂れ目メイクで修正をしている。
ちょっとだけ太りやすい体質ではあるが、それ以外は完璧な容姿。
「主役の、器」
口元が、自然とほころぶ。
「お嬢様―! 王子がお見えですー! ふふ、最近は、毎週のようにいらして、ご熱心ですよねぇ。正式なご婚約の日も、近いかしら」
「もう、ハンナったら。王家の花嫁なんて、役者不足だって言っているでしょう?……いつものように中庭に、お通しして。それにね、マクシム様が熱心な理由は……」
侍女に、私はいつも通り依頼した後、言葉を濁した。
私が転生するまで、リーザは派手好きで我儘な令嬢だった。リーザは優しい王子様に熱烈な片思いをしていたけれど、マクシム側は完全に冷めていた。
マクシムが、こんなに頻繁に訪問するようになったのは、明らかに私が――リーザが「左手を怪我して、心を入れ替えた」演技を重ねて、からだ。
誰にも見られていないのを確認して、駆け足で中庭に向かった。
「いつ来ても、君の家の庭は綺麗だ。季節ごとの花は途切れないのに、ごてごてと飾っていなくて、ホッとする。王宮とは、空の色まで、違う気がするよ」
王子は、中庭に置かれたチェアセットに座り、紅茶のカップを前に笑顔になった。
雪解けの季節。春うららかな、暖かな、ひだまり。
花壇にはチューリップが咲いている。
「気に入って頂けたのなら、庭師も喜びますわ」
私も、穏やかな笑みを返した。利き手ではない右手で、紅茶のカップを持つ。
面会の場所を、毎回中庭に設定したのは、正直、あまり自信のない賭けだった。
演技には絶対の自信がある。けれど、舞台の演出や小道具などは、私は得意ではない。苦手なりに、色々と頭を捻った結果、「美しい緑と、どこまでも高い空の開放感は、窮屈な王宮に籠もっている10歳の王子の心を、溶かすのではないか」と演出プランの仮説を立てた。
そして、その演出プランは、おそらく正解だった。
罪悪感に押しつぶされそうになっていた少年王子マクシムは、今はだいぶリラックスした表情で、頻繁に当家に通ってきている。
……まるで、恋する少女との、婚約を望んでいるかのように。
(だけど)
私は、役者としての目で、マクシムの表情を観察する。
(だけど、マクシムは、演技してる)
声は優しさに満ちている。言葉も、気遣いに溢れている。
(だって、目の演技が、できてないのよ)
罪悪感はあるだろう。だが、そこに、恋する少女へ向けるような、熱はない。
(瞳孔が、開いていない)
人が本当に心を動かされた時、愛情を感じた時、瞳孔は開く。しかし、私を見つめるマクシムの瞳に、変化はない。日本人と違い、色素の薄いマクシムの瞳は、瞳孔を観察しやすい。
完璧な表情筋のコントロール。完璧な声のトーン。完璧な言葉選び。彼は、完璧な「優しい婚約者候補」を演じているに過ぎない。
おそらく、マクシム個人として、私が負った左手の傷への、消えない罪悪感を、少しでも消すために。そして王子として、公爵家との縁を、結び直すために。
◇
マクシムとの仲が深まらないまま、私は11歳になった。
(手強すぎるよ、王子様。いくら転生前のリーザがワガママ令嬢だったとはいえ……あらゆる演技テクニックを駆使しても、罪悪感以外の感情を引き出せない……)
このままでは、ヒロインちゃんが現れて『王子が過去に囚われる必要はない』とか説いたら、あっさり私は破滅しかねない。実家の悪事も探ってはみているけど、11歳の子どもが入手できる情報など、たかがしれている。
婚約者でなくていい……いやむしろ、婚約者で無いほうがいいかもしれない。せめて、『破滅しかけたリーザを助けたい』と王子が思うくらいの、友人関係が築けないか。
ふと、アイディアが浮かんだ。
(11歳くらいって、同性の友達のほうが、話しやすいのかも。私とマクシム王子が二人で話している、というシチュエーションは、魔族に襲われた時と同じだから、罪悪感を募らせやすいのかも……)
「ハンナ!」
親しい侍女を、呼んだ。
「お茶会! お友達になれそうな家柄の令息と令嬢をあつめて、お茶会を開くわ!」
「はあ……」
「名付けて……”いつメン de 仲良し、作戦”よ!」
「はあ……?」
◇
お茶会当日、クラウゼヴィッツ公爵家の庭園は、完璧な舞台へと姿を変えていた。
咲き誇る純白の薔薇、銀食器の上で踊る陽光、そして、甘い花の蜜を求める蝶の、優雅な飛翔。
VIP席に座る観客は、もちろん、マクシム王子。そして、侯爵家の、華やかなドレスに身を包んだ令嬢たちが二人、同様の家柄の令息たちが二人ほど、席に着いていた。
私は挨拶のためにテーブルに近づき、不穏な空気に気づく。
(あれ? なんか、……配役を、ミスったかも)
和やかな友人役となるはずだった、令嬢たちの瞳は――野心で、爛々と輝いていた。
お茶会が始まると、そこは、令嬢たちの、王子への自己アピールのための、熾烈な戦場と化した。
「王子! わたくし、先日、有名な画家に、肖像画を描いていただきましたの。ぜひ、ご覧になって?」
とナタリア様。
「王子! 私の領地では、今年、素晴らしい葡萄酒が収穫できましたの。世界中に輸出しておりますの。とびきりの1本を、王子のためだけに、お持ちいたしましたわ」
とタチアナ様。
令嬢たちは、次から次へと、立て板に水のごとく、まくし立てる。
(未成年に葡萄酒渡して、どうすんの?! 完全にキャスティングミスだ、家柄で選ぶんじゃなかった! 性格と知性で選ぶべきだった! もうマクシム様、帰りたそう……。私のバカバカバカ、演技以外のコト、本当にダメなんだから!)
マクシムは、口元だけは完璧な王子の笑みを浮かべながらも、その瞳の奥に、うんざりした色が浮かんでいる。
ちなみにマクシムと、男の友情を育むはずだった令息たちは、令嬢の剣幕に押され、押し黙っている。完全に空気である。
(The show must go on――それでも舞台は止められない……)
明らかに、観客を楽しませることに失敗したまま、ノンストップで進んでいく舞台。私は軌道修正のアイディアさえも浮かばず、途方にくれた。
やがてマクシムは、喧騒から逃れるように、独り言のように呟いた。
「……苦労して品種改良した葡萄の種を、不当に他国に奪われてしまうという話を聞いたな」
かたい話に、令嬢たちは興味がなさそうな表情だった。
しかし、私は、その瞬間を、逃さなかった。
(来た)
私は、役者としての、最も重要な技術の一つを、意識する。
それは、『相手役のセリフを聴く』こと。
ただの音として、言葉を聞くのではない。聴く、のだ。
相手の声のトーン、リズム、間の取り方、そして、その言葉の裏に隠された、本当の感情――サブテキストまで、全身の感覚を研ぎ澄ませて、受け止める。
今、彼の声には、単なる興味だけではない。未来の王としての不安が、微かに滲んでいる。私はたまたま、実家の悪事を探る過程で、他領の葡萄の種が盗まれたという話を聞いていた。前世でも似たような話があったな、と興味を持って、なんとなく記憶していた。
「アーク領のプラ―ナ種の事例でございましょうか? 他国では、スノージアから盗み出した種を元に、勝手に苗木を増やして、プラ―ナのブランドをつけて、葡萄酒を売っているとか」
「そうなんだ! スノージアの寒冷地であってこそ、美味なワインとなる品種なのに……他国で粗悪な品質のプラ―ナ・ワインが売られていては、わがスノージアのブランドを傷つけかねない」
マクシムは顔を上げ、熱心に語った。
「広く輸出を行うと、技術を盗まれる危険が伴いますね。かといって、門外不出にしていても、商売の機会を逃すことになりますもの。難しいところ、ですわね」
私の言葉に、マクシムの美しい顔が、苦渋に歪む。
「……ご安心を、王子。我らがクラウゼヴィッツ領では、水魔法を用いて、作物に”印”をつける方法を考案しております。勝手に、輸出先などで増やされることがないように。今はまだ、コストがかかりすぎますが、近々、実用化できそうですわ……そう、私たちが、大人になるまでには」
私はマクシムと目を合わせて、力強く頷いてみせた。
破滅フラグを避けるとか、今はどうでも良い気がした。
『大丈夫、大丈夫だよ』って、小さな肩に重荷を背負った11歳の少年に、伝えたい。
私のほうが、前世と合わせたら大分年上だしね。
マクシムの目が、驚きと、そして、深い安堵の色を浮かべて、私を、見つめ返した。
「……ありがとう、リーザ。君は、いつも、僕を分かってくれる」
その瞬間、私たち二人の間にだけ、他の誰も入り込むことのできない、穏やかな空気が、流れた。
マクシムは私の顔をじっと見つめた。水色の瞳。その中心にある黒点が、ふわり、と、ほんの僅かに、広がった。瞳孔が、開いた。
(観客、感情、手応え、あり)




