第46話:操られた憤怒の脈動
音響の幻影が霧散し、目の前に開かれた暗い通路へとチームは突き進んだ。
傷を負いながらもゼン・ヴァリオが先導し、カイルン、レンジ、オーリエルがその後に続く。
彼らの目は、わずかな紅い光さえも飲み込む深い闇に慣れ始めていた。
この通路――「先祖の脈動」は、ヴァル・オリン城で見覚えのあるどの回廊とも異なっていた。
燃え盛るディストラの岩石でも、ジリックの輝く金属板でもない。
古い泥と錆びた金属が混ざり合い、頭上の「瞬きの街」で激化する戦いの熱気が地響きとなって伝わってくる。
ここの空気は重く、オゾンと錆、そして絶望の臭いに満ちていた。
ゼンは血の流れる紅い傷跡を押さえながら、困難な足取りで進む。
しかし、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
「カイルン、この通路は最初の『深紅の民』が造ったものだ」
ゼンが火花が散るようなかすれた声で囁いた。
「防衛のため……ディストラの子供たちを狂気から守るための避難路だった。
だが今や、城の中枢へ通じる唯一の道だ」
「まだ安全なの?」
オーリエルが周囲に冷たい湿気を纏わせながら尋ねた。
「ディストラに安全な場所などもう存在しない」
ゼンは苦々しく答えた。
「アルカム自身はこの通路を侵食できないが、イネルが残した旧式の防衛システムを操ることができる。
火の支配者たちも愚かではない。エネルギーの逆流を防ぐための物理的な防衛機構をここに仕掛けていた。
だが、眠っていたそれらをアルカムが呼び覚まし、弄んでいるのだ」
ゼンが不意に足を止め、手を上げた。
「……始まるぞ。これは幻影ではない、物理的な防衛だ。
だが、幻影によって増幅された『憤怒の防衛』だ」
急な角を曲がった先で、チームは少し開けた空間に出た。
そこには高さ5メートルほどの巨大な金属塔がいくつもそびえ立っていた。
歳月を経て錆びついたその塔は、さながら据え付けられた兵器のようだった。
突然、塔が明滅し始めた。
ディストラの火のような統制された炎ではなく、
粘り気のある液体のような炎の弾を盲目的な暴力をもって壁や床に撒き散らし始めたのだ。
操られた憤怒が、混沌となって現れていた。
「イネルの旧式防衛塔だ!」
ゼンが叫び、素早く後退した。
「本来は圧力を調整するためのものだが、アルカムが偽の信号を送り、暴走させている。
私たちを押し潰そうとしているんだ。
装置そのものに宿る『憤怒の意志』を止めなければならない!」
カイルンは即座の判断を迫られた。
この炎は本物だ。銀の灰だけでは、物理的に燃え上がる火を消し去ることはできない。
「レンジ! オーリエル! 二重盾の陣形だ。
ただし今回は攻防一体でいく!」
カイルンの決然とした声が響き、手の中の灰の石が淡い銀光を放った。
「レンジは機構の無力化を。オーリエルは急速冷却を!」
炎の弾がレンジに向かって放たれた。
雷の末裔は本能的に動き、凝縮された青い閃光へと姿を変える。
レンジは塔を破壊するための強力な雷撃ではなく、
精密に制御された二条の細い電撃を放った。
一条は空中の炎の弾を直撃し、轟音とともに爆散させた。
もう一条は、塔の基部にある中央制御点へと向けられた。
レンジは目を閉じ、偽りのアリオンと真実のゼンの両方から学んだ技術、
「制圧の雷」を繰り出す。
それは機構を破壊するのではなく、
高電圧のパルスによって内部に電気的ショックを与え、
一時的に沈黙させる技だ。
「殺すな……憤怒に、己を忘れさせろ!」
レンジは自分に言い聞かせた。
電撃が中央を貫いた。
高いキーンという音が響き、炎の弾の射出が止まった。
しかし、内部に溜まった憤怒が電気的に刺激され、
塔は激しい火柱を上げて爆発した。
「冷却しろ!」カイルンが叫ぶ。
オーリエルは準備を整えていた。
彼女を包んでいた水の力が前方へ押し出される。
それは単なる水流ではなく、超低温の「湿気」だった。
オーリエルは爆発する塔の周囲に瞬時に極寒の冷却フィールドを形成し、
凄まじい熱を吸収した。
爆発の威力は封じ込められ、チームは火傷一つ負わずに済んだ。
数秒後、塔は煙を上げる骸となり、動かぬ残骸と化した。
「よくやった!」
壁に寄りかかったゼンが言った。
「冷却がなければ、物理的な衝撃で全員押し潰されていただろ。
カイルン、この防衛線を突破しろ。
今や灰の役割は『殺す』ことではなく、
他の力を『調和』させることにある」
カイルンは自らの新たな役割を自覚した。
もはや単なる力の行使者ではなく、浄化のための「戦術指揮官」となったのだ。
進むにつれ、火の塔の数は増え、通路には熱気と混沌が渦巻いた。
二つ、三つと塔を無力化していく。
三つ目の塔はさらに強力で、炎を鋭い剣のように放射していた。
『これはイネルの純粋な火だ。だが、ひどく怒っているぞ!』
カイルンの脳内でザールが警告した。
カイルンは手を上げ、灰の石に意識を集中させた。
灰を放つのではなく、「能動的忘却」を用いて機構の「意志」を読み取った。
装置がエネルギーを制御できずに「憤怒」し、
その怒りがさらなる炎を吐き出させているのを感じ取った。
「レンジ! 中央ではない、壁を狙え!
金属壁の周囲に小さな電気回路を形成するんだ!」
カイルンが大声で命じた。
レンジは一瞬戸惑ったが、すぐに指示に従った。
塔の外壁に沿って制御された雷を走らせ、周囲に電荷を広げた。
「オーリエル! 水を!」
オーリエルの湿気が塔へ押し寄せた。
冷却のためではなく、電気を導く「伝導体」として。
水霧が雷を塔全体へ拡散させ、電撃の網を作り出した。
第47話:ファイア・ハート ― 決戦の時
結果は劇的だった。
塔は爆発することなく低い唸り声を上げ、炎はふっと消えた。
塔は憤怒する能力そのものを完全に失ったのだ。
「アルカムの信号から隔離したのか!」
ゼンが誇らしげに言った。
「雷と湿気が合わさり、障壁となった。
幻影の信号が届かなくなったんだ」
彼らは新たな教訓を得た。
ニブリムの力が規律をもって融合すれば、
物理的な標的であっても「罪の意志」を封じ込めることができるのだ。
カイルンは冷徹な分析眼でチームを導き、前進を続けた。
ある塔は停止させ、ある塔にはレンジとオーリエルの隔離を経てから
微かな「忘却の灰」を注ぎ込み、無秩序な意図を「忘れさせ」、休止状態へと戻した。
一歩進むごとに、このチームは確信を深めていた。
カイルンの指揮の下、七つの大罪を破壊的な力ではなく、
「戦術的な道具」として扱えることを。
長い通路の終点に辿り着いた。
目の前には、巨大で深い淵が開けていた。
そこは天井の見えない広大な大広間だった。
底からは、想像を絶する熱気とともに、赤とオレンジに揺らめく液体の光が昇ってきていた。
ゼン、カイルン、レンジ、オーリエルは石の足場の端に立ち、その光景を見下ろした。
遥か深淵の底には、広大な「海」が広がっていた。
それは水の海ではない。流動する「溶岩の海」だ。
単なる溶融物ではない。
ディストラのエネルギー源であり、潜在する憤怒の源――「ファイア・ハート(火の心臓)」である。
溶岩は激しいオレンジ色に輝き、定期的に大地を揺らしながら炎の奔流を噴き上げていた。
そしてその煮えたぎる海の縁には、火の鎧を纏ったイネルの精鋭ニブリムたちが立っていた。
彼らは盲目的な怒りに瞳を燃やし、解せぬ命令を叫びながら、
自分たちの存在の根源である憤怒の海を見守っていた。
「……これだ」
ゼンは痛みを忘れ、低く深い声で言った。
「ヴァル・オリンの心臓……憤怒の源泉だ。
あそこにいるのはイネルの忠実な兵士たちだが、
アルカムによって狂わされ、互いに争わされている」
ゼンは溶岩に向かって手を伸ばし、
それから挑発的な光を宿した紅い瞳でカイルンを見た。
「脈動の中の憤怒は隔離した、カイルン。
次は源流だ。ディストラの心臓そのものに、『活性の灰』を打ち込め」
カイルンは、これまでの人生で直面したすべての怒り、
偽りのアリオンが与えた苦痛、そしてアリシアとネロに託された希望が、
この瞬間に収束するのを感じた。
「……何をすればいい」
カイルンが尋ねる。
彼の紅い瞳には、眼下の溶融する炎が映り込んでいた。
「憤怒に対し、『絶対的な破壊の必要性』を忘れさせるんだ」
ゼンが言った。
「それが能動的忘却の真髄だ。
消火するのではない、意志を浄化しろ。
灰にディストラの怒りを吸収させ、
それを静かなる力へと変貌させるのだ」
カイルンは頷き、淵の際へと進み出た。
彼の手の中にある灰の石は、今や浄化の準備を整え、
銀色の輝きを激しく放っていた。
決戦の時が、ついに訪れた。




