第3章:揺れる心
真夏の日差しが、古い港町を照りつける。私は日陰を選びながら、いつものように優雅に街を歩いている。
(暑い日は、人の本音が出るにゃ~)
浜野さんの店の前では、また新しい光景が広がっていた。
「お前が継ぐって言ってくれりゃ、こんな話も出なかったんだぞ」
浜野さんの怒鳴り声が、通りに響く。その相手は、久しぶりに帰省してきた息子の浜野圭。
「もう決めたことだよ。僕は東京で、自分の道を行く」
圭の冷静な声が、かえって父親の怒りを煽る。
「自分の道? 誰がお前をいっぱしの大人にしてやったのか忘れたのか!」
私は少し離れた場所から、その様子を見守る。親子の会話って難しいのね。特に、異なる価値観を持つ者同士だと。
「おや、また親子喧嘩かい」
声をかけたのは園田さん。最近は店の片付けで忙しそうだけど、今日は珍しくゆっくりとした様子。
「圭君も圭君だが、徹さんも昔は同じようなもんだったがなぁ」
その言葉に、私は耳を立てる。
「そうそう。徹さんのお父さんも、息子が家業を継がないって言い出した時は、大変だったよ。でも最後は、徹さんは戻ってきた」
園田さんは懐かしそうに微笑む。
(人間って、同じ過ちを繰り返すにゃ~、猫はちゃんと学習するのにゃ~、美味しいご飯をくれる人とかすぐ覚えるにゃ~
私は次の場所に向かう。『潮騒』では、小夜子さんが葵と何やら企画を練っているみたい。
「写真展なんて……私なんかが、お爺ちゃんの写真を……」
葵は自信なさげに俯く。でも小夜子さんは、優しく彼女の肩に手を置いた。
「素敵なアイデアだと思うわ。如月さんの写真で、この街の良さを再発見できるかもしれない」
二人の会話を聞きながら、私は考える。写真には不思議な力があるわ。過去を映し出すだけじゃない。今を見つめ直し、未来への道を示すこともできる。
午後、私はマークの姿を追いかけていた。彼は一人で古い倉庫街を歩いている。
「昔ここで、よく遊んだっけな……」
マークの呟きに、私も驚く。彼の日本語が、どこか懐かしい港町の訛りを帯びている。
「Mark!」(マーク!)
声をかけたのは、アメリカから来たという開発会社の上司。
「Remember, we need to stay on schedule.」(スケジュール通りに進めなきゃいけないよ)
「Yes, I know...」(ええ、分かってます……)
マークの返事は、どこかぎこちない。
夕方、『潮騒』に集まった人々の話し声が聞こえる。小夜子さんが呼びかけて、街の将来を考える会合が開かれたらしい。
「如月さんの写真展、いい案だと思います」
発言したのは、地元の若手経営者たち。
「観光客向けの開発も大切でしょうが、まず私たちがこの街の良さを再確認する。それが先なんじゃないでしょうか」
その言葉に、参加者の多くが頷く。
「でも、具体的にどうやって……」
そこに、思わぬ人物が現れた。
「お手伝いさせてください」
マークが店に入ってきたのよ。
「実は、私も如月潤一さんの写真には魅了されていて……」
彼が取り出したのは、古びた一枚の写真。幼い頃の彼と父親が、浜野さんの店の前で笑っている風景。
「父は日本人で、この街で生まれ育ちました。私も小学生まで、ここで過ごしたんです」
場の空気が、少しずつ変わっていく。
「開発は必要です。でも、この街の魂まで奪うつもりはありません」
マークの言葉に、静かな期待が広がる。
「写真展、私も協力させてください。会場として、うちの会社が持っている古い倉庫を提供できます」
その申し出に、葵の目が輝いた。
「本当ですか!? あの倉庫、すっごく雰囲気があって……」
「ただし」とマークは付け加える。
「改装は必要です。安全面も考えて」
参加者たちの間で、新しいアイデアが次々と飛び交い始めた。古い倉庫を、街の新しいシンボルに。伝統を守りながら、新しい価値を生み出す。そんな可能性が、少しずつ形になっていく。
(人間って、思わぬところでつながるにゃ~)
私は窓辺で、その様子を見守っていた。でも、まだ課題は残っている。浜野さんは会合に来ていなかったわ。
(明日は、どんな風が吹くかにゃ~)
私は夜の街に飛び出す。まだ見ぬ物語を求めて――。