第1話:神をも超える役者バカ
悲鳴のような強風の崖の上で、私と、刑事役の俳優は対峙していた。
「犯人は、お前だ!」
刑事役の俳優が、私を指さした。滔々と私の犯行理由を述べる。
「全て、お見通しね。……なら、分かるでしょ。両手の自由を失って、愛を失って。私がもう、生きていたく、ないって」
説明的なセリフの後、両目に涙を浮かべて、私は海側に駆け出した。消して、涙は落とさない。どれだけありきたりの脚本だろうと、私だけは安っぽい演技なんか、しない。私だけは光って、みせる。
「さよなら」
カメラに向かって、悲しみを見せつけ、私は崖から飛び降りた。
飛翔感。強風が横殴りに私を打つ。眼下には、荒れ狂う紺碧の海。
ガン、と腰に結ばれていたワイヤーとコルセットが音を立て、落下が止まった。私はそのまま、崖と海の間で宙ぶらりんになる。風が、痛い。
――ギシッ
崖の上の、コルセットとワイヤーが結ばれている機材のモーター部が、嫌な音を立てた。
一段、私の体が、下がる。海に近くなる。
「やばい、故障だ!」
「強風に耐えられなかったのか!」
撮影クルーが騒ぎ始める。
「凛! ロープ掴め!」
遠くで、刑事役の俳優が叫んだ。
崖の上から放たれたロープが、命綱が、すぐそばの空中で揺れた。
――掴む? 私は、私の役は、両手が動かない設定なのに?
私の両手は、だらりと垂れ下がったまま。動かない。動かせない。
「早く掴めよ、凛!」
このロープを掴めば、私は助かる。
だけど、だけど、私の両手は、動かない。
――ギシギシッ
大きな音とともに、今度は、急速な落下が始まった。
暗転。
◇
気がつくと、私は静かな暗がりにいた。 風も、潮の香りも、ない。
「素舞台?」
遠く前方に、がらんとした小さなステージが見える。黒い床と黒い壁。上から真っ白なライトが、板の上を照らしている。
小道具も何もないステージ、だけど、何でもある場所。ワクワクもドキドキも、役者の演技と、お客さんの想像力で、何でもできる――大好きな場所。
崖から落ちたはずなのに、体はどこも痛くなかった。ステージを仰ぎ見ながら、近づく。
突然、ステージの上の何も無かった空間に、Tシャツにジーンズという、ごくごく普通の出で立ちの、中学生くらいの少年が現れた。
開口一番、ステージの上から、怒られた。
「なんで、ロープ掴まなかったの?! 落ちたら死ぬよね、分かるよね?!」
私は驚いて、現実感のない、ふわふわとした心地で――ただ、聞かれたから答えた。
「ーーカットが、かからなかったから」
崖のシーンで私が演じていたのは、両手が動かない役。
監督などの、責任ある立場の人から「カット」の声がかかるまで、役者は演技を止めてはいけない。その瞬間まで、役を生きていなくてはいけない。
――で、役を生きたまま、私は死んだっぽい。
「神の予測を超える、役者バカッ……」
少年は、呆れ果てた声をだした。
「君、本当は、ロープを掴んで助かるはずだったんだよねぇ。もう、死亡率管理がメチャクチャだ、計算しなおさなきゃ」
「あなた、神様? ここは、死後の世界? 私は死んだっぽいよね?」
登場の仕方以外は、あまりにも普通の少年に、つい確認してしまう。
「テンプレ脚本の通り、進めたほうが良い? おーそーれーるーこーとーはーなーい! 神様でーす。ここはねぇ、世界や人生を舞台と捉えるなら、その合間……人生の楽屋みたいな空間。君の深層心理を反映して、舞台の形をとってる。ああ、ちなみに君、キッチリしっかり死んでるよー。あの高さから海に落ちているからねぇ、頸椎骨折、内臓破裂、大量出血、呼吸」
「い、言わなくていい! ……です。あー私、バカだなぁ。NG出してでも、ロープ掴めば、よかった。演じたい役、まだまだ沢山あったのに」
ーーいつか、いつか、いつか。
脇役じゃなくて、主役として、たった一つのピンスポットを浴びて。
お客さんを感動させる、物語の中心に。
……全て賭けてきた夢も、もう、叶わないのか。
「で、私、どうなるんですか? 天国に行けるほど、いいヤツだった気もしないけど」
投げやりに聞いた。
神様というのなら、私の後ろ暗い部分もお見通しなんだろう。例えば、自分が不美人で脇役専門だったから、容姿の優れた主役級のアイドル女優ちゃんとかを、妬んでいたこと、とか。
……座組の和を乱したくないから、一度も口には出さなかったけれど。
「予定外の死だからねぇ、ちょっと早すぎる。まぁ手近なところで時間をつぶしてから、来てよ。……あ、ちょうど隣の世界でひとつ、魂が空いたみたいだ」
「隣って」
「君もよく知っているところだねぇ、ちょうどいい――君がオーディションを受けようとしていた舞台の戯曲、『白夜の溺愛』を、君の次の舞台にしてあげるよ」
「次の舞台!」
思わず、はしゃいだ声がでた。
「私の役の年齢は? 性別は? 方言はある? 感情は喜怒哀楽どれに寄りやすい? 物語の中での役割は? 過去のトラウマとか、ある? 世界設定は? ちなみに私、安易なヌードはNGですけど、ストーリー上効果的なら」
「死んでも治らぬ、役者バカ……。名前はエリザヴェータ・フォン・クラウゼヴィッツ。愛称は、リーザ。10歳の公爵令嬢。数年後、王子マクシムの婚約者となり、平民出身のヒロインを虐げ、最後には婚約を破棄され、同時に実家の悪事も暴かれて、没落していく悪役令嬢」
「脇役専門だった私が、物語の重要な歯車である、悪役を! どんなシーンから始まるの?!」
胸の高鳴りが止まらない。
「リーザは我儘気ままなご令嬢だけど、マクシムへの恋は本物だ。……ある日、リーザは魔族に体を乗っ取られ、マクシム王子を魔法で殺しそうになる。利き手である左手から、炎を飛ばして。しかしリーザは必死に自我を保って、自分の左手を、自分の右手で攻撃する――王子への攻撃を、逸らす為に」
「魔法?! 私も使えるの?」
「使えるけど、転生直後は、まだ安定しないかな。だから、いきなりバトルシーンから即興で演技開始、はキツイよねぇ。リーザが魔族を撃退した直後、くらいから始めようか。ああ、ちなみに、もともと悪役だからって、ストーリー通り進める必要はないよ。君の好きにしていい。ある程度の強制力は、働くかも、だけど」
「ぜんっりょくで、演じます!」
「大丈夫かねぇ。ま、なるようになれ」
神様は、ぼやいて、右手を高く掲げた。
「――さあ、幕を、開けよう」
神様の言葉を最後に、私の意識は、純白の光の中へ溶けた。
◇
「いったあああああい!」
左手の、焼けるような激痛で、私は目覚めた。まるで、熱した鉄を押し付けられているかのような痛み。
「うっ……!」
呻きながら首を振る。視界に映るのは、豪奢な天蓋付きのベッドの、天井だった。私はふかふかの羽毛枕と、すべすべのシーツの上に横たわっていた。
「リーザ! 気がついたのか!」
「良かった……!」
心配そうな大人たちがベッドを取り囲んでいた。父である公爵、侍女、医師……と、私――リーザとしての記憶が、一人ひとりを思い出していく。
「リーザ、ごめん、僕のせいだ……」
大人に混じって、ベッドの傍らに、息を呑むほど美しい少年が一人。雪原の輝きを閉じ込めたような、白金の髪。薄い氷のような、白みの強い水色の瞳。歳は、十歳くらいだろうか。顔には、安堵と、そして罪悪感が浮かんでいた。
(この顔は……『白夜の溺愛』の原作の挿絵で見た、王子マクシム……!)
リーザの記憶が、奔流のように流れ込んでくる。
ここは、スノージア帝国。魔法と科学が共存する、雪深い国。
私は、エリザヴェータ・クラウゼヴィッツ公爵令嬢。愛称リーザ。そして目の前の少年は、この国の第一王子、マクシム・アレクセーエヴィチ・スノージア。私の婚約者候補だ。
「どうやって謝っていいか、分からないよ。僕のせいで、君に怪我を……」
マクシムは、包帯でぐるぐる巻きにされた私の左手を、じっと見つめた。
(なるほど。この罪悪感が、マクシムをリーザに縛り付ける鎖になるわけね)
この世界・この時代の障害者差別は根強い。原作のマクシムは、リーザに障害を負わせてしまったという罪悪感から、我儘なリーザの言いなりになる。そのアンバランスな力関係は、更にリーザを増長させ、いずれ破滅へと導く。
「……マクシム様」
私は、か弱い、しかし、芯の通った声で、彼を呼んだ。
原作のリーザは、ここで泣き叫ぶ。痛みを前面に押し出し、マクシムの同情を引く。
けれど、私は違う。私は、プロの役者だ。
役者としての私の頭脳は、瞬時に、最も効果的な演技プランを構築し始める。
まず、観客の分析から。マクシムは、心優しく、責任感の強い性格。マクシムが後に溺愛することになる原作のヒロインは、確か……逆境に負けず戦う、素朴で健気なタイプだった。
(なるほど、「健気さ」が、彼の心を打つ、重要なキーワードか)
ならば、取るべき戦術は一つ。
スタニスラフスキー・システムにおける、基本中の基本にして、強力な演技テクニック。
『マジック・イフ』。
役者が使う、想像力を刺激し、身体の奥底から、本物の感情に近いものを、引きずり出す魔法。
私は、心の中で、その魔法のスイッチを入れた。
『もし、私が、自分の身を挺して、彼を守れたことに、至上の喜びを感じる、健気な人間ならば?』
彼女ならば、どう行動する?
泣き叫ぶ? 否。愛する人の心を、これ以上、罪悪感で苛むようなことは、しないはずだ。
(むしろ、健気に、笑顔で……)
私は、自分自身の過去の経験から、笑顔になるような状況を思い出し、喜びの感情を引っ張り出す。
例えば――かつての、大きな舞台をやり遂げたあとの達成感、成し遂げた喜び。
私は内なる喜びを、少しずつ表情に載せた。
「……あなた様のせいなどと、おっしゃらないで。この手は、大切な方を守り抜いた、私の、勲章ですわ」
声が、自然と、震えた。
精一杯の力で、微笑んでみせた。
口輪筋を動かし、唇の端を数ミリ、ゆっくりと引き上げる。目元には、左手の激痛を堪える、眼輪筋の緊張。そして、彼の無事を確認できた、心の底からの安堵による、弛緩。相反する要素を、同時に、完璧なバランスで顔面に宿らせる。
マクシムが、はっと息を呑む。
彼の薄い氷のような瞳が、僅かに見開かれる。
(観客、感情、手応え、あり)
これが、私の初舞台。
悪役令嬢エリザヴェータ・フォン・クラウゼヴィッツの、最初の演技。
(最前列で、見ていなさい、マクシム)
この世は舞台、人はみな役者。
破滅のシナリオなど、私の演技で、書き替えてみせる。
王子の理想を演じ抜き、この戯曲の主役になってやる。




