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毒と薬は使いよう〜辺境の毒りんご姫は側室候補となりました

作者: 和島 逆

 ヘイスター辺境伯令嬢シャノンは、領民たちから「姫様」と呼ばれていた。

 辺境の地に生きる人々にとって、遠く王都に住む王族など空想上の生物と全く同じ。彼らにとっての「姫様」とは王族ではなく、領主の一人娘であるシャノンを指す言葉だった。


 そしてそのシャノンには、たいそう物騒な異名が付いていて――……


「――辺境の、毒りんご姫?」


 不機嫌そうに眉をひそめる男に、使者はビクッと肩を跳ねさせた。


 大国のほぼ中央に位置する王都、荘厳なる王城の一室である。

 執務机で頬杖をつくのは、この大国を()べる国王。即位してまだたった半年だが、そうとは思えないほどの威圧感を備えていた。


「……はい。ランベルト陛下」


 震える声を絞り出し、使者がうやうやしく頭を垂れる。


「シャノン様はご誕生のおり、天より希少な『異能(ギフト)』を授かりました。ただの果物であるりんごに毒を付与できる能力です」


「……ほほう? りんご限定でしかも毒とは、随分と変わり種の異能(ギフト)もあったものだ」


 男――ランベルトは皮肉げに唇をゆがめた。


 異能(ギフト)を持つ人間は希少だった。

 ある者は癒やしの力を、ある者は植物の成長を増進させる力を、そしてまたある者は動物と意思疎通できる力を。

 天から与えられる、と言われるだけあってそのどれもが現実離れしていて、かつ人々の生活の営みに役立つものだった。にも関わらず、シャノンの異能(ギフト)は『毒』であるらしい。


 むっつりと黙り込むランベルトを見て、使者は大汗をかきながら懸命に愛想笑いを貼りつける。


「申し訳ございません、陛下。ですがヘイスター辺境領から陛下の側室候補となれるのは、『毒りんご姫』をおいて他におらぬのです。我が娘ながらとても陛下には相応しくないと、我が主ヘイスター伯は今回のお話を辞退させていただきたく」


「構わん」


 使者の長口上をさえぎって、ランベルトはそっけなく告げた。

 使者は一瞬あっけに取られると、みるみるうちに顔に喜色を浮かべた。「では、そのように」と一礼し、いそいそと退出しようとする。


 ランベルトがにやりと笑った。


「構わんから、連れてこい」


「…………は?」


 笑顔のまま硬直する使者を、ランベルトは目を細めて眺める。

 自身の発言が使者に染み入るのを待ってから、再び有無を言わせぬ口調で告げた。


「辺境の毒りんご姫、シャノンを我が側室に迎え入れよう」



 ◇



「シャ、シャ、シャ、シャノォォォォンッ!!」


「……あら。何事ですか、お父様?」


 自室の扉をノックもなしに開け放った父、ヘイスター伯をシャノンは無表情に振り向いた。その手の中には、真っ赤に熟れたみずみずしいりんごが一つ。


「シャシャシャシャノン、おおお落ち着いて聞きなさい」


「お父様がまずは落ち着いて。りんごでもいかが?」


「ええい実の父親に毒りんごを勧めるでないッ!」


 一喝して、ヘイスター伯はがっくりと膝を折る。

 シャノンは興味を失ったように父親から目を背けると、再び手の中のりんごに視線を落とした。色白の頬が薔薇色に輝き、うっとりした恍惚の表情を浮かべる。


「ああ。なんて深い赤なのかしら……」


「なぜだ……? なぜこんな珍妙な娘を、ランベルト陛下はお望みになるのだ。単なる気まぐれか、それとも中継ぎ王としてヤケクソになっておられるのか。ハッ、もしや辺境への嫌がらせという可能性も……!?」


「あなたはどのクッションがよろしくて? うふふ、そうなのね。この金色のがよろしいの。お、ま、せ、さん?」


「毒りんごとばっかり会話してないでお父様の話も聞いて!?」


 ヘイスター伯がわあっと泣き伏した。


 シャノンは小さく首をひねると、りんごを金色のクッションの上に置いた。何度も角度を変えておさまりのいい位置を探し、やがて満足したみたいに大きく頷く。


 ようやくりんごから意識を離し、うずくまって泣く父親にそっと寄り添った。


「大丈夫ですわ、お父様。改めて聞くまでもなく、今のご発言から大方の事情は知れました」


「え、本当?」


 ヘイスター伯が泣き濡れた顔を上げる。

 シャノンは無表情のまま、ハンカチで丁寧に父親の涙と鼻水をぬぐってやった。


「はい。ランベルト陛下、というのは亡くなられた先王陛下の弟君ですよね。本来ならば先王陛下のご子息、エディ王子が王位を継がれるはずでした。が、エディ王子はまだたったの九歳。そこで、中継ぎの王としてランベルト陛下が即位されたわけです」


 エディが十八歳になって成人するまでの、期間限定の王というわけだ。

 ゆえに正室は迎えず、側室候補を探しているという噂はシャノンも聞いていた。中継ぎの王とはいえ相応しい身分の令嬢をと思えば、候補はそういくらもいないはず。


「わたくしも候補の一人だろうと予想はしておりました。よろしいでしょう。貴族の娘として生を受けたからには、政略結婚は避けられませんもの」


「お前は本当に、有能は有能なんだよなぁ……」


 肩を落とす父親を慰めて、シャノンはすっくと立ち上がる。

 無表情ながら瞳に闘志の炎を燃やし、部屋の中にずらりと並んだ愛しのりんごたちを見回した。無論、この子たちも全員王都に連れて行くつもりだ。


 ニィィ……と片方の口角だけを上げ、シャノンは笑う。


「全てわたくしにお任せあれ。行って参りますわ、お父様」


「なんでそんな悪人面で笑うの?」


 ヘイスター伯が力なく突っ込みを入れた。



 ◇



 王都。

 それは辺境とは大違いの大都会。


 馬車での長旅に疲れ切っていたシャノンだが、それをおくびにも出さずに優雅に降り立った。天高くそびえ立つ王城を、何の感慨もこもっていない瞳で見上げる。


 すぐに部屋へと案内され、長旅の埃を落とした。

 ドレスに着替えて陛下への謁見を願い出たが、それは叶わなかった。今夜はゆっくり休んで旅の疲れを癒やすようにとの言伝だけもらう。


「お優しいかたなのね。そのお心遣いが嬉しいわ」


 シャノンは無表情にランベルトに感謝を捧げると、休むのではなくまずは自室を整えることにした。

 長年こつこつと作り貯めた愛するりんごたちを、それぞれのクッションに置いて並べる作業に専念する。一つ一つ手に取って、ためつすがめつ眺めるものだから、作業は遅々として進まなかった。


 シャノンは悩ましげな息を吐き、指先で愛おしくりんごの表面をなぞる。


「ああ。なんて素晴らしいのかしら……?」


「ふん。毒好きな令嬢とは、やはりわざわざ呼び立てて正解だったようだな」


 不機嫌な声に、シャノンははっとして振り向いた。

 いつの間に入ってきたのか、扉に長身の男が寄りかかっている。端正な顔立ちに、艶めく黒髪。そしてその瞳の色は――


「まあ。なんて素敵な毒りんご色……!」


「毒りんご色って言うな。紅だ、紅」


 男が嫌そうに顔をしかめた。

 そうしてまた、彼も上から下までじろじろとシャノンを眺める。


 美しい令嬢だった。

 色白の肌に、輝く金の髪がこの上もなく映えていた。碧の瞳も、まるで宝石のように透き通っている。


 が、そんなことは男――ランベルトには少しも関係ない。


「さて。じっくり聞かせてもらおうか、『辺境の毒りんご姫』よ。毒の異能(ギフト)を、お前は日頃どのように扱っているのかを、な」


 しらばっくれるのは許さない、と男は口の端を上げて壮絶に笑う。


「気づいているだろうが、俺は国王ランベルトだ。反逆の意思ありと見なせば、お前をやすやすと処刑できる立場にある」


「まあ。お戯れを」


 シャノンは無表情にランベルトを見返した。

 部屋着のゆったりしたドレスの裾をつまみ、流れるように礼を取る。


「明確な証拠なくして処刑などしては、我が辺境領に宣戦布告するようなもの。それだけでなく、国内の貴族たちもあなた様を暴虐の王と反感を持つでしょう。そのような危うい橋を、中継ぎ王たるあなた様が渡れるはずもございません」


「ほう。どうやら阿呆ではないらしい」


 ランベルトはククッと嘲笑うと、ソファにどっかりと座り込んだ。ぽんぽんと隣を叩くので、シャノンもつつましく腰を下ろす。


「さて。質問に対する答えをもらおうか?」


「まず大前提として、わたくしは決して毒好きなわけではごさいません」


 シャノンが淡々と口にすれば、ランベルトが眉を上げた。

 強い視線に怯むことなく、シャノンはランベルトの美しい瞳を覗き込む。


「わたくしが愛でているのは、あくまでわたくしの作り出した毒りんごなのです。……どうぞご覧くださいませ、陛下。この濃い赤。そして深き茜色。そしてこちらのりんごは、透明感のある緋色」


 数々の毒りんごを指差して、シャノンがいかにも幸せそうにため息をつく。

 ランベルトは無言で毒りんごを見比べた。ランベルトの目からはどれも全く同じに見える。


「……いや、まあ色の違いは一旦置いておくとして」


 早々に白旗を揚げた。

 無表情ながら不満そうなシャノンを、鋭く睨み据える。


「――この毒りんごの致死量は、いかほどなのだ。そして実際、この毒りんごを用いて人の命を奪ったことはあるか?」


 シャノンは碧の瞳を大きく見開いた。

 絶句してランベルトを見つめ、ややあってふるふると首を横に振る。


「致死量などと、またお戯れを。この毒りんごに、他者を殺める力などございません」


「はあ?」


 ランベルトが間の抜けた声を上げた。

 シャノンは小さくため息をつくと、腰を上げて並べたばかりの毒りんごの前に立つ。よろしいですか、とランベルトを生真面目に見つめた。


「こちらの美しい朱の毒りんごは、食べた者を強制的に眠らせる力を持ちます。その名も『眠りんご』」


「眠りんご!?」


 はい、とシャノンは頷いた。

 そしてまた別のりんごを手に取る。


「こちらの緋色の子を食べた者は、たちどころに下痢をします。その名も『(くだ)りんご』」


 その他、ひどい便秘になる『詰まりんご』。

 際限ない食欲に見舞われる『腹減りんご』。

 楽しくなって笑える『のりのりんご』。

 気持ちが落ち込み、涙の止まらなくなる『もうこの世の終わりんご』。


 無表情のまま平坦な声で説明するシャノンに、ランベルトは頭痛が止まらない。


(俺は、一体どこで何を間違えた……?)


 毒りんごなどという物騒な異能(ギフト)を持つシャノンを、遠く辺境に置いたままにしておくのは国のためにならない。

 ランベルトは中継ぎの王だ。つつがなく役目を終え、平和な世を兄の遺児であるエディに渡す義務がある。


(そう考えたからこそ、不穏分子であるこの女を俺の側に置いて見張ろうと考えたのに)


 この毒りんごはアホみたいな毒しか持っていない。

 もちろんこれから実証実験はさせるが、国王であるランベルトを相手に、シャノンが無意味な嘘をつくとも思えない。自分は完全に読み違えてしまった。


 頭を抱えて後悔するランベルトを見て、シャノンが無表情に首を傾げる。


「……わたくし、明日にでも辺境に戻りましょうか?」


「なんだと?」


 顔を上げれば、思ったよりずっと近くにシャノンの美しい顔があった。

 思わず身を引くランベルトを、シャノンはじっと見つめる。


「そのご様子ですと、陛下は『毒りんご』の異能(ギフト)を持つわたくしを心配されて側室候補になされたのでしょう。決して毒として利用されるおつもりではなく、純粋に監視目的として」


「…………」


「陛下の思われていた毒とは違った以上、側室がわたくしである必要はないのでは? 取り消されるのであれば、今ならまだ充分に間に合います」


 淡々とした口調ながら、ランベルトに対する気遣いがにじみ出ていた。

 ランベルトは呆けたようにシャノンを見返し、少しだけ顔を赤くした。ごしごしと荒っぽく目元をぬぐい、勢いよく立ち上がる。


「保留だ」


「……は?」


 あっけに取られるシャノンを、ランベルトは怒ったように見下ろした。


「いかにアホらしい毒とはいえ、毒であることに変わりはない。あくまで側室()()として、しばらく城に滞在するように」


「……承りました」


 無表情ながらも、シャノンはその実ほっとしていた。

 今日到着したばかりだというのに、何週間にも及ぶ馬車の旅という苦行を繰り返さねばならぬのかと、内心では戦々恐々としていたのだ。


 シャノンがここにきて初めて顔をほころばせる。

 片方の口角を上げ、ニィィ、と笑った。


「どうぞ、これからよろしくお願いいたします。ランベルト陛下」


「なぜそのように悪人面で笑う?」


 ランベルトがとても嫌そうに突っ込んだ。



 ◇



「叔父上。それはもしや、病人を救う薬になるのではないですか?」


「薬だと?」


 ランベルトは目を丸くして、朝食の席で向かいに座る甥――エディに問い返した。


 エディはいかにも利発そうな少年だった。

 ランベルトと同じ髪と瞳の色をしているが、顔の造作は似ていない。彼は赤ん坊の頃に亡くなった母親に生き写しで、先王は彼を大層溺愛していた。


「はい。毒と薬は紙一重だと、教えてくださったのは他でもない叔父上ではありませんか」


 はきはきとしゃべる少年を、ランベルトは感心して眺めた。

 我が甥ながらなんと賢い。叔父馬鹿全開でそう考え、ランベルトは優しい眼差しをエディに向ける。


 ランベルトは医師だった。

 昔から王位を継ぐつもりなどさらさらなく、兄が存命の頃は国の医療水準を向上させるため精力的に活動していた。が、今は残念ながら医師は休業中だ。


「……久しぶりに、施療院に顔を出してみるか」


 眉根を寄せて独り言ち、ランベルトは腰を上げる。

 わくわくと見上げる甥に、苦笑しながら手を振った。


「お前は留守番だ。早く王位を継げるよう、しっかり勉学に励みなさい」


「はぁい……」


 エディはがっかりしたようだったが、それでも素直に頷いた。

 健気な子だ。父親を亡くしてまだ間もないというのに、次期国王として己の役目をまっとうしようと頑張っている。

 小さな頭をぐりぐりと撫で、ランベルトはシャノンの部屋へと急いだ。


 あれから連日のように聞き取りをして、ランベルトも随分毒りんごに詳しくなった。とはいっても、シャノンのように毒りんごの見分けまではつかないが。


「……はい。可愛い我が子たちを手放すのは心苦しいですが、断腸の思いで差し出しましょう」


 無表情なシャノンが珍しく目を潤ませて、つやつやと輝く毒りんごを包んでくれる。うっうっ……と嗚咽まで聞こえてきて、ランベルトはまるで自分が無体を働いているような気分になった。


「いや、あのな。その毒りんごは、うまくすれば人々を癒やす薬になるかもしれんのだ」


「まあ。この子たちが?」


 驚くシャノンに、ランベルトは説明する。

 不眠に悩む患者には『眠りんご』。

 下痢や便秘に悩む患者には『詰まりんご』、そして『(くだ)りんご』。

 食欲不振ならば『腹減りんご』というように、だ。


「『のりのりんご』や『もうこの世の終わりんご』は?」


「少量ならば疲れを癒やしたり、鎮静効果も期待できるかもしれないな。まあ、これからの実験次第か」


 そのままの流れでなんとなくシャノンも付いていき、二人は馬車で施療院へと向かった。

 到着した施療院は思いのほか立派な施設で、白を基調として清潔感にあふれている。ランベルトの既知の医師たちは二人を大歓迎して、毒りんごにおおいに興味を持ってくれた。


「ほほう……! では、このりんごは永遠に腐ることはないのですね?」


「シャノン様は実際にこちらを口にされたことは?」


「加工したら効能は変わりますか? 例えばすりつぶしたり、はたまた煮詰めてジャムにしたり」


 一斉に質問攻めにされ、シャノンは目を白黒させた。

 ぽっと頬を上気させ、一つ一つの質問に丁寧に答えていく。


「そうです。丸のままでも切り分けても、この子たちは変色もせずみずみずしいままなのです」


「幼き頃は、あまりの美しさに何度も口にいたしました。ですが一口ばかりで、いつも心配した父から取り上げられてしまいましたわ」


「寝ずに仕事する父を心配して、こっそりりんごケーキにして食べさせたことがこざいます。父は糸が切れたように眠り込み、翌朝にはさっぱりした顔をしておりましたわ」


 シャノンはとても嬉しかった。


 これまで気味悪がられるばかりだった毒りんごが、初めてこれほどまでに求められているのだ。うきうきと気持ちが上向いて、毒りんごを増産しようと心に決める。


「そういえば、毒りんごはどうやって作るのだ?」


「簡単です。りんごを両手で包み込み、祈りを捧げるだけ。三秒もあればできます」


「……ならもっと快く手放してくれよ」


 ランベルトが疲れたように肩を落とした。



 ◇



 『毒りんご薬計画』は順調に進んだ。

 施療院の医師たちは己を実験材料にして、日々研究を重ねていった。その甲斐あって、毒りんごの用法・用量もしっかりと明文(マニュアル)化することができた。


「ご覧ください。本日旅立つ毒りんごたちです」


「可愛い我が子の出荷だな」


「せめてお嫁入りとおっしゃってくださいませ」


 軽口を叩くランベルトに見送られ、今日もシャノンは施療院に向かうことにする。

 ランベルトは王様業に忙しく、なかなか施療院に顔を出せない。それでも毎日欠かさず見送ってくれる彼に、シャノンは無表情ながら感謝していた。


「あのぉ……」


 馬車に乗り込もうとした瞬間、背後からためらいがちに声を掛けられる。

 物陰からひょっこり顔を覗かせたのは、十に満たないばかりの少年だった。エディ王子だ、とシャノンはすぐに気がつく。


「はじめまして。わたくしはシャノン・ヘイスターと申します」


「は、はじめまして……。エディ、です」


 真っ赤になりながら、エディもぎくしゃくと挨拶を返した。そのままぽうっとなってシャノンを見上げる。


(すごく、綺麗なひと……)


 シャノンはシャノンで、興味深くエディを観察していた。


 ()()堅物のランベルトが、この王子を溺愛しているのは知っていた。シャノンは今では毒りんごの納品に生きがいを感じ始めていて、このまま王都にとどまりたいと考えていた。

 己がランベルトの側室になれるとは到底思えないが、毒りんご製造担当として王城に就職するのはどうだろう? 未来の王であるエディに気に入ってもらえれば、ランベルトに口添えを頼めるかもしれない。


 シャノンはニィィ……と片方の口角を上げて笑う。

 途端にエディがぱっと顔を明るくした。


「わあ。シャノン様は笑顔もとっても可愛らしいのですね!」


「まあ。わたくしなど、殿下の足元にも及びませんわ」


 お世辞ではなく本心から、シャノンは熱を込めて言う。

 エディの瞳はランベルトと同じ毒りんご色。出会ったばかりだというのに、シャノンは彼に親しみを感じ始めていた。


「わたしくはこれから施療院に、我が子たちをお嫁入りさせに行くのです。よろしければ殿下もご一緒にいかがですか?」


「我が子、たち? お嫁入り……? ああ、毒りんごの納品ですねっ。はい、喜んで!」


 少しだけ考え込んだエディが、すぐに答えにたどり着く。利発な王子だ、とシャノンは感心した。


「では、共に参りましょう」


「はいっ」



 ◇



 シャノンとエディは急速に親しくなった。

 施療院の慰問も兼ねて、エディも毎回毒りんごの納品に付いていくようになった。明るく素直なエディは大人気で、患者だけでなく医師や看護師も大喜びだった。


 エディの勉強の時間には逆にシャノンが付き添い、難しい問題はシャノンが噛み砕いて説明してやった。

 シャノンののんびりした気質は人に教えるのに向いていて、エディはぐんぐん伸びていく。いつの間にやら、二人は四六時中一緒にいるようになった。


 ランベルトは内心、それが面白くない。


「我が側室候補殿は、今日も俺を放って王子と逢引していたのか?」


 夕食の席で(エディがねだるものだから、最近ではシャノンも毎日食事を共にしている)、ランベルトは皮肉な笑みを彼女に向ける。


 シャノンはつつましく口元をナフキンでぬぐうと、あっさり頷いた。


「はい。エディ殿下と共にあることは、わたくしの喜びであり楽しみでもあるのです」


「だ、だめですよシャノン姉さまっ」


 エディが慌てたようにシャノンをいさめる。

 いつの間にシャノン「姉さま」になったのか。ランベルトにはこれも面白くない。


 大人げなくむくれるランベルトをよそに、エディはしかつめらしくシャノンに言い聞かせる。


「よろしいですか、姉さまは叔父上の大切なひとなのですよ? 間違っても叔父上の前で、僕を優先してはなりません。叔父上がヤキモチを焼いてしまうでしょ?」


「んな……っ!」


「叔父上。男らしく素直になってください」


 エディが片方の口角だけを上げ、ニィィと笑う。いつの間に、いつの間にこいつらは同じ笑い方をするようになったのだ!


 ランベルトが言い返すより早く、シャノンが生真面目に頭を下げる。


「ランベルト陛下がわたくしを想うことなどあり得ませんが、確かに殿下のおっしゃる通りでしたね。陛下の前で他の殿方を優先するなど、側室候補としての自覚に欠ける振る舞いでございました。申し訳ございません」


 こうも丁寧に謝罪されてしまっては、いつまでも一人で怒っているわけにはいかない。

 ランベルトは唇をひん曲げたまま、「ふん。わかったなら今後はもう少し俺にも構うように」と不機嫌に付け足した。言った瞬間、言葉選びを間違えた気がした。


「いやっ、ではなくて!」


「承知いたしました。お任せくださいませ」


 シャノンが力強く請け負って、ニィィと笑う。

 いつもの悪人面なはずなのに、なぜか赤くなってしまうランベルトであった。



 ◇



 それからは有言実行、シャノンはランベルトにも時間を割くようになった。

 シャノンは有能でよく気がつき、ランベルトの執務も手助けしてくれる。ランベルトは内心ではシャノンに感謝していたが、なかなか素直に伝えられずにいた。


 夕食を終え、今夜もランベルトは私室で残りの書類仕事を、そしてシャノンは適度にそれを手伝いつつ毒りんご作りに精を出していた。


「……そういえば」


 いつものごとく毒りんごを熱く見つめるシャノンを眺め、ランベルトはふと手を止める。


「お前の異能(ギフト)で、新しい種類の毒りんごを作ることはできるのか? そのう、例えば……素直になれる毒りんご、とか?」


 ランベルトの問いに、シャノンはすべすべした眉間にしわを寄せて考え込んだ。

 実はシャノンは、これまで毒の効果ありきで毒りんごを作り出したことはない。シャノンがいつも熱心に祈るのは、ただ綺麗な赤が見たいという一点のみ。


「俺にはどれも同じ赤に見えるが、同じ色をした毒りんごには同じ効能があるのか?」


「その通りです。ですから施療院が『眠りんご』を必要とされていれば、わたくしは朱色になるよう念じて毒りんごを作り出すわけです」


 そうか、とランベルトはがっかりしたように相槌を打った。やはり薬頼みというのは情けないし、これでよかったのかも、とも思う。


 が、なぜかシャノンが妖しく目を光らせて立ち上がる。


「これは、今までとは別のやり方を試してみる時が来たのかもしれませんね。お任せくださいませ、今すぐ作り出してみせましょう。色は……、そうですね」


 シャノンは一気にランベルトとの距離を詰めると、彼の紅の瞳を覗き込んだ。ランベルトがぎょっとしてのけ反る。


「ちっ近い近い近いっ!!」


「……ランベルト陛下の、素敵な毒りんご色」


 ぽっと可憐に頬を染め、シャノンは両手でりんごを抱き締めた。

 いつも毒りんごを愛でるように、ランベルトの瞳に甘い眼差しを向ける。ランベルトの心拍数が急激に上がり、思わずふらふらとシャノンの華奢な肩に手を伸ばした。


「完成です!」

「早ッ!」


 そうだった。

 毒りんごは、三秒もあればできるのだった……。


 己の手の甲をつねり、ランベルトは何事もなかったかのように「で、どうだ」と尋ねた。

 シャノンはランベルトの瞳と同じ色のりんごを見つめ、優しく撫でる。


「成功です。作り手たるわたくしには、毒りんごの効能が食べずともわかるのです。この毒りんごは……、そうですね」


 無表情のまま、シャノンは毒りんごを高々と掲げた。


「隠していた秘密をうっかり洗いざらい暴露してしまう――その名も『秘めし本音をしゃべりんご』!」


「自白剤じゃねーか!」


 頭を抱えるランベルトを横目に、シャノンはできたばかりの毒りんごに唇を寄せる。

 慌ててランベルトが彼女を止めた。


「なぜお前が食べようとする!?」


「え? だって、わたくし自分の本音が知りたいのですもの」


 シャノンが目を丸くして答える。


「わたくし、毒りんご製造担当としてずっと王城に住みたいと考えておりました。ですが最近、ランベルト陛下とエディ殿下と過ごす毎日が楽しくて、お二人といついつまでも一緒にいたいと願うようになりました」


「……っ」


「でも、それは不可能でしょう? わたくしはあくまで側室候補、本物の妻にはなれません。いつか……ランベルト陛下は王位を退き、幸せなご家庭を築かれるのでしょう。そう考えると……なぜかわたくしの胸が、じくじくと痛んで……」


 シャノンがつらそうに無表情をゆがめた。

 言葉通り自身の胸を押さえる彼女に、ランベルトの頭に一気に血が上る。衝動のまま、毒りんごを持つ彼女の手を包み込んだ。


「なっ、ならば一緒に食べよう!」


 うわずった声で告げ、ランベルトはシャノンから逃げるように毒りんごに視線を落とす。


「お、俺もお前も、己の本心を知るべきだ……と、思う」


「本心……。はい。陛下のおっしゃる通りですね」


 シャノンは決然と頷くと、やんわりとランベルトの手を離した。目を閉じて、小さな口でそっと毒りんごをかじり取る。


「…………」


 今度はランベルトが反対側にかぶりついた。

 乱暴に咀嚼して飲み込むと、碧の目を潤ませるシャノンにしっかりと向き合った。


 体が熱い。

 やっと――やっと今の自分の望みが、わかった気がする。


「シャノン」


 ランベルトはもう一度シャノンの手を取った。シャノンの手も同じぐらいに熱い。


「俺はあくまで中継ぎの王だ。正室を持つ気はない」


「……はい」


「だから、今は側室で構わないだろうか?」


 唇を噛み締めるシャノンに、ランベルトがゆっくりと告げた。

 シャノンははっとして顔を上げる。


「約束する。王である間は側室はお前一人しか持たないと。そして王位を退いた暁には……どうか、正式に俺の妻となってほしい」


「ランベルト陛下……!」


 シャノンは感極まってランベルトの胸に飛び込んだ。頬を寄せ、嬉しいです、と涙交じりの声で言う。


「末永く共に、可愛い毒りんごたちの布教に励みましょうね?」


「末永く共にはいるが、布教はせんからな」


 照れ隠しにぶっきらぼうに却下して、ランベルトは安堵の息を吐く。

 顔を上げたシャノンと見つめ合い、くすくすと(シャノンはニィィと)笑い合う。そうして、もう一度しっかりと抱き合った。



 ◇



 後日。


「なっ何ぃぃぃっ、それは本当かっ!?」


 ランベルトの悲鳴が執務室に響き渡った。

 シャノンはそんな彼を無表情に、シャノンにくっついて来たエディはおかしそうに眺める。


「はい、陛下。この『秘めし本音をしゃべりんご』を施療院に渡して実験をお願いしたところ、用量が判明いたしました。まるまる一個完食せねば効果なし、とのご回答でした」


「だっ、だが俺たちは確かに!」


「ふっくく、叔父上。それはいわゆる『思い込み』というやつですよ」


 エディが薄笑いを浮かべて指摘した。

 ランベルトは愕然として目を見開き、シャノンは「なるほど」と素直に手を打つ。


「まあ、よろしいではありませんか陛下。お陰で今、わたくしは人生で一番幸せなのですから」


「そうですよ叔父上。お二人が正式に一緒になれるよう、僕も一日も早く独り立ちしてみせますねっ」


 ニィィ……と同じ顔でシャノンとエディが息ぴったりに笑う。

 ランベルトは恥ずかしいやらバツが悪いやら嬉しいやらで、むっつりと頷くだけで精いっぱいだった。


 それからエディは宣言通り、立派に成長して王位を継ぐことになる。

 腹に一物ありそうな笑いはエディの武器となり、「心を見透かされている気がする」「若いからといって侮れない」と他国からも一目置かれる王となった。


 ランベルトは医師に戻り、さらに種類を増やし続ける毒りんごを用いて患者を救った。その隣にはいつも、悪人面で笑う美しい妻の姿があったという。



 ――何にせよ、それはまだもう少し先の話である。


お読みいただきありがとうございました!

★★★★★ご評価、ブクマ、リアクション等いただけると今後の執筆の励みになりますm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
毒りんごじゃなくて薬んごでしたね。 美人なのにとぼけたシャノン、わりとポンコツなランベルト、エディの可愛いやりとりに和みました。
エディ王子の嗜好が微妙にマニアックっぽい…! だがそれも若い王には役に立つのかもしれませんね。年上の美人を毎日見ていれば浮ついた同年代のジャリガキに迫られても余裕でかわせそうではあります。無意識のハニ…
シャノンと、シャノンパパと、ランベルトと、エディが可愛すぎる。 ほっこりんごをご馳走さま。 シャノン様、私に是非 痩せりんごを作って下さいませ。
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