失われた飯と少年
蒼く光る満月の下にある山の中腹で、その戦闘は起こっていた。
夜の市場で手に入れられる、パーティー用のかなり高い牛肉。金貨十五枚という、銀貨に替えると千五百枚というこの世界では破格の値段である肉だ。
普通に働けば銀貨百枚程度貰えるので、生活費を使わずに一年と少し働けばやっと帰るほどの金額の物を、フォウルは、食べたのだ。
「ああぁぁあぁああああぁぁ!!!」
そんな肉を食べられてしまえば、パールも情緒が不安定になる。怒るように叫んでいるが、力なく叫んでいるようにも聞こえる声を上げ、怒り狂ったように顔を赤くし、悲しむように涙を流す。
そして、そんな感情に任せるようにフォウルへ攻撃を行っているのだ。
糸を指から出し、巧みに操りフォウルの下へ糸が斬りかかってくる。地面に亀裂を入れ、土煙を立てながら斬りかかってくるせいでフォウルには避けられてしまっているが。
フォウルはついさっきまで拘束されていたので、得物を持っていない。代わりと言っては何だが、自身の腕を途中で砕き骨を引っこ抜いて簡易的な剣として使用する。剣で斬りかかるというより、棍棒で殴る形に近いが。
少し理性を取り戻したのか、パールは戦い方を変えるように、糸をまとめた柱のようなものを何本か建てる。フォウルは右手に持っていた剣代わりの骨を持ち、先に残っている手を重しとしてパールの下へ投げる。
パールはその手と骨の塊の前で左手を払うと、突如としてその塊が、サイコロ状になり、ボロボロと落ちる。
「増えろ!」
フォウルがそう叫ぶと、落ちていった肉塊がボコボコと動き始め、瞬時に人の形を成す。
パールは泣き止んだ後に訪れる静寂が身を包んでいるのか無言のまま、その人の形をした大量の肉塊をさらに分解する。そして、再度人の形を形成しないよう、右手を軽く払い、糸でその肉塊を包み、繭を作る。その繭を糸で持ち上げ、フォウルに投げる。
フォウルは掌底で繭を弾くが、繭の糸が数本、腕に巻き付く。繭の糸が増えたように、繭から糸がどんどん生えるようにあふれ出し、右手から肘にかけて完全に包まれてしまう。
その糸がさらに増えていき、肩まで覆う勢いに達したとき、フォウルは慌てるように左指を噛み千切り、スイカの種を飛ばすようにどこかへ飛ばす。それが見えていたパールは飛んでいった方向の指を糸で掴み、繭にして包む。そうして彼の体も完全に覆われた時。
飛ばされた指は数本あったのか、人の形へと変化した小さな指の破片が、フォウルへと変化する。
今までは体しか形成しなかったが、今はさっき着ていた服までもが再生している。パールは追撃に糸を斬撃のように飛ばして斬りかかるが、体を巧く動かし、隙間をくぐられてしまった。
フォウルは走ってパールの下へ向かう。一瞬で距離を詰めたが、糸でバラバラに分解されてしまう。
しかし、その隙間を埋めるように肉がガムのように間で伸び、元の形状に戻す。フォウルは彼女の顔面目掛けて殴り掛かったが、パールの姿は瞬時に消える。上に跳んでいったように見えたので、見上げるが、そこには山よりも大きく映る満月と、その中心で立っているパールが。逆光に照らされている真っ黒な体と、彼女の足元に広がる数本の糸。
パールは真っ黒の体に映っているが、目元が緑色に光っている。
「蜘蛛の牙」
その言葉と同時にフォウルの体に数十、数百本の糸が巻き付き、体を固定する。
「そのまま寝ろぉ!」
気づけば目の前にいる涙をダラダラ流したままのパールに頭を掴まれると、彼の目の前は真っ暗になった。
※
「───ってことがあったんですよぉ!!」
「うーん……でも目の前で食うようなお前が悪いだろ」
「そんなぁ!!弁償もんだぁ!!」
「発想はいいけど、あんたってそういうところ大雑把よね」
「なんで二人ともそうやってぇ!!」
パールがデルスとティナに何かを説明しているが、今にも泣きそうな声を上げて抗議している。つい先日の肉の話だ。その話に、フォウルも目を覚ます。
「おっ、目が覚めたな」
「ん……デルスさん」
フォウルは未だに糸が巻き付いているため、身動きが取れない。何なら多方向から固定しておらず、吊るされているため、ハンモックにいるときのように左右に揺れている。
その奥でティナが笑いをこらえているが、それはフォウルがミノムシみたいに木に吊るされているからだ。
「今、糸斬るからな。」
そう言ったデルスはナイフを取り出し素早く腕を振る。糸に引っかかることもなくフォウルの体を傷つけることもなく、彼の体に密着しているであろう糸も含めて全ての糸を切った。
「肉美味かったか?」
「うん、まぁおいしかった。お腹減ってたし。」
「そうか!それは良かったな。」
わしゃわしゃとフォウルの頭をデルスは撫でる。その光景を見てパールは頬を膨らませ地団太を踏んでいる。
「ただ、まぁあの肉はお前のためじゃないらしいからな。いつかパールにそのお肉奢ってやりなよ。」
「えぇ~……いいけども……」
「今じゃないからな。そう構えなくていいんだ」
「ちょっとぉ!!何でフォウルにはそんなに甘々なの!?デルスぅ!!」
「え……だってお前もう大人だろ?子供には優しくして、大人には厳しくするのが当たり前の世界じゃないのか?」
僕だってまだ子供だよ!と言いたいばかりにパールは頬を膨らませた後、そのまま木の上に移動し、枝に乗っかってぐた~ッとなる。要するに不貞腐れたのだ。
「よっしゃフォウル、特訓の続きだ。今日から本格的な武器を使うぞ。」
「? 今まであの剣で練習してたけど、あれじゃダメなの?」
「ダメなんだ。フォウルが今後使う武器はこれだ。」
「これなんて言うの?」
「『ニホントウ』っていう特殊な剣だ。」
その剣はフォウルが使っていた両側から斬れる普通の剣とは違い、片方の向きからしか切れず、三日月のような刀身をしているなんとも歪な形をしている。
「刃が片方しかない!あの剣より弱そう!」
「いいや、このニホントウってのは変な形をしているけども、切れ味が抜群だ。それに、この形の剣は刃を研ぐことはできるけども、ラースっていう種族の人しか新たに創れないから、今じゃ滅多に見られないものだ。」
「なるほど……」
「それに、ラースの奴らは仕掛けを作るのが好きなのか、魔力を流すとほら。刃に血管みたいなものが浮き出る。ちなみにこれの効果はよく知らない。使っているうちに見つけるだろうから」
「中途半端じゃない……?というか珍しいって言ってたけどもどうやって手に入れたの?」
「何日か前に貰った依頼で潜った迷宮の最深部にあった。ギルドにも許可を得たから大丈夫だ。ちなみに所有者はお前の名前で書いたから受け取りは断れないよ」
「そんなぁー」
そんな会話が続き、また特訓が始まる。