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第五章:最初に倒れる者たち


翌日、壁には新しい文章は一つも書かれていなかった。


それだけでも恐ろしかった。


辺りは静かというよりも、叫び声のあとのような静けさだった。木々は微動だにせず、空気は肺を通り抜けようとしないかのように重苦しいままだった。ケアンとアリシアは火のない小さな暖炉のそばの床に座り、視線を交わしたが言葉は交わさなかった。ネロは隅で、二人には理解できない何かを壁に描いていた。まるで逆さまの頭蓋骨にひびが入ったような、重なり合う円と線。


「体が重い…骨が縮んでいくみたい」とアリシアは言った。


「覚えていない…最後に深呼吸をしたのはいつぶりだろう?」と、ケアンは声を震わせながら答えた。


彼女は立ち上がったが、まるで地面が再び触れることを拒むかのように、体が揺れた。彼女は壁につかまり、息を呑んだ。手のひらは昨日はなかった透明で粘着性のある層に張り付いていた。彼女はため息をつきながら素早く手を離したが、何も見つからなかった。まるで壁が二人を引き留めようとし、そして後悔しているかのようだった。


外で痛みが始まった。


一軒の家から咳き込むような音が聞こえ、短い叫び声が続き、重苦しい沈黙が訪れた。一時間後、隣人のウォールデンがよろめきながら道路に出てきた。彼の顔は普通ではなかった…青白く、しかし引き締まっていて、まるで皮膚が内側から乾いたようだった。


彼は声を詰まらせながら言った。「妻が…起きないんです。起こそうとしたんですが…」


そして彼は倒れた。衝撃音も血も出ていなかった。まるで誰かが隠しスイッチでスイッチを切ったかのように、ただ倒れただけだった。


アリシアは駆け寄り、脈拍と目を調べたが、彼がまだ生きている兆候は見つからなかった。死んでいる兆候も見つからなかった。まるで…去ってしまったかのようだった。


カイレンはノートに書き綴っていた。


>「熱のない体。リズムのない心臓。息を吐かず、飲み込まない開いた口。これが、死なずに生の外にいるということなのか?」


正午までに、病は蔓延していた。


第六区の人々は嘔吐し、倒れ、喃語を吐き出し、そして初冬に取り残された秋の落ち葉のように倒れていった。その様子には規則性はなかった。子供も大人も、健康な人も弱っている人も。歩いている途中で倒れる人もいれば、食卓で倒れる人もいれば、眠り込んで二度と戻ってこない人もいた。


アリシアは咳き込み始めた。タオルの端にかすかな血が流れた。ケアンには言わなかったが、次は自分が倒れる時だと分かっていた…少なくとも、そう感じていた。


夕方になると、残った住民たちは中央広場に集まった。彼らはいつもよりずっと小さく、怯えたように顔を見合わせたが、言葉は少なかった。空気中の何かが会話を呑み込み、舌が重くなり、心は砕け散った。


「これは病気じゃない…内側から引っ張られる何かなんだ」と白髪の男が言った。


「息子が、自分に似た女の子が路地で遊んでいるのを見たと言っていた…そして、すぐに消えたんだ」と、疲れた目で女が答えた。


囁き、視線が交わされ、そしてそれは消えていった。まるで恐怖が伝染するかのようだった。


夜になると、アリシアの容態は悪化した。


カイレンは激しく咳き込み、そのたびに血が上るのを我慢して頭を支えた。それでも、彼女の目は鋭く、抵抗していた。彼女は嗄れた声で言った。「分かってる…これは死とは違う」


カイレンは答えた。「消えるのと同じよ」


彼女は彼を長い間見つめ、それから呟いた。


「もし私が消えても、私がもういないかのように書かないで…私が最後の息をひきとるまでここにいたと書いて」


彼女は微笑んだ。すると彼女は気を失った。


ネロは隅からその様子を見ていた。彼は静かに近づき、彼女の体に毛布をかけ、囁いた。


「彼女は行かない…行きたくないから。」


それから数時間、さらに多くの人が亡くなった。


人々は行方不明者を示すために、ドアに札を貼り始めた。赤い札は誰かが病気、黒い札は中にいた人が亡くなったことだった。しかし翌朝には、すべての札が消えていた。ペンキも跡形もなく、まるで誰かが指で消したかのようだった。


夜明けになると、悲鳴が響き渡った。


一人の女性が震えながら通りに飛び出し、叫んだ。


「昨日はここにいたのに!家は満員だったのに!今日は誰もいない!食べ物さえも!足音さえも!」


人々は何と言えばいいのか分からなかった。ある者は真実から逃げるように、ドアを閉めて家に戻った。ある者は、見えない何かに震えながら、無力に立ち尽くしていた。


ケアンはノートにこう記した。


「我々が恐れるのは死ではない…説明のつかない消失だ。まるで生まれてこなかったかのように、残る空虚さだ。」


夜、初めて…壁に新しい文字は現れなかった。


しかし、家の玄関に奇妙な跡が現れた。文字ではなかった。小さな手形だった。まるで子供が粘土に手を浸してそこに残したかのようだった。しかし、それは粘土ではなかった。


灰だった。


ケアンはゆっくりとドアへと歩み寄り、その灰色の手形に視線を釘付けにした。彼の心の何かが、彼女に触れることを拒んだ。まるで本能が警告しているようだった。「触れれば、取り返しのつかない何かが起こるかもしれない。」


ネロが背後から言った。少年の声とは似ても似つかない。


「ここは我々の所ではない。」


ケアンは突然振り返った。

「どういう意味だ?」


しかしネロは黙っていた。彼は消えた暖炉のそばにしゃがみ込み、爪で壁の皮を剥ぎ始めた。


アリシアは弱々しくうめき声を上げながら、身動きを始めた。


ケアンは彼女のところに駆け寄り、隣に座り、そっと彼女の頭を持ち上げました。彼女の目は半開きで、唇は乾いていました。


彼女は囁きました。


「まるで…私の声が、私から出ていないような気がするんです。」


「どういう意味ですか?」


「つまり…私の声が…どこか別の場所から語りかけているような気がするんです。」


夜は前よりも重苦しく過ぎていきました。誰も眠る勇気がありませんでした。外からかすかな音が聞こえてきました。まるで誰かが砂利の上を裸足で歩いているかのようで、立ち止まり、また歩き出すような音でした…しかし、音は遠ざかることも、近づくこともありませんでした…ただ、ずっと続いていました。


真夜中、小さなものが消えました。


クローゼットから出てきた薬箱。


枕の下に隠しておいたネロのノート。

乾いたパンは、何百回も捨てろと言われたのに、結局捨てられなかった。

いつもストーブのそばにあった金属製のスプーンさえ…なくなっていた。


最初に気づいたのはアリシアだった。


「ノートはどこ?ここにあったのよ、絶対にここにあったはず!」

彼女は枕の下をかき回し、カバーをめくり、まるで罪を隠すかのように枕を振った。


ネロはクローゼットのそばに立ち、黙って…空っぽの棚を見つめていた。


「それに箱も…誰も触ってないよね?」


それから彼はゆっくりとそれらを見た。低い声で、かすかに震えながら。

-「だから…もし私たちがそれらを持って行かなければ…そして誰も入らなければ…」



ケアンは手で頭を掻き、暖炉の周りの床を調べ始めた。

-「もしかしたら落ちたのかも?もしかしたら…ネズミか何かの動物かな?」

彼は確信が持てないままそう言った。視線はゆっくりと部屋の隅へと走った。


しかし、ネロは凍り付いた。まるで部屋よりも大きな虚空を見ているかのように、虚空を見つめていた。


-「家は物事を忘れる。」

彼は冷たく、ゆっくりと言った。まるで言葉の意味自体が口から出ていないかのように…すり抜けてしまったかのように。


アリシアは素早く彼の方を向いた。

-「何だって?」


-「つまり…物が消えるのは、それがなくなったからではなく、家が…そこにあったことを忘れているからだ。」

彼はため息をつき、額を手のひらで叩いた。

-「昨日書いたのは分かっているが、なぜ痕跡がないんだ?一行も、ページも、ペンさえもないんだ?」


ケアンは何かが自分の内側から滑り落ちていくのを感じた。形のない何か…だが、重い何か。

失うことへの恐怖ではない。違う。

次に忘れ去られるのは自分かもしれないという恐怖だ。


「ネロ…そんな馬鹿な。」

彼は乾いた、途切れ途切れの笑いをしようとしたが、声は彼の意図を裏切っていた。


アリシアはノートを見て、ページを素早くめくり始めた。


「買うべきもののリストを書いたの。ここにあったわ。見たの。紙の端まで破れていたのよ。」

彼女は突然立ち上がり、息を呑んでから、ノートを見た。


「ここにはないわ!」


部屋が静まり返った。


ネロはドレッサーから離れ、床に座り込み、膝を抱えた。


「小さなものが消えていくなら…もしかしたら、しばらくは名前も、声も、顔も、見つけられないかもしれないわね。」彼は青ざめた顔でケアンを見た。


「想像してみてくれ…そして、自分が誰なのか忘れてしまうことを。でも、それは記憶を失ったからではなく…いや、この場所が君のことを覚えていてくれないからだ。」


ケアンは息を呑み、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


「まるで…跡形もなく溶けていくみたいだ。」


アリシアは呟いた。「消えたくない。」


ネロは目を閉じ、囁いた。「誰も消えたくない…でも、この家は…もう何も聞いてくれないみたいだ。」


その時、何かが起こった…


かすかな音…まるで誰かが床の上を何かを引きずっているかのような音。古いタイルの上で鉄がぶつかる音。


ケアンはすぐに立ち上がり、玄関の方を向いた。


「聞こえたか?」


彼の視線は鋭く、警戒していた。まるで悪夢から覚めたばかりのようだった。


アリシアは震える息を吐き、台所を指差した。


「あいつ…あそこから来たんだ。」


ネロは動かなかったが、ゆっくりと目を開け、まるでこれから何が待ち受けているのかを知っているかのように、暗闇を見つめた。


ケアンはゆっくりとドアへと向かい、暖炉のそばにあった鉄の棒――消えていないと確信していた最後の「物」――を拾い上げ、戸口に立った。


台所の暗闇は奇妙だった…普通の暗闇ではなかった。


重苦しい感じがした。


まるで、そこにある空気が…何か秘密を握っているかのようだった。


ケアンはゆっくりと頭を出した。その時、ドカーン!


壁で何かが爆発した。


しかし、それは本当の音ではなかった…彼の内側で、彼の心の中で。まるで壁が心の中で叫んでいるかのようだった。


彼は一歩下がって棒を掲げたが、何も襲ってこなかった。


壁には…

薄い灰色で、ただ一つの言葉が書かれていた。


「お前の番は近い。」


アリシアは息を呑んだ。


ネロはついに立ち上がり、ケアンのすぐ後ろまで近づいた。彼はその言葉に目を留め、死にゆく人のため息のような口調で言った。


「ほら?言ったでしょ…彼は全てを忘れるわけじゃない、ただ選ぶだけなんだ。」


ケアンは何も言わなかった。


心臓は激しく鼓動していたが、内なる怒りがこみ上げてきた。


恐怖からではなく…理解のなさから。


「なぜ?なぜ僕たちが?」


しかし、壁は、近所の他の場所と同じように、何も答えなかった。


静寂が戻った…しかし、それはより重く感じられた。


まるで全てが待っているかのようだった。


次に何かが消えるのを待っているかのようだった。


翌朝、通りは静まり返っていた。


鳥も風もなく、いつも壁の隅に現れる灰色の猫さえもいなかった。


家々は、死が閉じ込められるのを待つ、閉じられた箱のようだった。


アリシアはベッドに座っていた。青ざめていたが、毅然としていた。


彼女は言った。「私たちはまだ存在している…でも、何かが存在そのものを消し去ろうとしている。」


ケアンは答えなかった。ただこう書き残した。


>「もし終わりが意味を飲み込むなら…私たちに何が残るというのか?私たちの姿は?私たちの声は?私たちの記憶は?私たちの足跡さえも残らない…」


正午、アリシアは窓から何かを見た。路地に立つ小さな女の子。


彼女はアリシアに似ていたが、灰色の目をしていた。アリシアに微笑みかけていた。


アリシアは叫び声をあげ、外へ飛び出した。ケアンは後を追ったが、外に出てみると誰もいなかった。


彼は道の真ん中で口を開け、虚空を見つめているアリシアを見た。


彼女は囁いた。「私を見た。」


ケアンは優しくアリシアを路地から引きずり出し、敷居に座らせた。彼女の目は、まるであの「分身」が現れた路地に、まだそこにいるかのように、どこか遠くへ消えていた。


彼は言った。「もしかして、君に似た女の子だったのかい?」


彼女は首を横に振った。「いいえ…私でした。左肩の傷跡まで…姿勢まで…同じでした。」


彼女は少し間を置いてから言った。「そして彼女は笑っていた…私ではなく、私に向かって。」


二人の間には長い間沈黙が続いた。そして太陽が、寒さに震える猫のように、近所から遠ざかり始めた。


その夜、近所の住民数人が広場で大きな火を灯すことにした。彼らは火を囲んで座った。まるで炎だけが自分たちを裏切らないかのように。泣き出す者もいれば、名前が呼ばれるのを待っているかのように、ずっと黙ったままの者もいた。


群衆の後ろから、ケアンは向こうの壁に奇妙なものを見つけた。


それは文字ではなかった。


それは絵だった…木炭で描かれた小さな鏡だった。しかし、鏡の中央には、細い文字で一文が刻まれていた。


「よく見る者は、見られる。」


彼らは沈黙のうちに家に戻った。ケアンはアリシアには言わなかった。しかし、壁が再び息をしているのを感じた…かすかな脈動。まるで古びた心臓が、その帰還を告げているようだった。


鏡の中で、彼は何か別のものを見つけた。


テーブルの上には写真が一枚あった。彼らの古い写真…一度も撮ったことのない写真だった。


しかし、そこには彼ら全員が写っていた。


ケアンは、アリシアは、ネロは、灰色の猫さえも。


そして隅には、顔のない人影があった。


この章はこの場面で終わる…決して起こらなかった記憶、生まれなかった人、手で残されたのではなく灰色の足跡。


> そして、第六管区は、誰が残り、誰が消されるのかを決め始めたようだ。



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