第2章:初夏の轟き
梅雨入り前の蒸し暑い日。私は図書館の軒下で、雨宿りをしている。
(人間って、天気が悪いと気分も滅入るのにゃ~)
図書館の中では、いつもの光景が広がっていた。古い本と向き合う学生たち。パソコンに向かう研究者たち。そして、その間を行き来する千景の姿。
「藤堂さん、この資料なんですが」
空が声をかける。最近は図書館に入り浸る日々が続いているみたい。
「ああ、鷹宮くん。また新しい切り口を見つけたの?」
千景は優しく微笑む。彼女は単なる司書ではない。若い研究者たちの良き理解者でもあるのよ。
「はい。でも、これが正しいのかどうか」
空の声には、不安が滲む。
「研究に、絶対の正解はないわ」
千景は静かに答える。
「でも、真摯に向き合えば、必ず何かが見えてくる」
その言葉に、空は少し表情を明るくする。
(図書館って、心の避難所なんだにゃ~)
私は窓から中の様子を覗いている。すると、澪が駆け込んでくるのが見えた。
「藤堂さん! 大変です!」
澪の声には焦りが混じっている。
「椿先生と星加先生が……」
その言葉に、千景は表情を引き締める。
「また研究手法の件?」
「はい。今度は学部の教授会で……」
事態は深刻化しているらしい。伝統的な研究手法を重視する椿教授と、新しいデジタル技術の導入を提唱する星加准教授。二人の対立が、ついに公の場で表面化したのね。
「若造が知ったふうなことを! 古典は丹念に、一字一句を」
椿の声が、図書館まで響いてくる。
「しかし先生、時代は変わっています。新しい発見のためには」
星加も譲らない。
二人の論争を、多くの教職員や学生たちが見守っている。その中に、困惑した表情の澪の姿も。
(人間って、自分が信じるものを守ろうとするにゃ~)
私は静かに、その場面を観察している。すると、千景が動き出した。
「お二人とも、ここは図書館です」
彼女の声には、芯の強さが感じられる。
「貴重な資料たちの前で、こんな争いは……」
その言葉に、二人は一瞬、動きを止める。しかし。
「藤堂さん、これは大事な議論なんです。古典研究の未来がかかっている」
星加の声には、焦りが混じる。
「未来? 君は伝統を軽んじるのか」
椿も反論する。
その時、思わぬ人物が割って入った。
「お二人の研究論文を拝見していて、気づいたことがあります」
空の声だった。普段は控えめな彼が、今は真っ直ぐに二人の教授を見つめている。
「実は、図書館で両者の論文を比較研究していまして」
その言葉に、部屋の空気が変わる。
「星加先生のデジタル解析は、椿先生の伝統的手法を否定するものではありません。むしろ、補完する可能性を秘めているんです」
空は緊張した面持ちで説明を続ける。
「例えば、この和歌の解釈。デジタル解析で用例を網羅的に調べることで、椿先生の直感的な解釈が裏付けられる。そんな例が、いくつも」
二人の教授は、黙って聞いている。
(若者の純粋さは、時に心を動かすにゃ~)
私は窓辺で、その成り行きを見守っている。すると、また新しい声が。
「私も、同じことを感じていました」
澪が前に出る。
「両方の手法を学ばせていただいて、その可能性に気づいたんです。でも、うまく言葉にできなくて」
彼女の言葉には、真摯な想いが込められている。
千景は、静かに微笑んでいる。まるで、この展開を予測していたかのように。
外では、夏を告げる雷が遠くで鳴っている。変化の予感を運ぶ、初夏の轟きのように。
(人間って、若い世代に教えられることもたくさんあるにゃ~)
私は雨上がりの空を見上げる。雲間から差し込む陽光が、図書館の古い木々を照らしている。
この後も物語は続く。でも、確かな変化が始まったのは感じられたわ。
「星加先生、椿先生。お二人の研究室で、合同セミナーを開きませんか?」
千景の提案に、二人は少し考え込む。
「まあ、若い者の意見も聞いてみるか」
椿が、渋々といった様子で頷く。
「はい、私も勉強させていただきます」
星加も、素直な態度を見せる。
(人間って、歩み寄る勇気を持っているにゃ~)
図書館の中では、新しい風が吹き始めていた。古い英知と新しい技術。相反するように見えて、本当は支え合えるもの。その可能性に、人々は気づき始めたのかもしれない。
私は、またキャンパスを歩き始める。この物語は、まだ始まったばかり――。