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二色の瞳を持つ猫は知っている  ―今日も路地裏の片隅から人間を見つめて―  作者: 霧崎薫
路地裏の覗き猫 ―みつばち文具店をとりまくよしなしごと―
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第2章:人間たちの日常

 梅雨の季節。私は雨宿りしながら、今日も人間たちを観察している。


(雨の日の人間って、なんだかソワソワしてるにゃ~)


 傘を持っていない人は走り、持っている人はゆっくり歩く。でも、みんな同じように湿気で髪の毛がちょっと膨らんでいる。そんなところは、私たち猫と変わらないかもね。


 今日は朝から、みつばち文具店が騒がしい。


「翔太、いい加減にしなさい!」


 美津橋さんの声が、店の中から聞こえてくる。どうやら、また翔太くんが学校を休んだらしい。


「うるさいよ! 僕だって、行きたくないワケじゃ……」


 翔太くんの声は途中で消える。彼の声には、何か言いたいことがあるように聞こえる。でも、それをうまく伝えられないみたい。


(人間の子供って、本当に言いたいことが言えないんだにゃ~)


 私は軒下から、その様子を見守る。正一さんは、年老いた手で額を押さえている。孫の心配と、妻との言い合いで、疲れているのが分かる。


「私が若い頃は、こんなことで……」


 そう言いかけて、正一さんは言葉を飲み込む。時代が違う。そう気づいたのかもしれない。


 私は雨の中を移動する。次は響也の様子を見に行こう。今日は珍しく、ギターの音が聞こえてこない。代わりに、見知らぬ老人の声が聞こえる。


「まだそんな曲を弾いているのか?」


 厳つい声。響也のお爺さんらしい。グラミー賞を受賞したことのある、著名な作曲家だと聞いた。


「爺さん、僕は自分の音楽がやりたいんだ」


「お前の音楽? 笑わせるな。それは逃避でしかない」


 私は窓の外で耳をそばだてる。人間同士の争いは見慣れているけど、この会話には何か特別なものを感じる。


「爺さんの後を継げって言うのか? そんなの無理だよ」


「後を継げなどと一言も言っていない。お前には才能がある。だが、その才能を正しい方向に使っていない」


 響也は黙り込む。お爺さんの言葉には重みがある。経験に裏打ちされた説得力。でも、若者の心には届いていないように見える。


(人間って、年齢が離れると会話が難しくなるにゃ~。猫の世界ではそんなことないんだにゃ~)


 私はまた移動する。山田パンの前には、今日も女子高生たちの列。雨の中、傘を差して並んでいる。陽菜もその中にいる。


「ねぇねぇ、昨日の投稿見た? すっごい反応あったよ」


 友達が陽菜に話しかける。でも、陽菜の表情は曇ったまま。


「うん……でも、あれ……」


 言いかけて、陽菜は黙る。さっきの翔太くんみたいだ。何か言いたいことがあるのに、言えない。


(人間の女の子も難しいにゃ~)


 パンを買った後、陽菜は一人で公園のベンチに座る。雨は上がったけど、まだ空は灰色のまま。彼女はスマートフォンを取り出し、何かを必死に打ち込んでいる。


「完璧な一日だった ♪」

「楽しすぎて涙が出そう★」

「親友たちと最高の思い出★」


 画面に映る言葉と、陽菜の表情が一致していない。なぜ人間は、自分の気持ちと違うことを発信するんだろう?


(寂しい時に、一番寂しくないフリをするんだにゃ~、悲しいんだにゃ~)


 夕方になると、街は少し落ち着きを取り戻す。美津橋さん夫婦の店では、翔太くんが静かに宿題をしている。響也の部屋からは、久しぶりにギターの音が漏れてくる。陽菜は塾の帰り道、初めて今日らしい自然な笑顔を見せる。


 私は屋上で、湿った空気の中、月を待つ。人間たちはそれぞれの場所で、それぞれの悩みを抱えている。でも、きっとその悩みの先に、何かがある。私にはそう感じられる。


(明日はどんな日になるかにゃ~?)


 月が顔を出し始めた空を見上げながら、私は考える。人間たちの物語は、まだ始まったばかり。そして私は、その物語の黙した観察者として、これからも彼らを見守っていく。


 雨上がりの街に、新しい風が吹き始めていた。


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