第四章:私の顔を持つ者は誰か?
朝、あの文はまだそこにあった。ニーロのベッドの横の壁に、はっきりと刻まれていた。色あせることも、ひび割れることもなく、まるで壁と共に生まれたかのように。
アリシアは床に座り、その言葉を見つめていた。カイレンはノートをめくっていた。そこには恐怖や困惑の中で綴られた印や言葉が並んでいた。
アリシアがゆっくりと言った。
「もし私たちの誰かが……出ていったのではなく、入ってきたのだとしたら……それはどういう意味?」
カイレンは、壁が聞いているかのように小さな声で答えた。
「たぶん、僕たちが見たものは外から来たんじゃない……僕たちが気づかずに越えたのかもしれない。」
重たい沈黙が部屋を包んだ。
その時、ニーロがまるで夢の中から声を切り取ったように言った。
「もう一度カイレンを見た……でも、あれは彼じゃなかった。」
カイレンは不安そうに見つめた。
「どうして?いつ?」
「僕が寝ている時、足元に立ってた……顔を覗き込んで、何かを囁いた……嫌なことを。」
「何て言った?」
子どもは沈黙した。
そして、ささやいた。
「外側じゃなく、内側からお前を見ている、って。」
アリシアは息を呑んだ。彼女はカイレンを見た。カイレンは呆然とした表情を浮かべ、小さな鏡のある部屋の隅へと歩いた。
彼はしばらくの間、鏡の前に立っていた。
そして、恐ろしいほど静かに言った。
「もし僕に似た誰かが……僕の名前で歩いていたら……僕はどうやって自分が自分だと分かるんだ?」
アリシアは答えた。
「疑い始めたら……もう自分を失い始めてるのよ。」
ニーロが近づいて、ベッドの脇にあった小さな手鏡を取り、カイレンに差し出した。
「これを自分に渡して……もし受け取らなかったら、そいつは君じゃない。」
外では、状況が悪化していた。
町の噂が広まっていた。ある女性は、2年前に死んだ娘が通りを歩いていたのを見たという。ある子どもは突然消えたかと思えば、戻ってきた時には未来の一日について書かれた奇妙なノートを持っていた。毎日、新しい言葉が家々の壁に現れ、前日の言葉は消えていった。まるで壁が言葉を呼吸しているかのように。
カイレンはノートに書いた。
> これは文章じゃない……メッセージだ。誰も書いていない。町そのものが目撃したことを書いているんだ。
夜になると、「それ」が現れた。
カイレンは建物の裏路地にいた。手にはランプと手鏡を持っていた。長い影が壁に映ったのを見た。
それは、ゆっくりと暗がりの角から現れた……同じ体、同じ顔、同じ服。だが、その目には光がなかった。空っぽで、見ることすら知らないようだった。
カイレンは鏡を差し出した。
影は動かない。
「取れ」とカイレンが言った。
反応はない。
一歩……さらに一歩近づく。
そして、影は空ろな声でつぶやいた。
「君は残ろうとしている……でも彼らは僕を選んだ。」
「彼らって誰だ?」
「見えない者たち……君が生まれた時に名前を忘れた者たち。」
突然、カイレンはツルハシを持ち上げたが、影は動かなかった。
そして影は言った。
「君がしたことは……再び起きる。でも、それは君のものではない。」
その瞬間、影はひび割れ始めた。
体が灰のように砕け、空中に舞い上がった。冷たい匂いが残った……まるで「不在」には独自の香りがあるかのように。
カイレンは中に戻り、凍りついた表情で言った。
「見たよ。あれは僕だった……でも、生きてなかった。」
そしてニーロを見て言った。
「彼だけじゃない……もっといる。僕たち一人ひとりに、崩壊の瞬間を待ってる影がいる。」
アリシアはじっと彼を見て、言った。
「これからどうするの?」
カイレンはノートを見てから、窓の外を見た。外の壁の色が灰色から濃い赤に変わり始めていた。まるで町全体が反転の準備をしているかのようだった。
彼は言った。
「逃げない。待たない……誰かに書かれる前に、僕たちが自分の物語を書くんだ。」
ノートの最後のページに、誰も書いていないはずの新たな文が浮かび上がっていた。
> 顔が消えても、名前は忘れるな。
翌朝、目覚めたとき、朝は来ていなかった。
空は厚い黒い粉塵に覆われ、太陽は昇ることを恥じているようだった。町全体が苦しげに息をしているようで、いつも通り騒がしかった路地からの音も完全に消えていた。
カイレンはゆっくりと部屋を出た。ニーロとアリシアも後に続いた。
周囲のドアは開いていたが、誰も見えなかった。家は空っぽのように感じられた。食べ物も、音も、足跡さえもない。
「みんな……どこへ行ったの?」アリシアがささやいた。
誰も答えなかった。
カイレンは向かいの壁を指差した。そこには、深く刻まれた新たな文があった。
> 見られぬ者は、消される。
ニーロが突然言った。
「奴は彼らを消している……一人ずつ。」
カイレンは彼を見た。
「誰が?誰がそんなことを?」
子どもは冷たい声で答えた。
「顔のない者たち。」
彼らは墓場のような静けさの中、路地を進んだ。交差点で、奇妙なものを見つけた。無数の足跡が町の中心へ向かっており……その先で消えていた。
まるで、歩いた者たちはたどり着いたのではなく、途中で溶けてしまったかのようだった。
突然、空気が震えた。かすかな音が広がった。それは囁きのようだったが、人間の囁きではなかった。壁のひびの奥から、理解できない言葉が聞こえてきた。まるで壁が皮膚の下で話しているかのように。
アリシアがカイレンの腕をつかんだ。
「ここにはもういられない。」
カイレンは答えた。
「でも、今は出ることもできない……」
ニーロは震える声で言った。
「きっと、誰もこの町から出たことはない……出た者は、戻ってこないんだ。」
その夜、再び赤い光が現れた。
だが、今回は一つではなかった。
町の四隅に、四つの光が現れた。まるで彼らを包囲する目のようだった。そして、煙が扉の下から、隙間から、割れたタイルの間から忍び込んできた。
そして、声が聞こえた。
> 「排出を開始せよ。」
> 「目標:第一段階の終了。」
三人は建物の中へ駆け込み、窓をすべて閉め、濡れた布で扉を塞いだ。
カイレンはつぶやいた。
「奴らは僕たちを探してるだけじゃない……何かを試してる。」
アリシアはかすかな声で言った。
「もしかして……記憶を抜いてるの?」
彼は驚いて彼女を見た。
「どういう意味?」
彼女は答えた。
「人々……町……生き残った者は何も覚えていない。きっと……それが彼らのやり方。」
ニーロが言った。
「物語を消して、代わりに書き直すんだ。だから人々は、この地獄にいることに気づかないまま生きてる。」
カイレンはノートを握りしめ、急いで書いた。
> 「物語を残さねばならない。何があっても。真実を語るのは、僕たちしかいない。」
> 「誰も読まなくても……僕たちは書き続ける。」
裏路地、彼らの建物の正面の壁に、新たな文があった。
> 「名前が消えても、書いた者は残る。」