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第2章:住人たちの憂鬱

 梅雨の季節。私は軒先で雨宿りをしながら、港町の朝の様子を観察している。


(人間って、雨の日は表情が曇るにゃ~)


 確かに、通り行く人の足取りは重い。特に浜野さんの魚屋の前では、いつもより深いため息が聞こえる。


「徹さん、もう決心はついたかい?」


 声をかけたのは、昔からの常連客らしき老人。浜野さんは首を振る。


「まだだよ、園田そのださん。あの再開発の話、どうも納得いかなくてね」


 最近、この港町では大規模な再開発計画が進められているらしい。古い建物を取り壊して、新しい商業施設を建てる計画。観光客を呼び込もうという狙いだとか。


「でもねぇ、時代の流れには逆らえないよ。うちの店ももう閉めることにしたんだ」


 園田さんの言葉に、浜野さんの表情が曇る。


「あんたのとこまで……」


「仕方ないさ。息子たちはもう独立しちまって、店を継ぐ者もいない。これも寿命ってもんだよ」


 私は雨に濡れた看板を見上げる。『園田海産物店』。もうじき、その文字も消えてしまうのね。


 通りの反対側では、マークが数人の作業員と打ち合わせをしている。彼の手には、この街の完成予想図が描かれた書類。


「ここを全部、モダンなマーケット街に変える。そうすれば観光客が喜ぶはずさ」


 マークの声は確信に満ちている。でも、その目は少し寂しそう。


(人間って、正しいと思うことと、心が望むことが違うことがあるにゃ~、猫はそんなことないにゃ~、いつでも自分に正直だにゃ~)


 私は場所を移動することにした。小夜子さんの『潮騒』に向かう途中、葵の姿を見かける。今日は学校が休みなのかしら?


「やっぱり、ここいいよねぇ」


 葵は古い倉庫群の前で、またカメラを構えている。今日は一人みたい。


「葵! また来てたの?」


 声をかけたのは小夜子さん。どうやら二人は顔見知りらしい。


「あ、小夜子さん。はい、また撮影に」


「お爺さんの写真集、持ってきてくれた?」


 葵は嬉しそうにカバンから一冊の本を取り出す。


「はい。これです。私の大好きな写真集」


 二人は『潮騒』の中に入っていく。私も、こっそりと後をついて行った。


「すごいわね。これ、40年前の港町なのね」


 小夜子さんが感嘆の声を上げる。古びた写真集には、活気に満ちた港町の姿が写っていた。大勢の漁師たち。威勢の良い魚の競り。笑顔で買い物をする主婦たち。


「お爺ちゃんが残してくれた宝物なんです。如月潤一じゅんいちって、聞いたことありますか?」


 小夜子さんは目を丸くする。


「まさか、あの如月潤一さんの? 港町の記録写真で有名な方よね」


「はい。私の母方の祖父なんです」


 葵は誇らしげに、でもどこか寂しそうに微笑む。


「お爺ちゃんはね、この街には人の心を癒す力があるって言ってました。古くて汚いなんて、そんなことない。時が刻んだ傷跡の一つ一つに、人の営みが詰まってるんだって」


 私は二人の会話を、店の隅で聞いている。如月潤一。その名を覚えておこう。


 午後になると、雨は上がった。代わりに、むし暑い空気が街を包み込む。私は港の見える丘に向かう。途中、マークの姿を見かけた。


「Dad, I'm doing fine. Don't worry.」(父さん、僕は大丈夫だよ。心配しないで)


 電話で話すマークの声が、風に乗って聞こえてくる。彼の表情は、どこか疲れているように見えた。


「Sometimes I wonder if I'm doing the right thing...」(時々、自分のやってることが正しいのか分からなくなるよ)


 電話を切ったマークは、しばらく港を見つめていた。そこには、まだ古い港町の姿が残っている。でも、もうすぐその風景は変わってしまうのね。


 夕方、『潮騒』に戻ってみると、小夜子さんが一人で写真集を見ていた。


「この写真に写ってる魚屋さん……浜野さんのお店よね」


 確かに、若かりし日の浜野さんが写真の中で笑っている。その横には、まだ幼い男の子の姿も。


「あれ? これって……マークさん?」


 私も驚いた。金髪の少年は、間違いなく幼い頃のマークだわ。


「そうか……マークさんも、この街で育ったのね」


 小夜子さんの呟きに、私も頷く。人間の物語は、思った以上に複雑に絡み合っているのかもしれない。


(明日も、面白い発見があるかもしれないにゃ~)


 私は再び街に出る。まだ見ぬ物語を求めて――。

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