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二色の瞳を持つ猫は知っている  ―今日も路地裏の片隅から人間を見つめて―  作者: 霧崎薫
路地裏の覗き猫 ―アメノメ、ゴールデン街を行く―

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第5章:夜明け前の祈り

 夜が最も深まる時間。

 午前三時を過ぎたゴールデン街は、また違った表情を見せ始める。


(人間って、この時間が一番弱くなるにゃ~)


 私は路地を歩きながら、そっと人々を見守っている。


「もう、閉店時間ですよ」


 巧が『ラストノート』の最後の客を送り出す。静かになったバーで、彼は一人、グラスを磨いている。


「ねぇ、聞いてくれるかい?」


 私に話しかけてくるなんて、珍しいわね。


「実は昔、プロのジャズミュージシャンを目指してたんだ。でも、才能が足りなくて」


 彼の告白に、私は耳を傾ける。


「それでも音楽は続けたくて。それで、この店を始めたのさ」


 そう。彼は昼間の大工の仕事で店を支え、夜は音楽を奏でる。それが、彼なりの答えだったのね。


『月光』でも、最後の客が帰っていく。


「お疲れ様、陽斗くん」


 みのりが、片付けを手伝う陽斗に声をかける。


「ママ、本当にいいんですか? 私がいなくなったら、人手が」


「大丈夫よ。私だって、この仕事を始める時、周りの人に助けてもらったもの」


 みのりの言葉には、強さと優しさが混ざっている。


「それに、あなたの芝居、観に行きたいもの」


 その言葉に、陽斗は深く頭を下げる。


 私は場所を移動する。『キャッツアイ文庫』では、まだ小さな明かりが点いている。


「漱石先生も、こんな時間に書いてたのかな」


 千紗が、原稿用紙に向かっている。志乃ばあちゃんは、そっと温かい紅茶を差し出す。


「きっとそうよ。夜明け前は、特別な時間だからね」


 千紗は一呼吸置いて、また筆を進める。


「不思議です。さっきまで書けなかった言葉が、すうっと出てくる」


 志乃ばあちゃんは、優しく微笑む。


「それはね、あなたの中で何かが変わり始めてるから」


 その言葉に、千紗は静かに頷く。


 夜明け前の街を、誰かが歩いている。


(あれは……)


 玲奈の姿。彼女は小さな封筒を持って、どこかに向かうところみたい。


 私は、そっと後をつける。玲奈は路地を抜け、古い郵便ポストの前で立ち止まる。


「これで、やっと」


 彼女は封筒に口づけをして、ポストに投函する。原稿が入っているのね。


「誰にも見せないって、嘘ついてごめんなさい」


 玲奈は、夜明け前の空を見上げる。


「でも、これが私の精一杯の答え」


 その瞬間、彼女の表情は晴れやかだった。


 空が、少しずつ明るくなり始める。新しい一日の始まりを告げるように。


「あら、もうこんな時間」


 志乃ばあちゃんが、通りに出てくる。千紗も一緒だ。


「私、書けました。新しい小説の、一章を」


 千紗の声には、確かな手応えが感じられる。


「それは良かった。漱石先生も、喜んでくれるわ」


 二人は夜明けの空を見上げる。


 巧も店を出てきた。今夜最後のレコードは、ビリー・ホリデイの『グッド・モーニング・ハートエイク』。


 みのりと陽斗も、『月光』の片付けを終えて外に。


「じゃあ、行ってきます」


 陽斗が深く一礼をする。みのりは、優しく見送る。


「本番まで、あと一週間ね。頑張って」


 玲奈も、郵便ポストの前から歩き出す。もうすぐ、会社に行く時間。


 夜が終わり、朝が始まる。人々は、それぞれの場所へと向かっていく。


(人間って、夜明け前が一番希望に満ちているにゃ~)


 私は路地の屋根の上から、その様子を見守っている。新しい朝が、また新しい物語を紡ぎ出すのね。

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