第四十九話:紅の種 — ゼイン・ヴァリュウの密かな誓い
忘れ去られた文書館の冷たい床の上で、ゼイン・ヴァリュウは微動だにせず横たわっていた。
「炎の心臓」に均衡の封印を施した後、彼の肉体は完全に尽き果てていた。
かつては汚辱の印であり、今は誇り高く掲げる「紅の傷跡」から、紅蓮の炎が奔流となって溢れ出した。
彼は死から身を守るため、自ら意識を断ち切り、深い昏睡状態に陥っていた。
レンジは苦労しながらもゼインを背負い、アルカールの門へと進む。
その傍らでは、カイルンとオリエルが緊張感に満ちた盾となり、二人を護衛していた。
外の世界から見れば、ゼインはただの重い荷物、疲れ果てて無力になったハーフ・ニブリムに過ぎない。
しかし、犠牲という巨大な痛みを処理しているその精神の内側で、ゼインは活動を止めてはいなかった。
彼の意識は始まりの時、自らの紅い血で刻んだあの誓いへと遡っていた。
記憶が秋の落ち葉のように集まってくる。
ゼインは、アクセリア・アカデミーの制服を着た十三歳の自分を見ていた。
人類最後の砦、アクセリア。
そこはある一つの鉄則の上に築かれた城塞だった。
「ニブリムは根絶されねばならない」
そこでの教育は物理や数学ではなく、「組織化された憎悪」だった。
「ニブリムは宇宙の裂け目から現れる寄生虫だ。
彼らは共存など望まず、支配を目論んでいる。
我々の記憶と存在が完全に彼らに支配される前に、抹殺しなければならない!」
訓練のたびに、このスローガンが彼らの脳裏に刻み込まれた。
ゼインは才能豊かな学生で、習得が早く、戦闘に情熱を燃やしていた。
人間のエネルギーを最大限に引き出す術を学び、理解を超えた力を持つ「化け物」たちを憎む術を学んだ。
彼はニブリムを、特に幻惑と操作に長けた者たちを、存亡の危機と見なしていた。
十七歳で卒業したゼインの瞳に宿っていたのは、若さの輝きではなく、神聖なる「殺意」だった。
彼は人類の剣として、ニブリムに立ち向かうべく境界線へと旅立った。
卒業からわずか三年後、罠が仕掛けられた。
境界での狩猟任務中、ゼインは「ディストラ(炎)」一族のニブリムと遭遇した。
格別に強いわけではなかったが、そのニブリムは怒りに狂い、誇大妄想に取り憑かれていた。
激しい戦闘の最中、突如としてゼインの足元に宇宙の裂け目が開いた。
ゼイン・ヴァリュウは、ディストらの世界の中心、ヴァル・オリン城へと真っ逆さまに堕ちていった。
彼は、自分を焼き尽くす地獄の業火を覚悟した。
しかし、そこで見つけたのは全く別のものだった。
彼は即座に捕らえられ、ディストラの支配者「エニール・フレイム」の前に引き出された。
「人間が……我が心臓部に?」
エニールの声は、静かな火山の咆哮のようだった。
彼は怒ってはおらず、ただ驚いていた。
ゼインは死を覚悟し、せめて最後の一撃を放とうとした。
だが、エニールは攻撃しなかった。
代わりに、彼はゼインの紅い傷跡をじっと見つめた。
それは、ゼイン自身さえ知らなかった「炎のハーフ・ニブリム」の血筋を示す遺伝的な刻印だった。
エニールは数週間にわたってゼインと対話した。
教えたのは戦い方ではなく、歴史だった。
「ゼインよ、我々は君の敵ではない」
エニールは奇妙なほど穏やかに言った。
「だが、我々に怒りを植え付ける者がいる。我らこそが純血であり人間は不浄だと、我らに刷り込む者がいるのだ。そして人間には、我らが悪魔であると刷り込む。それが『欺瞞』なのだ」
エニールは、ファニラ(幻惑者)の支配者「アルカム」の正体を明かした。
アルカムの目的はニブリムの破壊ではなく、その意志の操作だった。
ディストラを絶対的な狂気へと駆り立て、ゼリク(雷)には選民思想を植え付けて異端者を裁かせ、人間にはニブリムすべてを憎ませる。
エニールの統治下にあるディストラは、決して邪悪な一族ではなかった。
むしろ、狡猾なファニラによって精神を狙われた標的だったのだ。
エニールは敵ではなく、友だった。
アクセリアで学んだことのすべてが、毒された半分の真実であったことを、ゼインは悟った。
ゼインはディストらの世界で三年間を過ごした。
エニールの指導の下、ディストラの絶対的な炎ではなく、彼自身の「紅蓮の炎」を操る訓練を受けた。
怒りと自制の均衡を保つ方法、そして破壊のためではなく、浄化と癒やしのために炎を使う方法を学んだ。
三年の月日が流れた時、ゼインは自らに紅い誓いを立てた。
「私は一族に忠誠を誓うのではない。私は『均衡』に忠誠を誓う」
そしてゼインは、ニブリムと人間をアルカムの欺瞞から救い出すという使命を背負い、ディストラを去った。
人間の世界に戻ったゼインの目的は明確だった。
純粋なニブリムの血を引き、まだアクセリアの憎悪やディストラの狂気に汚染されていない子供たちを探し出すこと。
均衡を教え込める子供たちを。
オリエル(8歳)
最初に彼女を見つけた。
莫大な感情の中に沈みかけていた「メララ(水)」の末裔。
当時八歳だった彼女は、恐怖のあまり力の制御を失いかけていた。
ゼインは彼女に、感情を安定させるための水の扱い方、激しい感情を遮断する防壁としての水の術を教えた。
彼女が最初の「紅の種」となった。
レンジ(11歳)
二年後、レンジを見つけた。
腕に「ゼリク(雷)」の裂け目という不名誉な印を持つ、やんちゃな少年だった。
彼の力は純粋だったが、規律がなく、自分自身を盲目の兵器に変えてしまう危険があった。
規律を嫌う彼への訓練は困難を極めたが、ゼインはレンジに、雷はただの盲目的な落雷ではなく、精密に制御できるものであることを説いた。
ハナ(11歳)
レンジを見つけて数ヶ月後、ハナに出会った。
彼女は古の門を操る「アルカール(大地)」のハーフ・ニブリムだった。
彼女こそが彼の計画に必要な、失われたミッシングリンクだった。
そして彼女は、アルカムの主要な標的でもあった。
異なる力を持つ三人の子供を、アルカムの監視を避けながら育てる生活は、困難の連続だった。
歳月が流れ、子供たちは強く成長した。
しかし、ゼインは「欺瞞」の魔の手が忍び寄るのを感じ始めていた。
均衡の力が育っていること、そしてハナがその鍵であることをアルカムが察知したのだ。
もしゼインが彼らと一緒にいれば、全員が追放されたハーフ・ニブリムとして狙われることになる。
ゼインは決断した。
人生で最も辛い決断――身を引き、自らの名声と教え子たちの信頼を犠牲にすること。
「アルカムを納得させなければならない。
彼らが破滅の道を歩んでいると信じ込ませるのだ。
彼らには、強大な力を持ち、疑念を植え付ける『悪しき導き手』が必要だ」
こうして、ゼインは教え子たちをアリオン・ペリウス(幻惑)に託した。
アルカムに複雑な幻影を作らせ、冷酷な代わりの父親を演じさせた。
それは注意を逸らすために必要な仮面だった。
アリオンが彼らを厳しく鍛え、裏切られたという思いを植え付けるだろう。
しかし、その過酷な訓練こそが、後に訪れる「巨大な嘘」の衝撃に耐えるために不可欠なのだとゼインは知っていた。
ゼインの密かな任務は、ニブリムの世界の深淵に潜り込み、情報を集め、(敵ではない)ディストラの中心に安息の地を築くことだった。
ゼインの紅い瞳が突如として開いた。
肉体的に目覚めたわけではないが、その意識は明晰さを取り戻していた。
成功だ。
アルカムは彼らをディストラへ導くことに成功したが、彼らを支配することには失敗した。
レンジとオリエルは必要な過酷な訓練を積み、今や見事な連携を見せる防衛ユニットとなっていた。
そして何より、ゼインが予想だにしなかった「純粋なる灰」の継承者、カイルンの存在がある。
自分を背負って息を切らすレンジを感じ、包囲網が狭まっている機械的な振動をゼインは察知した。
(誓いは破られていない、我が子らよ。
お前たちは怒りを浄化することに成功した。
今は、「灰」を信じるのだ。
カイルンを信じろ。
彼こそが「能動的な忘却」を知る唯一の者……。
そしてハナを守り、我ら全員を救う「種」なのだから)
ゼインは、自分の役割が一時的に終わったことを悟った。
今、リーダーシップは「紅蓮の炎」ではなく、「銀の灰」に託されたのだ。
レンジの背中の上で、ゼインは確かな重みとして存在していたが、同時にディストラを崩壊から守った「紅の封印」そのものでもあった。
レンジはアルカールの門へと突き進む。
カイルンはその手に半分に割れた鍵を握り締め、未知なる一歩へと踏み出す準備を整えていた。




